第155話 アンビバレンツ

 朝鮮半島が無政府状態の混沌に陥ったのは、ひとえに国連の無能が原因である。

 もちろん、仮に政府が消滅しても、そこに住む人々が自主的に自治を行って、曲がりなりにも次の統治機構――すなわち「政府」――を打ち立てればよいだけの話なのであるが、その国家の民度がもともと異常に低かったり、民生が一定レベル以下に陥っていたりすると、それさえも難しくなる。


 たとえばアフリカ諸国の多くは昔も今も「政府」という存在が極めて脆弱だ。支配者たちは未だに14~15世紀レベル以前の「武力による一定地域の支配」のみ標榜し、ごく一部の「指導者」という名の“ならず者”が、力を持たない民衆を搾取したり暴力で支配したりして、敵対する勢力と常に抗争を繰り広げているだけだったりする。要するに野盗やギャングの類と大して変わらないのだ。

 このような状態では、持続可能な食糧生産や経済発展など望むべくもなく、たとえば旱魃などで飢饉が発生したり疫病が蔓延したりすると、途端に数十~数百万人の民衆が飢えたり野垂れ死んだりする。

 これらの人災を引き起こすのは、支配者たちが自分の利益だけを考えて民衆のことなど意に介していないからであり、こういう国々では近代的な意味での「国家」などそもそも最初から存在していない。


 もちろんこういう「国家の体を成していない」国々というのはアフリカ大陸に限らず世界各地に散在していて、国連は伝統的にこうした国々に対してただ目の前の問題を糊塗するために食糧援助や経済援助などのを繰り返してきた。

 だがこの手法が、援助を受ける人々にとって碌なことにならないというのは、もう何十年も前から良識的な人々によって指摘され続けていたことだ。

 これら「失敗国家」の住民は、国連からのこうした「施し」によって、いわゆる「援助慣れ」をしてしまい、自らの力で自立しようという意欲を失ってしまうのである。

 得てしてこういう国の人々は「教育」を受ける機会もほとんど失われているから、「目の前にモノをくれる親切な人がいるんだから、自分は汗水たらして働かなくてもいいのだ」というメンタルに陥っても仕方がないと言えば仕方がない。


 だがいっぽうで、昔から世界有数の援助大国であった日本は、国連のこうした援助手法とは一線を画し、極めてきめの細かい、そして最終的には被援助国がきちんと自分の力で自立できるようにするための、を繰り返してきた。


 代表的なのはカンボジアである。長年の内戦と虐殺で極度に疲弊していたこの国は、日本の援助活動によって見事に自立を果たした成功例だ。

 日本はカンボジアに対し、ただ単に経済援助を行ったりインフラを建設するのではなく、基本的にカンボジア国民に「技術」と「知識」と「経験」を移転したのである。たとえば国内の建設工事は日本からゼネコンが行って造って帰ってくるのではなく、そこからカンボジア企業に「発注」し「一緒に」作ることで、技術と同時に「雇用」も確保し、それによって人々の「自尊心」も取り戻した。

 他にも子供たちの「教育」については徹底的に支援し、「お金」ではなく学校建設や教師の派遣など「知識」を授け続けた。さらには「交番」制度を持ち込み「民主的な警察機構」の設立にも尽力した。

 そのほか枚挙にいとまのないほどありとあらゆる生きた支援を続けた結果、彼の国は今や東南アジア有数の大国に育ちつつある。そして人々はそんな日本の支援に心から感謝し、なんとカンボジア紙幣には「日の丸」が描かれているほど親日国になっていたのである。


 そんな援助先進国・日本が、頑なにその支援を拒否した国、それが旧朝鮮である。


 その最大の原因は、彼の国が長年に亘り日本に対して振り撒いた「敵意」である。直接の引き金は、2027年の柏崎刈羽原発に対するテロ攻撃だ。これにより周辺住民約3万人が一瞬にして命を落とし、引き続き放射能汚染で数百万人がその影響に伴う疾病と後遺症で苦しみながら死んでいった。

 これは、太平洋戦争で日本が失ったすべての人的損失よりも遥かに多い犠牲者数である。

 それだけでない。それから何度となく繰り返された半島から日本本土への弾道ミサイル攻撃により、今や日本の国土の多くには立入禁止区域PAZが設定され、美しき国土が根こそぎ失われてしまった。


 その結果として勃発した日本の報復攻撃「日朝戦争」では、日本は約半年で朝鮮半島を徹底的に壊滅に追い込み、政府指導者を戦争犯罪人として大量処罰――その多くは終身刑として日本国内に収容された――した。

