第125話 潜入

 それから何度かの密会を経て、未来みくはこの華龍ファロン本部基地施設についてのさまざまな情報を浩宇ハオユーから入手することができた。

 その中には、キメラに関する極めて重要な情報も含まれていたのだが、未来はひとまず全体像を整理してみることとする。もし外部への連絡手段が見つかれば、これらの情報をなんとかオメガ小隊、最悪でも大陸に展開している友軍部隊に届けたい。


 まずは兵力である。浩宇ハオユーによると、この施設自体には二個中隊ほどしか駐留していないという。人民解放軍の軍編制はあまり詳しくはないが、日本軍に当て嵌めると一個中隊は約三百人。つまり六百人くらいしか正面兵力は有していないということだ。

 ただし中隊の中にはそれぞれ機械化小隊が混在していて、彼らはパワードスーツを装備しているそうだ。これも日本軍の重装機械化歩兵の戦力に当て嵌めると、一個小隊のパワードスーツ部隊で一個中隊分の戦力と同等とされているから、この機械化小隊がどれくらいの割合で存在するかによって全体の戦力見積もりは変わってくるだろうと思われた。

 最低でも各中隊に一個機械化小隊がいるとすれば、それだけで戦力評価は四個中隊規模、すなわち一個大隊分以上の戦力ということになる。


 続いて重火器類。もちろん大口径機関砲の類はそれなりの物量を有しているということだが、肝心の弾薬は常に枯渇気味だということだった。また戦車や装甲車両の類はほとんどないという。ハルビンの中心部にある基地だから、そういった重兵装はあまり置く場所もないのであろうと思われた。

 その代わり、郊外のいたるところに隠蔽された分遣隊がいくつも駐屯しているそうだ。こうした重兵装はむしろそちらの方に偽装して隠してあるということであり、これらは街の境界を超えて侵入してくる敵に向けられたいわば防衛戦力インターセプターだということだった。簡単には本丸に近付かせてくれないということだ。

 ただ、オメガ小隊は空挺降下を本分としているから、郊外の戦力はあまり気にする必要もないかもしれない。とはいえ、本部駐留の一個大隊を相手にするのであれば当然オメガ小隊だけでは心もとないから、陽動ないし後詰で大規模な陸上戦力を投入することになるだろう。そうなると、支援部隊はハルビン郊外で激戦を繰り広げることになるかもしれないので、決して侮れる話ではない。


 兵士たちの練度は、話を聞く限りそう高いものではないように思われた。もちろん軽く見るわけにはいかないが、大半の兵卒は浩宇のように戦災孤児から兵隊になった者や、食い詰めた若者が志願したもので、その戦意は決して高くないということだった。


 問題なのは、下士官将校クラスである。大半の下士官サージャントは傭兵上がりだそうだ。人種も様々で、ロシア人やアメリカ人もいるという。彼らは大抵母国で民間軍事組織PMFに所属していた経験があり、人によっては元特殊部隊崩れの者もいるそうだ。彼らは戦い方を心得ており、未来たちにとって強敵になるのは間違いなさそうだった。ただし、傭兵をやっていた者は「命を惜しむ」傾向がある。死んだら終わり、というメンタリティを持っている場合が多いから、追い詰めて投降勧告したら、あっさりと白旗を上げる可能性もあった。


 最大のネックはやはり将校オフィサーだ。彼らは全員、元人民解放軍として北京派の中枢で兵役に就いていた者たちで、愛国心もあればプライドも高く、戦意も旺盛だそうだ。戦場では督戦隊の役割も果たしているといい、最前線で突撃しない兵を後ろから機関銃で撃つこともあるとのことだ。つまり、華龍が軍事組織として機能しているのは、彼ら人民解放軍あがりの将校が統率しているからであった。


 さて、いよいよキメラの話だ。

 未来は浩宇ハオユーが教えてくれた話を思い出し、今さらながら背筋を寒くしてしまうのだ。


  ***


 その日二人は、ハルビン郊外を流れる松花江という川に程近い、太陽島風景区という公園に来ていた。緑の芝が美しい、静かな公園である。よく見ると、公園のあちこちに偽装したトーチカのようなものがあって、スリットからは何やら砲身のような黒い筒が突き出ていた。これが市内の各所に駐屯している分遣隊の一部ということなのだろう。

