第123話 ヒューミント

 とはいえ、神代未来みく華龍ファロンの基地でただ安閑と過ごしていたわけではない。


 ハルビンの街に繰り出してみたり、兵士たちの訓練を見学したり、そのほか散策と称して基地建物内の何の変哲もない場所に顔を出してみるとか、そう遠くない近所の商店でちょっとした買い物をしてみるとか、そういった行動はすべて彼女が「あちこちに出没しても違和感がない」ように周囲に印象づけるための、事前の根回しみたいなものだ。


 これらはすべて四ノ宮少佐の訓練の賜物だ。

 オメガ実験小隊を設立してその指揮官に就任した少佐は、彼女たちオメガひとりひとりがキチンと戦場で行動できるよう、ありとあらゆることを教え込んでいたのだ。

 たとえばそれは、味方の前線から遠く離れた敵地での生存技術であるとか、捕虜として捕まった時の尋問対処法といったものだ。このほか、自身の現在地を知るための原始的な天測法や、機密情報の隠蔽方法、民間資材だけを使った爆弾製造法やブービートラップの設置法など、およそ特殊部隊でしか教えないような戦術・技術を惜しむことなく叩き込んでいる。


 これは四ノ宮東子自身の軍人哲学に基づくものであるのはもちろんだが、彼女自身の軍歴にも由来している。四ノ宮はかつて特殊作戦群タケミカヅチに所属していたからだ。その視点があったからこそ、初めてオメガたちに接した時、少女たちに不足している能力を瞬時に見極めることができたのだ。

 結局オメガという存在は、そのDNA変異特性によって基礎的な戦闘力こそ桁外れの極めて高いものを有していたが、裏を返すとの存在に過ぎなかったのである。その戦闘力は言ってしまえば彼女たち我流の戦い方でしかなく、それ以外の、例えば射撃技術であるとか、武器・装備品の取り扱いであるとか、一般兵士であれば基礎教練ブートキャンプで一通り教わるべき兵士としてのイロハ、といったものについてはただの素人だったということだ。


 勿論まだ教え切れていないことも多い。その最たるものが「チームとしての戦い方」だ。

 通常特殊部隊では、各々異なる専門能力を持った兵士たちがチームを作り、お互いを補い合いながら自分の得意分野で戦闘に貢献する。一例を挙げれば、ある特殊部隊の分隊では「狙撃手」「爆発物担当」「電脳担当」「医療担当」「通信担当」など、兵士ごとに担当が細分化されており、作戦遂行時は適材適所でそれぞれの役割を果たしていく。これによって、チームは単純に頭数だけの戦力以上に化学反応ケミストリーを起こし、乗数的な戦闘力強化をもたらすのだ。

 ところがオメガ小隊の場合はまだこういった「役割分担」が明確でなく――それぞれ違うベクトルに特化した能力が都合よく揃っているわけでもないので――どうしてもチーム戦という概念が育ちにくい。だからこそ、四ノ宮は個々のオメガに対し最初の時点で「兵士としてのスキル」を特殊部隊並みに叩き込んだのだ。その教練期間は、ブートキャンプ4ヶ月、特殊訓練12ヶ月、合計通算16ヶ月にも及ぶ。

 まずは戦場で生き残ること。部隊としてのレベルアップは、その次の段階の話だ。


 このような四ノ宮の育成方針は、結果としてこうして未来みくがひとり敵地に拉致された今、大いに役立っていると言えよう。未来は四ノ宮の教えに従い、自分が連行された敵部隊の規模、戦力、兵士の練度などをつぶさに観察することと、あわよくば敵の機密情報を入手して、今後の戦闘に活かすという自らの役割を、誠実に果たそうとしていたのである。


 そんな未来が今どうしても調べたいのが、この華龍基地施設の立入禁止オフ・リミットエリアだ。そうした場所には常に門番が立っているか、厳重な鍵がかかっている。


  ***


「あ…… こ、こんなところでどうしたんですか」

「――はっ!? えっ!?……いえ……」


 唐突に未来に声を掛けられ、浩宇ハオユーは思いっきり挙動不審に陥ってしまった。

 今日は一日、基地内の研究施設入口で立哨の当番だ。この場所は基地施設の中でもかなり奥まったところにあり、用でもなければ誰かが訪ねてくるようなところではない。人も来ないから仕事は退屈で、休憩時間もすぐ傍の空き部屋で食事を摂ることになっているから無駄話をする相手もいない。ただひたすら三時間ごとの交替を待ちわびる、そんな無駄な時間をただ無駄に過ごす、最悪の日だ。

