第128話 権力闘争

 ミーシャはここ最近の監視結果を、主観を交えず可能な限り客観的にヂャン秀英シゥインに報告したつもりだった。だが、いつも冷静な将軍が肩を震わせ、こめかみに血管を浮き上がらせている。自分の報告に憤慨しているのは明らかだった。それでも努めて冷静に振る舞おうとする我があるじの姿に、ミーシャは恐縮するしかない。


「では……未来みくはそれなりにここに馴染んできたと受け止めてよいのだな」

「はッ……街の住人は特段彼女に関心を抱いておりません。通り過ぎれば、ただ綺麗な娘だなという程度のリアクションです。日本兵であることにも気付かれておりません」

「そうか……まぁあの軍用スーツは一般的な日本兵のものとは異なっているからな……」

「はい、ただ……兵営の若い兵士たちは別の関心を抱いておるようですが」

「無理もなかろう……あれだけの美貌だ――兵士たちも年頃の者が多いからな。軌道を外さぬよう、時々牽制はしておく必要があるが、士気も上がっておるようだから良い」


 ミーシャは、将軍が意図的に彼女の話題を振って自らを落ち着かせようとしていることを察していた。だが、例の件については具体的な指示をどうしても仰がなければならない。


「……それで……閣下。確認したいことがございます。大聖堂の件は――」

「分かっている」


 ヂャンは、未来が大聖堂で何者かに襲撃されたという報告を受けた瞬間、その黒幕が誰か分かってしまっていた。間違いなく李軍リージュンだ。あれほど警告したにも関わらず、あの妖怪は平気で人のモノに手を出してきたのだ。だが証拠がない――


「ミーシャ、あれが李軍の仕業だということは分かっているのだ。だが証拠がないのだ……」


 ミーシャは黙っているしかない。一応あの後、始末した男たちの死体をまさぐって身体検査をしたのだが、身分証明に繋がるようなものは何一つ見つからなかった。ポケットに入っていたのは襲撃道具だけだ。裏を返せば、それは彼らがプロだったということの逆証明でもある。街のチンピラなら、そこまで抜かりがないわけがない。ハルビンであのような荒事あらごとを行うプロといえば、心当たりはひとつしかない。


「――恐れながら……あの者たちは秘密警察の公安メンバーではないかと……」

「……ボルジギンがリーに協力しているというのか」

「はい……接点はあります」

「ほう?」

「最近、公安が李先生の研究施設に出入りしているようです」

「なんだと!? ――いつからだ!?」

「はっきりとしたことは……私もつい最近その事実を掴んだのです。気付いていればとっくに閣下のお耳に入れていました」

「あぁ……そうだな……それで?」

「実は……最近少し気になることが……まだ推測段階なので閣下にご報告するほどの話ではないと思い、お伝えしそびれていたのですが……」

「――続けよ」

「はい、実は最近兵卒が一人消えました」

「……またか……それがどうしたというのだ」


 張にとって、兵卒が一人消えるくらいなんでもないことだ。もともと連中は喰いっぱぐれや少年兵あがりだ。厳しい兵営生活に馴染めなくて逃亡したり、街金に借金がかさんでやつの一人や二人はたまに出る。


「その兵卒――浩宇ハオユーというのですが――ミクさんとそこそこ仲良くしていたそうで」

「なに――?」


 張の頭の中で警告アラームが鳴り始める。この情報は、パズルのほんの小さなピースだ。だが、捨ててはいけないピースのような気がする。


「――我が手の者によると、大聖堂の襲撃事件から半月ほど経って、この兵卒とミクさんが市街で一緒に行動していたということです」


 ミーシャには数人の手下がいる。黒霧ヘイウーは、ミーシャ本人ですら組織の全容を知らないが、少なくとも自分のチームを持っている彼はいっぱしのチームリーダーというわけだ。


「――その兵卒が行方不明になったのは、それよりさらに二週間後……李先生の研究施設の立哨当番の直後からです」

「……どう……いうことだ」

「今は分かりません……これ以上は……私はただ、事実関係を閣下にお伝えするだけです。ただ、この一連の話に登場するキーワードが、少しずつ重なっているような気がします」


 なんということだ――!