 未来と浩宇はベンチに腰掛け、目の前の小さな池にキラキラ反射する初夏の太陽光線を眩しそうに見つめながら、小声で会話を続けていた。


「――じゃあ、キメラたちは昼間は殆ど活動していないんだね……」

「あぁ……奴らは基本的に夜行性だ。だからこの街も、昼間と夜とじゃ雰囲気がガラッと変わるんだ。どの店も日が暮れると看板をしまうし、住民も基本的に家の明かりが外に漏れないようにする。奴らは派手なモノや明るいモノに反応するから……」

「でも街灯は点いてるよね……」

「よく思い出してごらんミク……街灯はみんな薄暗いオレンジ色だったろ?」

「あ、そっか……地味目の色だとセーフなんだ!?」

「正解! キメラへの対処法は、ある程度分かってきてるからね」

「……でも、なんで派手な色だけに反応するのかな……?」

「……さぁ……よく分かんないけど、ほら、スペインの闘牛だって赤くてヒラヒラしたやつに反応するだろ?」

「ふぅん……そういうものなんだ……」

「いや、もちろんこれは俺の持論であって、本当かどうかは分からない……そういえば誰かが別のこと言ってたな……えと……そう、あれは光に集まる夏の虫みたいなもんだって」

「誘蛾灯?」

「そう、それ! 何も考えずに、明るいモノに飛び込んでくるやつ!」

「ふぅーん……ところで――キメラたちはどこから来たの? なぜああいう人が存在するの?」

「それなんだが……」


 浩宇ハオユーが言い淀んだ。何か大事なことを知っているような顔だ。


「……言えない……こと……?」


 未来は慎重になる。今までも、相当な機密情報を教えてもらった。無理強いはさせたくない。


「いや、違うんだ……奴らはその……感染するんだ」

「え……!?」


 何だその話は――!?

 彼らがキメラ胚実験によって生み出された存在なのだろうということは薄々分かっている。でなければ人間の身体に他の動物の身体特徴が発現するわけがない。だが、ゲノム変異が伝染するなど聞いたことがない。理論上あり得ないのだ。まさか〈運び屋ウイルス〉が媒介だなどと言うつもりだろうか。だが、そんな技術はもう半世紀以上前に廃れたものだ。しかも、そのウイルスは人工的に対象細胞に注入インジェクションしなければ機能しないというおそろしく効率の悪い代物なのだ。

 あり得ない――


「感染……っていうか、つまり、昨日まで元気だった人がある日突然キメラになるんだ……それって病気が伝染うつったってことだろ?」

「――じゃ、じゃあ……キメラたちは今でも次々に新しく生まれているってことなの?」

「あぁ、年寄りたちは呪いだって言ってるよ……悪い行いをしたことのある奴が、罰として半分動物に変えられちゃうんだとか言って……」

「そんなバカな……」

「あぁ、だからアレは呪いなんかじゃない。もしそれがホントなら、うちの隊長なんか真っ先にキメラになっちまう」


 そう言って浩宇ハオユーは笑った。


「――だから、その呪い説は年寄りだけが信じてる迷信。俺はやっぱり病気みたいに感染するものなんじゃないかと思うんだ」

「でも……その感染説がもし本当なら、ある家族とか、特定の地区とか学校とか、同一の母集団に属する人たちが一斉にキメラ化してもおかしくないよね!? そういう増え方なの?」

「あ……いや、そう言われると違うなぁ……キメラになる人間は、本当にランダムなんだ。家族からキメラが出た家の者が、全員キメラになるわけじゃない……」


 なるほど……ではやはり原因は感染ではないだろう。しかし、今もまだ、キメラが増え続けているというのは異様な話だ。

 まさか――!?


 未来は、自分が一瞬想像した恐ろしい可能性に身震いした。いくらなんでもそんなことは――

 いやでも……

 未来は、その悪魔のような可能性を、自分の頭の中だけで言葉にしてみる。


 華龍は、この街の人間を使って人体実験をしているのか――!?


 だが何のために!? 未来は思わず浩宇を見つめてしまった。

 この純朴な青年が所属する組織で、本当にそんなことが行われているのか?

 しかも自国民に――!?

 そして、実験に失敗したら用済みとばかりにするのか!?

 を――!?


