第235話 対称性の破れ

「――なんということだ……高出力レーザーが完成していたなんて……」


 叶は驚きを隠せないでいた。

 高レベル放射性廃棄物の放射線半減期を数千年からに縮める「レーザー核変換システム」が実用化されれば、今日本が抱えている深刻な放射能汚染問題は瞬時に解決する。巨大な虫食い穴のように国土を蝕んでいた立入禁止区域がすべて解除されることによって、日本は再び美しい国土を取り戻すことができるのだ。

 だが、そのために必須とされる高出力レーザーの実用化は、そのあまりの技術的困難さから開発を断念していた、というのが科学界の定説だったのだ。


「これがその触媒となる貴石です」


 広美が取り出したのは、小さな勾玉まがたまだった。彼女の首に掛かっている緑色のものとは異なり、それは青白く妖しく光り輝いていた。


「――これを使うことによって、放射能排出プロセスに問題のあるオメガさんたちの、体内核分解作用が活性化されるでしょう」


 オメガたちは、一般的に「放射能耐性」を持っている。体内で有害放射線を即座に無害化できるからだ。ただし、その排出プロセスが上手くいかないと、彼女たちは当然ながら重篤な症状に陥ってしまう。

 実のところ日本国内でこれまでに発見・保護されたオメガたちの大半が、この放射線障害に苦しんでいた。オメガ特戦群に所属する健康体オメガ――未来みくや久遠、くるみ、ゆずりは、亜紀乃、そして今は昏睡中の月見里やまなしかざり――は、実は特例中の特例なのだ。

 今まで叶たちは、彼女たちの規格外の運動能力にその答えを求めていた。要は、体内に蓄積した余剰放射能を、彼女たちはその爆発的な身体能力によって排出していたと考えていたのである。


 そこに現れたのが石動いするぎ士郎である。彼の持つDNAは特殊な機能を持っていて、そのひとつは彼女たちが無差別に人間を殺傷することを食い止める効果を発揮したし、もうひとつは、まさにこの蓄積放射能が原因と思われる大半のオメガたちの症状を緩和するという効能を発揮していた。

 そのおかげで、生命の危機に陥っていた広瀬繭にトランスヒューマン手術を施し、彼女を救うことが出来たし、そもそも戦闘中に重傷を負った西野楪を救うことが出来たのも、士郎の持つ特殊なDNA成分のお陰である。

 その後、オメガ研究の最前線においては、士郎の血液から採取されたDNA型を大量に複製し、病に苦しむオメガたちには当面の間それを投与することで命を繋いでいるという状態だ。

 つまり現状、オメガという存在を生かすも殺すも士郎次第――という図式が出来上がっていたのである。


 だが、これは朗報だった。

 広美が取り出した勾玉は、体内の高レベル放射能をもっと軽度の核物質に分解・変換する機能を補助する触媒だという。これは、彼女たちの症状を寛解させる根本的な治療法とも呼べるものに違いなかった。

 今のところ士郎のDNAは、なぜオメガの問題を緩和させるのか、その原因と仕組みについてはまったく分かっていない。分かっていないが、効果があるので投与している――そんなレベルである。しかも、他人のDNAを投与することで、今後オメガたちにどんな副作用が起こるか分かっていないのだ。臨床試験など、当然ながらやっている暇はない。

 それに比べたら、この勾玉はよほど確かな治療法と言えた。


「……少し気になったのですが、この勾玉の色……」

「そうです。こちらのオメガさんたちの瞳の色と同じことに気付きましたか?」

「やっぱり……」


 この青白い光は、核物質に照射してその分子構造を変換するのに用いられるレーザー光の光だという。ということは、オメガたちの瞳が青白いのは、これと同じレーザー光成分を体内で生成しているということなのか――!?


「オメガたちの瞳は、『チェレンコフ光』ではない、ということですか?」


 士郎が訊ねる。チェレンコフ光というのは、平たく言うと「核物質が分裂を始める時に発する光」だ。つまり、それは破滅的な核分裂反応が起きる時にのみ見られる現象で、別名「死の光」とも呼ばれている。それを見た者は、数瞬後間違いなく大量の放射線を被曝するからだ。


「……どうやらそのようだね……彼女たちから、一切の放射線が検出されない理由もこれで分かった」


 叶が嬉しそうに答える。余剰放射能を排出することで健康を保っていると思われていた未来たち健常体オメガたちは、だが放射能を排出しているという割に、その排泄物から一切の放射能を検知しておらず、それがひとつの謎とされていたからである。

