第14章 真実

第220話 上海陥落

 中国大陸で最も豊かで繁栄を謳歌していたはずの上海が壊滅した――との衝撃的な一報は、日本のみならず世界中を驚愕させた。

 それは「驚愕」というより「震撼」と言った方がより正確かもしれない。


 上海――

 中国大陸の東端に位置し、東シナ海に面するこの巨大都市は、米中戦争が始まるまでは人口2,400万人以上を誇り、その経済規模も――東京や大阪には及ばないものの――アジアでは第4位という十分に誇るべき繁栄を享受していた。

 その都市規模は、当然中国の中では首都・北京を凌いで戦前からずっと断トツの首位であり、外国企業も多数活動していて、その活力は事実上の首都と言っても過言ではないほどであった。


 だからこそ、内戦が勃発した時に「上海派」と呼ばれる勢力はこの街を一刻も早く支配しようと血道を上げたし、そしてその目論見は見事に当たり、ここ上海を押さえた「民主中国」は中華人民共和国の事実上の後継者として世界各国からいち早くその正統性を認められたのである。


 つまり「上海壊滅」ということはすなわち「民主中国政府の首都が陥落した」ということであり、それはとりもなおさずこの数十年に亘って繰り広げられてきた中国内戦の、一方の当事者が事実上敗北した、ということに他ならない。

 「敗北」とはどういうことか。それは、中国の基準で考えると「滅亡」ということである。もともと易姓革命の伝統を持つ大陸の攻防は、為政者を打ち倒した瞬間、その一族郎党係累関係者はすべて断罪の対象であり、苛烈な殲滅戦によって最後の一人の息の根が止まるまで、その粛清の手が緩むことはあり得ないのだ。だから当然、今この瞬間にも上海市内では民主中国政府関係者が次々と逮捕拘束され、あるいはその場で射殺・処刑されるなど徹底的に掃討作戦が行われているに違いないのだ。


 だからこそ各国が何より案じたのは、上海市内に居住する自国民の安否である。


  ***


「――それで、我が国の場合は東シナ海にたまたま海軍の空母打撃群が展開しておりましたので、上海租界の邦人は8割がた救出できたことを確認しております」


 情報部の連絡将校としてオメガ特戦群に出向している茅場かやば少佐が状況を報告する。もちろん、それを聞いているのは群長の四ノ宮東子だ。


「残りの2割はどうなったのだ!?」

「はぁ……何せ突然の襲撃だったということで、敵の攻撃に巻き込まれたものと思われ、安否不明です。生存はあまり期待しない方がよいかと……」


 上海租界の日本人は約5万人だ。その2割という数字は決して少なくない。


「友邦市民はどうか」

「はっ、赤城・瑞鶴にて保護した外国人は、米国人128人、英国人34人、その他67人となっております」

「……少ないのだな」

エアクッション揚陸艇LCACの収容人数はもともと多くないのです。それに、空軍の輸送機で脱出した者も多数おります。日本郵船のフェリーも徴発しておりますので、もしかするとそちらに乗っている可能性もあるかと……」

「――それでも、全部合わせて我が軍が救助できた外国人は千人に満たないのではないか? 痛ましいことだ……」


 上海は昔から国際都市だ。

 19世紀の終わりに「アヘン戦争」の結果西欧諸国に割譲され、外国人が多数入植して「上海租界」を建設して以来、伝統的にこの地には外国人が数多く居住している。その後日清戦争や第一次大戦を経てますます発展し、20世紀初頭から半ばにかけては「魔都」「東洋のパリ」などと呼ばれ、隆盛を極めた。その間、入植した日本人や日本軍兵士を狙ったテロ事件などに端を発する第一次・第二次上海事変などを経て事実上日本軍の直轄となり、近代都市の基礎が築かれる。

 そういう意味では、上海という街は、世界中のどこよりも日本と切っても切れない縁――というか因縁の深い都市なのだ。


 だが、今回に限って言えば幸運にも、日本は上海陥落というこの驚天動地の影響を、諸外国の中では最も受けなかったといってもいいだろう。

 こうした歴史的経緯を恐らく知っていた欧米各国は、今回の米中戦争の結果新たに建国された「民主中国」において、その首都・上海における日本のあらゆる影響力を出来る限り削ごうとしたのである。具体的にはそれは、大陸における日本の権益――すなわち「縄張り」――を北京以北の東北三省と定めたことであり、結果として我が国は、大陸で一番隆盛を極めていた上海という街にほとんど立ち入ることができなくなってしまった。


 かくして上海は、主に米国と西欧諸国の縄張りになる。

 まぁ米国は「中国と戦った国」だから、その資格は十分あるとしよう。だがその他西欧諸国は? 彼らは血の一滴も流さずに、口先介入だけでこの巨大都市の権益を手に入れたのである。