 やはり、どうしてもあそこを確かめなければならない。


「……ねぇ……ハオユーくん……やっぱり基地の実験施設を……調べてみなきゃ……」


 それを聞いた浩宇はごくりと唾を飲み込む。


「……あぁ、そうだね――じゃあ……そろそろ潜入作戦を決行、するか……」

「む、無理はしなくていいから……慎重に、慎重にでいいから……」

「分かってる……二、三日中に次の研究施設の当番が回ってくると思うから」


 そう言って、浩宇は自分の胸に手を当てた。未来から貰ったお守りアミュレットを、大切に仕舞っているところだ。


  ***


 そして三日後――

 今日、浩宇ハオユーは研究施設への潜入を試みることを未来に密かに伝え、念のため外出してもらうことにした。万が一不測の事態が起こった時、基地にいない方が彼女の身の安全を図ることができる、という浩宇の提案であった。いわゆるアリバイ作りだ。

 未来は、自分が傍にいた方がむしろ緊急事態の時は助けに入れると主張したが、浩宇はそれを頑なに拒んだ。その瞬間は確かに何とかなるかもしれないが、そうなったら二人揃って言い逃れできなくなる。一人の方が何かと身軽だから、と心配する未来を無理やり納得させたのだ。


 潜入に当たって、浩宇はいつもの門番の持ち場周辺に監視カメラがないかどうかを慎重に調べて回った。そして来客予定。人が出入りするタイミングはなるべく避けたい。幸いこの日は誰も研究施設を訪れる予定はなさそうだった。

 潜入が可能なのは、自分が受け持っている3時間の間だけだった。といっても、前後は交替の引き継ぎがあるから、実質二時間半くらいか。その間にドアのロックを開け、中の様子を可能な限りリサーチし、可能なら画像か映像を撮って帰ってくる。その情報を未来に伝えれば、自分より専門知識をもっている彼女が見ればおぼろげにでも中で何が行われているか掴めるということだった。

 そして門番の仕事は、朝7時から夜7時までの12時間。当番は浩宇と合わせて二人いて、3時間ごとの交替制。つまり、自分が門番に立つのは一日のうち二回、計6時間だ。

 浩宇はこの日、もう一人の担当の兵士に頼み込んで、遅番をやらせてもらうことに成功した。これで、最後の当番のタイミング――すなわち午後4時から7時――で潜入することが可能になった。最後の担当は終わった時に引き継ぐ必要がないからほんの少しだが潜入時間が稼げる。

 我ながら完璧なプランだった。


 そして長い一日が過ぎていき、今ようやく午後4時の交替引き継ぎが終わったところだ。今日の相方はこれで課業終了。「おつかれさん」と陽気に声掛けながら兵舎に帰って行った。

 辺りがしんと静まり返る。

 予定通り誰もいなくなったことを確かめ、念のためもう一度扉周辺を目視確認する。監視カメラはついていないし、扉に耳をびったり当てて施設の内側の音を探ってみたが、中に人の気配は感じなかった。

 よし――入るなら今だ。


 浩宇は、扉のカードスキャナーに、兵舎からくすねてきたまったく関係ない兵士のIDカードを挿し込んだ。これで万が一解錠の痕跡が残っても、IDカードの持ち主には別の場所にいたというアリバイがあるし、その時の立番をしていた自分は「特に変わったところはありませんでした」としらばっくれればいい。そうすれば、痕跡記録ログの方がエラーを起こしたとでも何でも言い訳できるだろう。


 スキャナーはピッと小さな音を立て、引き扉が音もなくスッと横に開いた。浩宇は慎重に、一歩中に足を踏み入れる。

施設内部は薄暗く、ぼんやりと緑色の照明がついていた。扉からは真っ直ぐ廊下が伸びていて、少し先は突き当りになっていた。てい字路になっているのか……

 二、三歩先に進むと、背後の扉がスッと閉まった。廊下は一段暗くなる。一瞬周りが見えづらくなって、30秒ほど目を慣らすために立ち止まった。すると、奥からなにやら機械の駆動音のような、モーターが回るような音が微かに聞こえてくる。

 ゴクリと唾を呑み込むと、浩宇は意を決したようにさらにそちらの方へ歩を進めた。

 その時だった――


「動くな」


 突然背後から、男の低い声が聞こえ、何か固いものが後頭部にゴリッと押し付けられた。

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