 そこに突然日本人少女が現れたものだから、驚くやら嬉しいやらで浩宇ハオユーは一気に平常心を失ってしまった。


「あ……このまえの訓練……頑張っていましたよね」

「えっ……俺のこと、覚えていたんですか?」

「は、はい……もちろんですよ」


 少女は少しだけ恥ずかしそうにしながら話しかけてきた。もしかして人見知りなのだろうか? 少し距離を置いて、横目でチラチラとこちらを伺うようにしている。相変わらずその姿は美しく、ほんのりと色づいた頬が正気を失うほど可愛らしい。

 浩宇ハオユーははたと思い当たって、訊ねてみることにした。


「……あ、あの――、名前を聞いても?」

「あっ……ごめんなさい、私……未来みく、神代未来です」

「ミク……!」


 心の中でガッツポーズをしていた。ついに! 彼女の名前をゲットした!!


「――俺は、浩宇ハオユー、18歳!」


 聞かれてもいないのに、思わず自己紹介してしまった。しかも何だ18歳って!? 年齢しかアピールすることないのかよ!! 自分の間抜けさに恥ずかしさがこみ上げてくる。


「ふふ……18歳なんですね」


 ほら見ろ! 彼女も困惑してるじゃないか……!

 浩宇ハオユーは、自分が女性の扱い方を心得てない馬鹿な田舎者だと思われたんじゃないだろうかと本気で心配し始めた。多分いま、自分の顔面は真っ赤に染まっている筈だ。もはやミクを見ることすらできない。


「でも、そしたら私と同い年ですね……ハオユーくん、って呼んでもいいですか?」


 もちろん未来の18歳というのは、見た目その他によって四ノ宮から授けられただ。本当の実年齢など、考えるのも恐ろしい――まぁ百歳近いのだが。

 だが、この返事は浩宇を一瞬にして地獄から天国へと釣り上げてくれた。


「えっ! 本当!? じゃ、じゃあ俺も! み、ミクって呼んでも……いい!?」

「――いいですよ、ハオユーくん」


 未来は少しはにかんだように浩宇ハオユーを見つめた。その瞳は相変わらず淡く青白く光っていて、まるでこちらの考えていることを全部見透かしているんじゃないかというくらいの透明感だ。

 ハオユーくん! ……そんな風に女の子に呼ばれたのは初めてだ。しかも同い年だと!? あんな美少女を名前で呼び捨てにするのも初めてのことだ。もう心臓がドクドクし過ぎて何が何だかよく分からない。とにかくこれは夢じゃないんだよな……!?


「ハオユーくん、ひとつ聞いてもいいかな……」

「な、なにっ!?」


 もう何でも聞いてくれ! 俺のすべてをミクに捧げよう!!


「ここから先には何があるの?」

「あ、これ? 研究施設だよ……辟邪とか、嵌合体チィェンフェァティとかの研究をしてるんだ」

「チィェン……なに?」

「あぁ、人間と動物が交じり合った生き物がいるんだ。そいつらのこと」


 あの施設にいた人たちのことか!? 未来は猪男のことを思い出す。半獣人、半猿人、半魚人……やはり人間と動物が交じり合っているということは、いわゆる「キメラ」だと思っていいのだろうか。戦前、中国共産党がキメラ胚研究を盛んに行っていたことは承知している。だとすれば、あの人たちはその研究の延長線上に連なる存在……内戦中も研究は続いている――!?


「へ、へぇ……そんな難しい研究しているんだ……」

「あぁ! なんてったって、うちにはリー先生っていう偉い学者さんがいるからな」


 李先生……? その人がキメラ研究をしているということなのか。何者だ……!?

 だが、そろそろ未来の中の警告アラートが鳴り始めていた。これ以上一度に聞くのは怪しまれる――


「ふぅん……なんだか大変そうだね。ハオユーくん、またお話……できるかな」

「えっ? もちろんだよ!」


 浩宇ハオユーは天にも昇る気持ちだった。ミクと話ができたうえに、ちゃんと知り合いにもなれた。しかも、また話がしたいと言ってくれた!


「――じゃあ今度一緒に……ご飯でも……ど、どうかな」

「あぁ! ご飯! いいね!! 外出許可を申請してみるよっ!」

「わぁ、楽しみ……じゃ、じゃあ……また」


 そう言うと未来みくはちょっとだけ手を上げてその場を後にした。

 浩宇ハオユーも無意識に右手を上げ、手を振りながら彼女の後ろ姿を見つめる。男の間抜け面というのはまさにこの時の浩宇のことを言うのだ。


 夢じゃないんだよな……浩宇ハオユーは何度も自分に言い聞かせた。そして今日、研究棟の門番に当たったことを心から感謝した。彼女はきっと、たまたまここに通りすがり、たまたま浩宇ハオユーを見つけて声を掛けてくれたのだ。それから会話を交わす中で、こんなに自然に食事の約束ができるなんて……!