 あとに残されたのは、廃墟と化し、無政府状態に陥った半島であった。


 国連は戦後、朝鮮半島を復興するための国際的タスクフォースを、日本を含めて結成しようとしたが、処罰感情が溢れかえっていた日本国民からは一切賛同を得られなかった。事実、朝鮮国軍による日本への攻撃で生じた甚大な被害への補償は一切なされないままであり、その解決を抜きにして半島復興のために国民の血税を投入するなど、どう考えてもあり得ない虫のいい話であった。そしてその当たり前の理屈に、国際社会はどうしても異論を唱えることができなかったのである。


 そこで始まったのが、「日本抜きの」国際援助である。当然ながら対症療法しか取る術を持たない国連の援助活動はじきに破綻した。それどころか、半島内部では予想通り、ギャングに毛が生えたような武装集団が次々と縄張り争いを繰り広げるようになり、莫大な復興資金はいつの間にかどこかに消えていった。やがて彼の国はアフリカの者国家と同様の破綻国家として無政府状態に陥ったのである。


 それから数十年が経ち、中国内戦の一方の当事者、上海の民主中国政府は、主に半島の地下資源を狙ってその統治支援を宣言し、中国人入植者をどんどん朝鮮半島に送り込み始めたが、結果的に彼らはミイラ取りがミイラになるがごとく、彼の地で単なる無法者と化してしまった。もともと大陸で喰いっぱぐれた農村出身の連中を厄介払いのように入植させていたツケが回ったのである。

 さらには今から約20年前、2070年に発生した中国東北部での大規模騒乱事件〈大暴動〉の余波で、当時朝鮮半島に駐留していた国連平和維持軍の兵士たちが大量に虐殺されたことを受け、その4年後、2074年にとうとう国連は半島から完全撤退する。


 以後約16年間にわたって、この地は誰も統治していない、暴力が支配するだけの野蛮な荒野と化していたのである。


「――士郎、もうすぐ定時連絡の時間になる。アンテナ展張するぞ?」

「あぁ、頼む……」


 士郎の横で副官の久遠くおんが担いできた通信モジュールを操作し、高さ3メートルほどの極細アンテナを空に向けて突き出した。

 まもなく定時通信を受信する時間だ。昨夜遅く、舞水端里ムスダンリのミサイル基地跡に上陸してから分隊ごとに分かれて秘匿行軍を始めた士郎たち第一戦闘団上陸部隊の先遣隊は、12時間おきに0.5秒のレーザーバースト通信を衛星を介して行い、それぞれの現在地と状況報告を行うことになっているのである。


 今朝の集落での「人間狩り」目撃は、士郎たちの心にひとかたならぬ衝撃を与えていた。

 いくら無政府地帯であるとはいえ、一握りの米と引き換えに幼い子供たちが攫われていくという光景は、まともな神経を持った先進国の人間には理解しがたいものがある。もちろん日本でも、近代化が始まった20世紀初頭まで、貧しい東北の農村を中心に「口減らし」のために子供を売る、という行為が存在していたらしいが、今や21世紀も後半である。一時は国民所得が3万ドルにまで到達した韓国と統一を果たし、声高らかに「日本を懲らしめる」と豪語していたこの国がここまで落ちぶれるとは、敵ながらいくばくかの同情を禁じ得ない。


 ほどなくして、久遠が抱きかかえるように持っていた通信モジュールの小さなランプがチカチカと断続的に明滅を始めた。19個分隊がそれぞれ自隊の情報をアップリンクし、衛星からその情報が折り返し暗号通信で打ち返されているのだ。これにより、部隊指揮官である士郎の分隊だけでなく、他の分隊長もそれぞれ同じ情報を受け取ることができるのだ。もちろん、遠く離れたオメガ司令部もリアルタイムでこの情報を共有するだろう。