 ミーシャの言う通りだった。

 未来みく、襲撃、李軍リージュン、研究施設、公安、行方不明の兵卒、そしてまた未来みく……

 すべて繋がっているではないか! それらのキーワードは、まるで円環のようにグルグルと循環している。絶対に関連があるに違いない。

 張はあらためてミーシャを見る。この男は、なんという切れ者なのだ。情報収集のセンスはもちろん、集めてきた断片を繋ぎ合わせる嗅覚というものも持ち合わせている。諜報インテリジェンスの世界においては、ある程度仮説を立て、トライアンドエラーを試みて初めて炙り出せる事実もあるのだ。


「ミーシャ、兵卒が消えてから何日経つ?」

「五日です」

「未来はこいつが行方不明になったことに気付いているのか?」

「まだ明確には認識していないと思われます……もともと毎日会っていたわけではなさそうですので。それにミクさんは最近足繁く市街地にお出かけのようです」

「友人でもできたか?」

「……それについては不明です。人と会っているところは確認しておりません」

「まぁよい。とにかく、未来の身辺警護だけはよろしく頼む」

「はッ!」

「――それから……俺は少し爺ぃどもにカマを掛けてみる。引き続き奴らの身辺を洗っておくのだ」

「はッ!!」


 言うが早いかミーシャは張の部屋を出ていこうとして――


「あ、ミーシャよ……」

「は、はい……」


 将軍に呼び止められ、慌てて足を止める。


「よくやったぞ。とても良い情報だった」

「は、ははッ!!」


 張は忠実な部下に対する正当な接し方として、彼をねぎらった。

 ミーシャは、自分が役に立てたのだということを実感し、わざわざ将軍が褒めてくれたことにいたく感動し――踏み出す足にまた余計な力が加わった。


  ***


「観閲パレードですか?」


 李軍リージュンは、ヂャン秀英シゥインの意外な提案に少なからぬ驚きを隠せないでいた。この現実主義者で無駄なことを一切嫌う堅物の男が、よりにもよってそんな派手な政治パフォーマンスを自ら提案してくるなど……


「あぁ……ちょうど北京から共産党の幹部も視察に見えられる。最近兵士たちの士気も相当高くなっていると聞いているしな。ここらでわが国民にも、諸外国にも、我らが華龍の勢いを示しておいてもよいのではないかと思いましてな」


 言っていることは筋が通っている。北京派が東北三省を掌握して、事実上の亡命国家を構えている中で、特にここ黒竜江省は華龍ファロンが事実上の統治者として君臨している。他の吉林省、遼寧省は、その影響下にあるとはいえ、他の派閥もまだまだ健在だ。華龍の総本山として共産党幹部を迎えるにあたり、その軍事力と影響力を内外に示しておくことは、今後も北京派内で主導権を確保し続けるという点において、大きな示威行動デモンストレーションになる。「華龍あっての北京派」という構図をお互いに明確にしておくことが、権力闘争においては極めて重要なのだ。


「ですが、哈爾浜ハルビンの市街地は現在電磁障壁によって隠蔽中ですぞ。偽装を解くというのは安全保障上やや問題があるかと――」

「誰も哈爾浜ハルビン市内で軍事パレードをしようとは言っていない。……そうだな、黒河ヘイホー市あたりでやってはどうか」


 黒河市は、黒竜江省の北辺の町だ。ハルビンからは約四百キロの距離にある。ロシアと国境を接しており、黒竜江――ロシア語でアムール川――沿いの中堅都市だ。対岸はロシア・アムール州の州都であるブラゴヴェシチェンスクで、黒河市とは戦前から自由経済地域協定を結び、華龍の影響下に置かれた今でも国境交易が密かに盛んな地域だ。


「――なるほど。戦力をそこに突如として集結させて見せるわけですな」

「黒河の郊外ならどうせ農地は荒れ果てて原野になっているから大軍を展開することもできるし、外国メディアはロシア側からでも限定的に入れればよいだろう……何なら軽く実弾演習だってさせてもよいかもしれん――どうでしょう、政治委員?」


 李軍の隣に立っていたボルジギン・セルジブデが、突然話を振られてやや狼狽する。


「は――はい、いや……す、素晴らしいですな! 今や華龍は大中華の正統後継者として飛ぶ鳥を落とす勢いです。今こそ力を見せつける好機かと……」

「――ふむ、では李先生もボルジギン閣下も異存がないのであれば――」

「あ、いや! お待ちください張将軍」


 突然横から口を出してきたのは、ウー梓豪ズーハオ。華龍で外交部長官を務める文民だ。


「黒河などに軍を集結させては、ロシアが黙っていないでしょう。重大な挑発行為だと受け止められ、向こうも軍を集結させるかもしれません。そうなったら、一歩間違えれば戦争です」


 張はウーを睨みつける。


「そのあたりの事前調整はぜひウー長官にお願いしたいものですな」

「は……しかし――」

「長官、今回の観閲パレートは、ただの道楽ではないのです。我が華龍ファロンの力を国内外に十二分に見せつける。これは、日本軍との20年戦争にも屈しない我々の決意を示すと同時に、北京派、上海派双方に我々華龍こそが大陸の主導権キャスティングボートを握っているということを明確に判らせる政治ショーなのです」

「……わ、分かりました……」

「よろしい――ではヤン大校、さっそく観閲部隊の編制に当たってくれたまえ」

「はッ!」


 張の傍に控えていた華龍最先任の大校――日本軍でいうところの大佐だ――猛将楊子墨ヤンズーモーが鮮やかな敬礼をして退室していった。


「――それと、閣下?」


 ヂャンが「閣下」と呼ぶのはこの中でボルジギンだけだ。ちなみに李軍リージュンに対しても張は公の場では「先生」と敬称を付ける。この二人が、張よりも相当年上だからだ。

 ボルジギンが何事かと張を窺う。


「今回の観閲式、閣下のところで警備をお願いできませんかな」

「――!?」


 ボルジギンが目を剥く。なんで自分がこの若造のために露払いをしてやらねばならんのだ!?