 ああどうしよう!? このことは他の連中には黙っていた方がいいのだろうか……本当は自慢したくて堪らないのだが、下手なことを言うと要らぬ嫉妬を招いたり、下手したらみんな一緒についていくなどと言い出したりしかねない。

 ここは内緒にしておいた方が利口だ。ここでミクと会ったことも、喋ったことも、全部秘密だ。

あぁ! いったい何を着ていけばいいのだろうか!? どこに食べに行けばいいのだろうか!? やっぱりここは自分がリードしなきゃいけないよな!! その前に、まずは外出許可だ! 外に出られなきゃ、デートもできない!!


  ***


 未来が浩宇に仕掛けたのは、いわゆる〈HUMINTヒューミント〉と呼ばれる諜報活動だ。端的に言えば「人を介した情報収集活動」のことである。一般的には情報収集の対象者・組織に自分の身分を偽って関係者のように近づき、話術の中で機密情報を聞きだそうとしたり、施設のごみ集積所やオフィス内のゴミ箱から廃棄された重要資料を拾い出したり――これをスカベンジングと呼ぶ――セキュリティロックのかかった端末や出入口が解錠されるタイミングで密かに後ろからパスワードや暗証番号を覗き込んだり――俗にいうショルダーハッキング――する行為だ。

 20世紀の冷戦時代に、特に共産圏諸国が積極的に仕掛けたのがいわゆるハニートラップだ。色仕掛けで政府高官や高級将校に近付き、寝物語ピロートークで話を聞き出したり、肉体関係を盾に相手を脅迫したりして――いわゆる不倫関係など社会的信用失墜に繋がる弱みを握るということだ――無理やり情報を奪取するなどの行為を指す。

 公安関係者が良く使うのは、日常生活の面倒を見てやるなかで次第に対象がこちらに依存するように仕向け、たとえば借金の肩代わりをしてやるなどの飴を用意しながらなし崩し的に情報を提供させるというやり方だ。いずれも最初は取るに足らないゴミ情報を遣り取りし、相手に「これくらいなら構わないか」と思わせることで情報の授受に対する心理的ハードルを下げておき、頃合いを見計らって徐々に情報レベルを上げていくという手法が一般的だ。


 こうした行為を「汚い」とか「卑怯だ」と思っている者がいるとすれば、その人は相当お人好しか、生き残る努力をしないただの愚か者だ。

 戦場、時に敵地において「情報」とは「血の一滴」であり「命綱」である。その情報を知っていることで生き延びることができ、知らなかったことで命を落とす。

 特に未来みくにとっては「なぜ自分がここに連れてこられたのか」という点を明らかにしないことには、身の安全を図ることができないのだ。ヂャン秀英シゥインは自分を「客人ゲスト」として扱うと約束した。だがいつまで? 何のために? 懐柔して油断したところでズドンとやられたらそこで終わりなのだ。あるいは「死」以上に恐ろしいことをされるかもしれない。日本兵である自分のことを快く思わない者たちも当然いるだろう。

 張の組織における指導力、権力は盤石か? 彼が良いと言ったことでも、彼以上の権力を持つ者、彼に敵対する勢力がこの組織にいれば、その口約束はなんの役にも立たない空証文なのだ。もちろん、用が終わったら無事に返してくれる保証は今のところまったくない。

 この基地の総兵力はいかほどか? 兵士たちは、熟練兵か? 徴発された素人兵か? これが判るだけでも未来の生存確率は大幅に変わってくる。基地内にはどの程度の火器・武装があるのか? 基地の大まかな配置は? これを知っていれば、いつかオメガ小隊のみんなが自分の救出に駆けつけてくれた時、どう動けば作戦成功率が高まるのかが明白になるのだ。逃走ルートも事前に検討できる。

 そして何より、この基地の機密とは何か? 自分がここに連れてこられた理由、目的がそれで判明するかもしれないのだ。


 つまり、今未来みくがやっているHUMINTは、自分の命を賭けた戦いなのである。

 たまたま忍び込めないかと思ってこっそり立ち寄った一画に立番していたあの若い兵士は「この奥は研究施設だ」と口を滑らせた。これはかなりの重要情報だ。だったら彼からもう少し情報を引き出すことができるかもしれない。


 彼との食事の約束は、自分の生存を賭けた戦いなのだ。

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