 その結果、ここには欧米系市民が多数入植し、この世の春を謳歌していた。その規模は10万とも20万とも言われる。

 しかも、北京派の抵抗激烈な東北三省で長年ガチンコの戦闘を続けていた日本軍と違い、これら西側諸国は比較的政情が安定している上海情勢に平和ボケし、必要最低限の軍しか駐留させていなかったのである。結果的にこのことが、今回の悲劇に際し自国民を保護脱出させるための手段の圧倒的不足を招いたのだ。


 日本の場合、上海在留邦人約5万人に対し、東シナ海と日本海にそれぞれ大規模な空母打撃群を遊弋ゆうよくさせていたほか、大陸そのものに――配置こそ北京寄りであったが――10個師団20万人規模の大戦力を有していた。またそもそも上海と日本本土は地理的にも近く、海上輸送も一晩で展開できる距離にあった。

 それに対し欧米各国は、在留する市民20万人に対し各国軍すべて合わせても1個師団に満たない程度しか駐留軍を置いていなかったし、海上戦力は余剰人員の輸送能力をほとんど持たない戦闘艦が10隻あるかどうか、といった有様であった。


 さてこうなった場合、現地駐留の各国軍隊が最優先しなければならないのは、あくまで「自国民の保護」である。

 日本は、破滅的な第一報が入った直後から現地邦人の救出活動に全力を挙げ、沖合の空母打撃群をはじめ大陸派遣軍や民間船徴用など考え得るありとあらゆる手段・方法を講じて邦人保護および脱出支援を行った。それでも結果は「8割救助」である。残りの1万人は残念ながら戦火に斃れたとみるべきだろう。

 一緒に救助された欧米人数百人は、恐らく邦人関係者だ。日系企業の社員だったり、配偶者・家族だったりしたことで、これら日本軍の構築した脱出ルートに便乗できたのだろう。

 それにひきかえ、救出のための兵力をほとんど駐留させていなかった欧米系市民は、だから今回の「上海滅亡」に際し、恐らく国外脱出の手段を喪失し、その大半が逃げ場を失って今頃戦火の下で逃げ惑っているに違いないのだ。

 四ノ宮が「痛ましい」と言ったのはそのことだ。


「――しかし、なぜ各国は敵の侵攻に気付かなかったのだ!? 突然湧いて出てきたわけでもあるまい」


 四ノ宮は、今回の上海陥落が未だに腑に落ちないといった表情だ。


「それが……おかしな話ですが、本当に『湧いて出てきた』らしいのです」

「馬鹿げたことを――どうせまた、あの連中の言い訳なのであろう?」


 四ノ宮は、茅場の説明を一笑に付す。

 兵士が湧いて出てくるわけがないではないか。しかも、偵察衛星の映像から推定される敵の総兵力は50万とも100万ともいわれるのだという。いつまで経っても正確なデータが出てこないのも問題だが、そもそもそんな大兵力が、北京派のどこに潜んでいたというのだ。


 確かに敵の装備は相当旧式らしく、市内を蹂躙した多数の戦車もみな前時代の博物館級だということであるが、都市を攻略するのに最新テクノロジーの軍隊は必要ない。引き金を引いたら確実に銃弾が出る武器さえ持っていれば、あとは「数」さえあれば街というのは制圧できるのだ。

 各国軍合わせても一個師団にも満たない駐留軍では、50万100万の軍隊を退けるなど土台無理な話だ。ましてや敵と交戦しながら市民を保護するなど、ほぼ不可能に近い。

 敵味方と軍民入り乱れた市街戦に対し、宇宙軍の艦艇が大気圏外から直接弾道攻撃を行うことも不可能だ。まだ市内に入る前に敵の侵攻を察知していたら、我が宇宙軍が街に近付くことすら許さず撃退してみせたものを――

 なぜこれほどの大軍の接近を探知できなかったのだ!?


「それで、参謀本部は何と言っているのだ? 大陸派遣軍は介入するのか!?」

「……それについては未だ決めかねているようです。上海はもともと我が軍の管轄外ですし、民主中国政府が機能喪失した今、当該国からの新たな要請なしに管轄外へ軍事介入するのは重大な内政干渉となる恐れがあります」

「それでも米英は反撃するつもりなのだろう? 情報部が米国防総省ペンタゴンにSを送り込んでいるのは知っているぞ」


 “エス”というのは、言うまでもなく諜報員のことだ。


「……それが……予想以上に及び腰なのです。現状、上海は完全に陥落して、今は市街地で掃討戦が行われているらしく、この段階で反撃に転じると相当数の残留自国民が犠牲になると恐れているようです」