 だが、そもそも体内で放射能を完全に分解・無害化していたのであれば、その説明は簡単だ。さらに、彼女たちのその特徴的な青白い瞳は、核変換レーザー光と同じ成分の漏出する光であったということであれば、彼女たちの外見的特徴も説明がつく。「死の光」を纏っていたのではない、という事実だけで、なんだかホッとする話ではないか。


「――ありがとう咲田さん。この勾玉は、そのレーザー光をオメガたちの体内で増幅する装置と考えていいんだね?」


 四ノ宮が念を押す。先ほどは、逆ギレと言われても仕方のない醜態を晒してしまったが、結果的に棚ボタで重篤オメガたちの治療に目途がつきそうなのだ。反省するやら嬉しいやらで複雑な表情を浮かべる四ノ宮だったが、それでも肩の荷がひとつ降りたことは間違いない。どこか晴れやかな雰囲気が彼女から漂ってきて、一気に場が和んでいく。


「必要量の勾玉は、あとでから直接オメガ司令部宛に届けさせます。ひとまずこれは、放射能耐性を持っているオメガさんだけに通用する触媒です。一般の放射線障害を負った方には役に立ちませんので、くれぐれもお間違えなきよう……」

「あぁ、了解した。ありがたく受け取らせていただこう――さて」


 四ノ宮があらためて一同を見渡す。先ほどまでと違って、広美もなんとなく特戦群の「仲間」になったような空気が出来ているのは気のせいだろうか。


「咲田さんにはいろいろと厳しい質問を繰り返して申し訳なかった。だが、実はどうしても聞いておかなければならないことがまだあってね……」


 その言葉に、広美があらためて姿勢を正す。もうこうなったら、とことん付き合いますよ、といった雰囲気だ。


「話を思いっきり元に戻したいのだ。つまり――別の世界線の中国兵が上海に突如として現れた話だ」

「――そしてそれは、オメガたちの特殊能力にも関わると私は見ているが、それで間違いないかい広美ちゃん?」


 叶が突然言葉を引き継ぐ。


「ど、どういうことだ元尚!?」

「どうも先ほどからの広美ちゃんの話を聞いていると、大仙陵古墳の地下遺跡にあった神々の装置は『斎女いつきめ』であるオメガたちの存在と不可分のような気がするんだ」


 広美が叶に向き直る。


「――さすがですね叶博士……仰る通り、装置の稼働には『斎女いつきめ』の存在が不可欠です」

「えと、話を整理したいのですが……先ほど咲田さんは、オメガの特異能力の発現に神々が関わっているという話をされましたね?」


 士郎が割って入った。


「えぇ、放射能耐性を持つ人間――あなた方の言う『オメガ』、そして私たちが『斎女いつきめ』と認識している未婚の少女たち――は、大地の穢れと共に生まれます。彼女たちは穢れを祓うために、大いなる神の力を手にしますが、それは人によって異なる。

 ただ、斎女いつきめの役割はそれだけではないのです。彼女たちは――神に選ばれた彼女たちは、神々の装置を動かすためのいわば『鍵』となります」


 神々の装置――!?

 結局まだその話を我々は聞いていない。士郎は広美を見据えた。


「咲田さん……結局その神々の装置というのは何なのです? 先ほどのレーザー核変換システムのように、それが我々の現在の科学技術力を上回る超技術オーバーテクノロジーであることは理解できますが、そもそもあの装置というのは――」

事象の地平シュバルツシルト面を作り出すもの――」


 叶がポツリと呟いた。


「その通りです博士。あれは、シリウス星系と地球を繋ぐ次元通路です」


 再度確認しておこう。「事象の地平面」、またの名を「シュバルツシルト面」あるいは「イベントホライゾン」とも称するこの現象は、一般相対性理論でその存在が予測されていたもので、ありていに言うと“ブラックホールの影響圏”のことだ。

 「ブラックホール」は、その名前だけはよく知られている。宇宙空間にあって、どんなものでも吸い込んでしまう、まるでアリ地獄のような吸引口のことだ。多くの場合、それは星がその一生を終える時に発生する。自分自身の巨大な質量に耐えきれなくなって、重力の底が抜けるのだ。

 こうなると、もうなんでもかんでも周りのものを吸い込んでしまう。それは、恒星や惑星、塵やガスはもちろんのこと、光や、時間さえも呑み込んでしまうという、恐ろしい地獄の釜だ。

 だから、ブラックホールの周りは時空が歪んでいる。ただし、光さえ呑み込んでしまうため、それは通常肉眼では確認できないのだ。ただ周囲の時空の歪みを観測することで、間接的にそこにブラックホールがあることが確認できるという理屈だ。