「――士郎、全分隊から報告が届いたぞ? 確認するか?」

「あぁ、もちろんだ」


 士郎は森崎大尉を誘って通信モジュールのホログラフィ画面を確認する。

 すると、第一分隊――士郎たちのことだ――から順に、現在位置、隊員の状況、主な行動記録などが続々と表示されていく。

 二人はそれを熱心に上から読み進めていった。そして、スクロールが終わった直後、士郎と森崎はお互いの顔を見合わせる。


「……どうやら、各分隊が似たような状況を目撃していたようです」

「そのようですね――」


 そこには、およそ八割の分隊が、士郎たちのように何らかの暴力行為を行軍中に目撃していたことが記されていた。

 荒野に打ち捨てられたり、廃屋に積み重ねられていた虐殺遺体。武器を持った集団に襲われていた家族と思しきグループ。集団強姦に遭っていた女性――

 それらの情報はすべて「目撃」とだけ記されていて、各分隊が上陸部隊の秘匿を最優先にしてそれらへの対処を控えていたことが窺われた。もちろん皆本心では「助けてやりたい」と思っていたに違いなく、それが証拠に多くの分隊長が「以後の対応は如何にすべきや」と報告書に書き加えていた。

 いっぽう特徴的だったのは、それら目撃報告の多くに「子供の誘拐と思料」あるいは「拉致連行の疑い」という文言が異口同音に書き込まれていたことだった。


「森崎大尉――これらの報告をどう見ます?」

「そうですね……まずはこの分隊の報告です。集落の外れで発見したこの女性の虐殺遺体――周囲に子供の物と思われる衣服や小物が散乱していることから、この女性はもともと子連れで、母親だったと推測されます」


 森崎は、報告書に添付されている現場写真を見ながら答える。


「……では子供は……?」

「恐らく襲撃者に連れていかれたのでしょう。むしろこの母親はそれに抵抗して殺された可能性がある」

「――では、我々が目撃したのと同じ、子供の誘拐が目的だったと……!?」

「そうです。次は、こちらの分隊から上がっている写真を見てください。これは、側溝に投げ捨てられた虐殺遺体ですが……」


 士郎はその写真を見る。比較的小さな農業用水路のような溝に、多数の人間が折り重なるように投げ込まれていた。もちろん全員が絶命していて、銃撃で蜂の巣にされた痛々しい痕がどの遺体にも残っている。


「この写真の中には、子供の遺体がありません――遺体には複数の男女、そして年齢もさまざまのようですから、もしかしたら共同体の住民だった可能性があります。普通に考えたらそこに子供がいる方が自然です」


 士郎は呻いた。森崎が続ける。


「――極端なことを言うと、これらの犠牲者は皆、子供の誘拐がらみである可能性が高いということです。我々が集落で目撃したように、素直に子供を差し出せば僅かでも報酬を受け取れるが、拒めば殺される、という一定のルールがあるのかもしれません」


 なんということだ――

 親たちは、別に報酬欲しさで子供を売り飛ばしていたわけではないのか。むしろその僅かばかりの報酬で、我が子への未練を無理やり断ち切ろうとしていたのかもしれない。生きていてこそ、再び子供に会えるかもしれないと信じて……


 しかし、なぜ子供なのだ――!?

 そして、あいつらは一体何者で、何を目的として子供たちをかき集めているのだ!? かき集めた後、子供たちはいったいどこに連れていかれ、何をされているのだ……!?


「――では、各分隊の報告にある、『子供の誘拐』という表現は間違っていないのですね?」

「ええ、私たちも目撃した通りです。実際に子供が連れ去られるのを現認した分隊もいくつかあったようですし、遺体を発見しただけの分隊も、その状況が物語っています」

「では、かなり広範囲に亘って組織的に子供の誘拐が行われているとみて間違いないと……」

「あとは、実行犯の一部を捕らえて尋問すれば、詳細が明らかになるでしょう」


 士郎は逡巡する。

 上陸部隊の秘匿を最優先するなら、こうした事態には可能な限り関与せず、黙々と半島を横断するべきなのだ。我々は、見つかった時点で奇襲部隊ではなくなってしまう。それなると、神代未来みく奪還という『ア号作戦』最終目的の実現を危うくする。

 だがいっぽうで、目の前の非人道的な行いに対して、見て見ぬふりはできない、という思いも強くある。

 あの廃屋で凌辱され、ボロ雑巾のように打ち捨てられていた女性の遺体――

 もしもこの後、似たような状況に出くわした時、我々は作戦遂行を言い訳にしてその行為を黙認してしまうのか!?

 果たしてそれは「正義」なのか――!?

 そして……この二律背反アンビバレンツな問題に答えを出すのは――やはり自分しかいないのだ。決断しろ――士郎は自分に言い聞かせる。



 しばらく黙考した士郎は、ようやく顔を上げた。


「森崎大尉――ドロイド兵の皆さんの力をお借りしたい……人攫いを適宜逮捕します」

「承知しました」


 森崎がピシっ――と小気味のいい敬礼を返した。

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