 私の秘密警察は、そんな警備員まがいのことをやらせるためにいるのではないのだぞッ……!

 彼の自尊心が猛烈に侮辱されたことを、その場にいる全員が理解していた。


「……あ……いや、うちのところは……あまりこういう類の警備には慣れておらんので――」

「何をおっしゃいます!? 閣下のところの兵隊は、随分実戦経験がおありのようではないですか」


 そういうと張は猛禽のような鋭い目でボルジギンを睨みつけた。


「――!!」


 ボルジギンは一瞬にして理解した。コイツは、先日の大聖堂襲撃の実行犯がうちのメンバーだと知っている――!! まさか、あの黒霧ヘイウーとかいう連中を使って突き止めたとでもいうのか……!? 証拠は一切残していない筈だが、どうして……

 これは、もしかして忠誠心を試されているのかもしれない。ここで逆らえば、ただでは済まない――


「わ、分かりました……うちので良ければ……いくらでもお使いください」


 張はこの瞬間、完全に確信した。このプライドの高い政治委員が唯々諾々と自分の嫌がらせを受け入れた時点で、コイツはだ。やはり先日の大聖堂襲撃の犯人は、ボルジギンの公安だ。


「――恐れ入ります。では次に李先生?」

「は……?」


 李は完全に不意を突かれた。兵隊が表に出てくる話の時は、研究開発部門の責任者である自分は比較的高みの見物であることが多い。私に何をさせようというのだ!?


「今回李先生は申し訳ありませんが、ハルビンに残っていただけませんか?」

「え? どうして――」

「さすがに本部を留守にするわけにはいかないでしょう。その点、先生なら安心だ。何があっても信頼できる――」

「そ、それは……」


 クソッ! 張の奴! 私とボルジギンを分断したうえに、ひとりハルビンに居残りさせて、何を仕掛けようというのだ!? 先ほどボルジギンは屈辱的な仕事を割り当てられて、それでも恭順した――

 やはり奴も、先日の件がバレているのではないかと恐れたのか!? となると私も既に疑いを掛けられているのか……!?


「……私が将軍の留守居役――名代をしろと……!?」

「あ! いえいえ、そんな私如きの仕事を先生にお任せするなど恐れ多い……」


 なんだと――!? では、留守の間の権限も与えず、私をただの年寄り扱いして留守番していろというだけなのか! ――おのれッ!!


「――ご安心ください。先生の研究施設などは、私の手の者に警護させますので」


 は――!? それは困るぞ……あそこに入られては困るのだ!


「い、いやいや……それには及びませんぞ……あそこは少々デリケートなものを扱っておりまして……」

「ほう――!?」


 しまったッ!! つい余計なことを口走ってしまった! これではまるで、私が将軍に見られてマズいものをあそこで作っているみたいに聞こえるではないか――まぁ実際そうなのだが……


「い、いいえぇ、見られては困るとか……そういうことではなく……」


 いかん……どう話しても、言い繕っているようにしか聞こえん――! 将軍は「実に興味深い……新兵器か何かですかなぁ」などとわざとらしく言っている。ええい……


「ま、まぁ……張将軍の手の者なら……別に見ていただいても構いません」


 こうなったら、都合の悪そうなモノは予め施設外に出しておくしかあるまい。特にあの兵卒だ。一人くらい消えたって、誰も気にしないだろうと高を括っていたが、これは下手をすると、張が兵卒の誘拐に感づいて、何らかの調査や報復を考えている可能性がある。

 先ほどのボルジギンの例もある。ここは一旦引き時だ。


 ――そうだな……認めよう。

 今華龍で一番権力を持っているのは、間違いなくあんただよ、ヂャン秀英シゥイン

 この話は結局、「誰が頂点なのか」を内外に見せびらかすパフォーマンスなんだろう!? 下手なことをすると、くびり殺すぞという警告のメッセージなんだろう!?

 血で血を洗う権力闘争が渦巻いた、共産党の伝統芸じゃないか。


 分かったよ――今日のところはあんたに従おう。

 だが、それはあくまで――だ。なんとしてもあの日本軍辟邪ビーシェを我が物にして、自らの手にあの最凶最悪の暴力装置を掴んだ時こそ、あんたの終幕の時だ。


 それまで、首を洗って待っているがいい。

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