 人類は既に、こうしたブラックホールを宇宙の中でいくつか発見している。その中のひとつはなんと、視覚的に画像に捉えることにすら成功した。

 光さえ吸い込んでしまうブラックホールを「視覚的に捉えた」というのはなんとも胡散臭いが、実はこれは「ブラックホールそのもの」ではなく「ブラックホールの周囲に拡がる、事象の地平面」の撮影に成功した、ということなのだ。

 この「事象の地平面」というのは、その境界を超えると、二度と戻ってこれなくなる――つまり三途の川みたいなものだ。だからこの画像は、中心が漆黒の円形をしている。つまり、光がその中に入ってしまったことで、光が戻ってこられず、中心が暗黒になっているのだ。


 だが、こんな恐ろしい“落とし穴”も、地球から5,500万光年の彼方にあるからとりあえず安心だ。人類史上初めて視覚的に捉えたこの「事象の地平面」は、おとめ座銀河団中心部にある巨大楕円銀河M87のさらに中心部分に存在する。さすがにそれだけ離れていれば、当面地球が呑み込まれる心配はないはずだ。


 だが、シュバルツシルト面が想像を絶するのは、これがただ単に「ブラックホールの影響圏」を示すだけの存在ではないかもしれないという点だ。

 かつて多くの研究者が、ブラックホールと対をなす出口、いわゆる「ホワイトホール」の存在を予言していた。また、この両者を繋ぐトンネルである「ワームホール」も存在するのではないかと言われていた。これは、一般相対性理論において、アインシュタイン方程式が「時間対称性」を許容していたために現れる解のひとつである。平たく言えば、「入るところがあれば当然出ていくところもあるだろう」ということだ。


 だがこれは、あくまで数学的な可能性に過ぎなかった。実際は、宇宙を巨視的に見ると「対称性の破れ」があちこちで認められる。それは「時間の矢」とも呼ばれるもので、物事や事象が必ずしも対称性・対象性を有しておらず、またエネルギー保存の法則――いわゆる「等価交換」の原則が崩れている、ということを認めるものであった。

 要するに、ブラックホールに吸い込まれたものは、実際のところ「吸い込まれっぱなし」ということだ。

 じゃあその吸い込まれた物質なり光なり時間なりは、結局どこに行くのかというと、結論から言えば“存在がゼロになる”のである。


 ゼロ――すなわち「虚無」だ。


 だが、どのような存在も、自らが完全に消滅することに抗うのである。それは物質の生存本能とも呼べるものかもしれない。そうやって抗って、抵抗して、暴れている場所こそが、このブラックホールの勢力圏すなわち「シュバルツシルト面」ではないかと言われているのだ。


 だからここには、ありとあらゆるものが溢れかえっている――と推定されている。溢れかえって暴れまわって、僅かな痕跡に縋りつき、何としても「虚無」から逃れようと、あらゆる手段で自らの存在を認知しようと足掻いている。

 その結果、ここにはさまざまな時空の通り道が現れては消え、消えては現れるのだ。そして――次元が歪む。歪んだ次元からは、それぞれの時空の亀裂が覗いている。つまり、この事象の地平面は、結果として他の次元に通り抜ける抜け穴、回廊、通路になっているのだ。


 そんな恐るべき時空の混沌空間であるシュバルツシルト面を、人為的に作り出す装置……それが大仙陵古墳地下に数千年の長きに亘って大切に守護されてきた神々の遺跡だというのか――!?

 しかも神々はその混沌を正しく制御し、自在に操り、自分たちの母星があるシリウス星系と地球とを繋ぐ回廊――通路として実用に耐えうるほどのシステムを構築していたという……


「自分で言っておいてなんだが……信じられない……」


 叶がそう呻くのも無理はなかった。だが、シリウスと地球との距離はおよそ8.6光年。他の恒星系との距離に比べれば、本当にお隣さんと呼べるくらいの近い位置に存在するのは間違いないのだが、それでも光の速度で8.6年もかかるのだ。光は1秒間に30万キロ進む。つまり、1年間で進む距離は約9兆5,000億キロ。今のところ地球の技術で出せるロケットの最高速度は光の速さのおよそ0.1パーセントくらいだから、シリウスに辿り着こうと思ったら、恐らく4万年近い時間がかかってしまう。人類最古の文明とされるシュメール文明が今から約5,000年前の代物だから、この4万年という時間がいかに途方もない年数か分かるだろう。


 だからシリウス星系人は、その超絶テクノロジーを用いて地球と母星とを結ぶ次元通路を造ったのだ。恐らくあっという間に星の海を渡り切るために――

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