「――まるでローマ帝国に滅ぼされたイスラエル王国のようだな」

「まさしく……ただ、イスラエル王国の国民はその後世界各地に落ち延びております。今回も、中国兵の掃討対象は主に上海派の政治家と軍人、企業家だそうです。欧米系民間人は見逃してくれる可能性があり、そうなればほとぼりが冷めた頃に我が軍の支配地域に逃れてくる者も出てくるでしょう。反撃はそれからでも遅くないと……」

「なんとも悠長な話だな……それは、市内に侵攻してきた中国軍兵士たちがみな聖人君子であることを前提とした話じゃないか。避難民には婦女子も相当数いるのであろう? 十中八九、暴行や略奪の対象になるだろうな……」

「はぁ、恐らく……」


 それは、中国軍に限った話ではないのかもしれないが、少なくとも彼らには歴史上の前科がいくつもある。通州事件しかり、南京しかり、南沙諸島事件しかり――

 特に、自軍が勝利した戦場においては、彼ら中国兵たちは嵩にかかって民間人を虐殺するのが通例なのだ。長年に亘る中国との小競り合いの中でそれを身につまされて知っている日本は、だから今回の上海陥落にあたり、一人たりとも見捨てまいと邦人救出に全力を挙げたのだ。

 欧米各国は、中国人と戦争をするのは今回が初めてなのだ。同じアジア人でも、日本人と中国人のメンタルは天と地ほども違うのだぞ――


「……つまり、今回連中は、20万人の民間人を見捨てる、という判断なのだな……」

「…………」

「――やはり、痛ましいな……」


 その時、四ノ宮の執務机のシグナルが鳴った。


「――なんだ?」

『群長、叶少佐から秘匿回線が入っております』

「繋げ」

『はッ――』


 5秒ほど間があって、ピン――と回線が繋がる音がする。


『――やぁ東子ちゃん』


 その第一声を聞いて、茅場がふっと顔を背ける。肩が少しだけ震えていた。


「……ゴホン……な、なんだ……今忙しいのだ」

『もちろん上海の件だよ』

「――だからどうしたのだ。貴様は確か今、奈良にいるのだろう」

『うむ! それでね、ちょっと噂に聞いたんだが、上海に現れた敵、湧いて出てきたんだって?』


 その言葉に、傍にいた茅場が反応する。四ノ宮の顔をじっと見つめるが――


「そんなものは根拠のない流言飛語の類だ。ソ連兵じゃあるまいし、ボウフラのように兵隊が湧いて出てくるわけなかろう」


 「ソ連兵云々」というのは、その昔“ソ連兵は畑で取れる”という逸話から引いたものだ。第二次大戦中、ドイツと戦っていたソビエト連邦(現ロシア)は、スターリンが優秀な将校をすべてシベリア送りにしてしまって碌な指揮官がいなかったせいで、恐るべき人海戦術のみでドイツ軍にただ突っ込むという人命無視の戦法を繰り返したことに由来する。敵が一万発の銃弾を持っているなら、兵士を二万人送り込めばいい、という気の触れたような戦法だ。それゆえに、ソ連兵は畑で取れるジャガイモよりも価値の低い消耗品、と言われたわけだ。


『――でもさ、聞くところによると100万人規模の大部隊の侵攻を察知できなかったそうじゃないか。そんなことってある?』

「――それは……」

『そんでさ、実は奈良で分かったことがあってね……』

「なんだ、何か分かったのか!?」


 仁徳天皇陵から突如として外国兵が現れ、そして悲惨な死に方をした、という事件の現地調査を叶に指示したのは、他でもない四ノ宮だ。


『うん、どうやら“兵士が湧いて出る”って件、あながち荒唐無稽な話でもなさそうだよ』

「――それは……間違いないのか!?」

『まぁ、かなり自信はある。その大軍がどこから来たのか、どういうからくりで上海を陥落としたのか……知りたいだろう?』


 叶がここまで言うのだ。真相はほぼ掴んでいるのだろう。


「――分かった。ただちに帰投してくれ」

『りょうかい、じゃあ我々がそっちに戻るまでにひとつ確認しておいてほしいんだけど、上海に侵攻してきた敵兵の映像を、可能な限り鮮明に撮影しておいてくれないかな? できれば軌道上からの垂直角じゃなく、限りなく水平方向に近い角度で撮っておいて欲しいんだ』

「――それが不可欠なのであれば、なんとかする」

『じゃ、よろしくー』


 そう言うと、叶からの通信はぷつんと途切れた。

 茅場が「どういうことでしょう?」という顔で四ノ宮を見つめる。


「……すまんが現地の諜報員に骨折りを頼みたい」


 四ノ宮が申し訳なさそうに言う。この状況下で、敵兵の映像を撮影するとなると、相当の命の危険が伴うのは間違いないのだ。


「――もちろんです。我々はそれが任務ですから」


 茅場はぴしっ――と敬礼すると、さっそく部屋から出ていった。

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