第108話 戦場のキス

 突然の閃光は集会所の方角からだった。数瞬後、大音響とともに衝撃波がこちらまで押し寄せ、ツンッ――と一瞬耳が詰まる。

 思わずそちらの方を振り向いた士郎とかざりは、白熱した光球が急激に膨張し、やがて消えていく様を目撃した。熱波が遅れてここまで伝わってくる。


「少尉ッ!――あれはっ……」

「――あぁ、集会所のほうだ……各務原かがみはらがいる筈だが……」

「私、見てこよっかッ!?」


 士郎は一瞬ためらった。先ほどからの文の獅子奮迅の活躍で、特殊作戦群タケミカヅチもだいぶ削れてきたような気がする。だが、さすが最強の兵士たちと呼ばれるだけあって、文の規格外の戦闘力があればこそ押し留めていられるのも事実だった。自分ひとりではとてもこの阻止線を維持できる自信がない。

 だが、まゆも心配だった。先に様子を見に行った各務原とは先ほどから無線も通じなくなっていて、向こうの状況がまったく分からない。多脚戦車ハチマル式が向かっていったのも気がかりだった。

 ふぅー、と息を吐くと、文に指示を出す。


「――そうだな! ちょっとぱっと行って見てきてくれ!」

「分かったっ!」


 言うが早いか文はその場でバンッ――と大跳躍をして集会所の方に飛んで行った。そうか、彼女ならひとっ飛びであそこまで届くのか。

 集会所の偵察は文に任せることにして、士郎はあらためて周囲の状況把握を試みる。


 もはや集落はほとんど焼け落ちており、貧弱な木造家屋はただの燃え残りと化していた。士郎がいるのはそんな残骸と瓦礫がたまたまうずたかく積もった一角である。辛うじて遮蔽物となっているそれら残骸に隠れるため、士郎はほとんど地面に這いつくばるようにしてその場を動けずにいた。

 士郎にとっては幸いというべきか、対峙する特殊作戦群の兵士たちもまた、迂闊に動けなくなっていた。先ほどまで文に好きなように蹂躙されたため、彼我の間には、そんな兵士たちの腕や脚、頭部など人体の一部分パーツがいくつも無造作に転がっている。

 痛覚遮断を施された彼らは、銃弾を受けようが腕をもぎ取られようが、ゾンビのようにいつまでも這い廻って攻撃の手を緩めてくれないから、彼らを完全に無力化するには物理的に斬首して絶命させるか脚を切断して動きを止める以外なく、戦場はまるで食肉工場の屠殺場のような様相を呈しているのだ。

 だが、文が今この瞬間ここを離脱していることがバレたら、一気に突撃されていよいよ終わりかもしれないな……そう思ってふと夜空を仰ぎ見た瞬間だった。

 上空から、何か黒い物体が幾つも幾つも降ってくる様子が目に入る。

 あれは――!


 葉巻型のその物体は、ほとんど垂直の軌道で音もなく降り注いできたかと思うと、地面に到達する直前でいきなり下部からアウトリガーのようなものをビンッと何本か張り出し、その刹那そこからドゥッ、とオレンジ色の炎が逆噴射された。直後、今度は葉巻の上部からするするするっと何か紐のようなものが伸びていったかと思うと突然大きな傘がバンッと開き、急激に降下速度を落とす。

 制動傘ドラグシュート

 これは――特殊部隊の高高度降下低高度開傘用鞘HALOポッド!?


 ポッドは次々に地面に到達すると、葉巻の下部を地面にめり込ませ、アウトリガーが支える形でそのまま突き刺さった。その瞬間、流線型の外皮がまるで花弁を開くように四つに分離パージされ、中身が剥き出しになる。

 果たしてポッドの中から出てきたのは、全身黒ずくめの兵士たちだった。その数およそ20、いや30か? 

 特殊作戦群の増援部隊だった。


 直後、上空を超低空で飛行通過フライパスする物体があった。全翼型の無人攻撃機UCAVだ。

 クソっ……結局特殊作戦群タケミカヅチは一個中隊を投入したってことか。しかも、UCAVや多脚戦車まで持ち込んできやがった。小さな国家なら、これだけで首都制圧できるほどの戦力だ。


 もはやこれまでと投降するか――

 それとも、玉砕するか――!?


 今ごろUCAVは俺のことを十字照準レティクルの中に捉え続けている筈だ。

 無人機操縦士オペレーターが遠く離れた基地でコーラ片手にトリガーを曳いた瞬間、懸垂索パイロンを離れた対人誘導弾AHMが正確に俺に直撃し、それで終わり、ジ・エンドだ。

 未だにそれが実現していないのは、無人機操縦士オペレーターならぬ特殊部隊員オペレーターのプライドを守るためだろう。自分たちが死に物狂いで攻めあぐねた鼠を、あとから来た奴が涼しい顔して一秒でくびり殺したら、きっと彼らの自尊心が許さない。馬鹿げた話だと思うかもしれないが、戦場なんてそんなものだ。誰かの気まぐれで誰かの命が繋がり、誰かの思いつきで誰かの寿命が尽きるのだ。


 そんなわけで、士郎は当面UCAVを無視して、新たに地獄に投入された新しい身の程知らずタケミカヅチたちに全力で立ち向かうことにする。


 文から預かっていた背嚢型垂直発射装置VLSのトリガーに手をかける。

 この装置はもともと20キロほどの重量があり、本来なら防弾ベストのヒンジに結紮して胴体に固定するものなのであるが、なにせ士郎はまともな戦闘服さえ着ていない。だからわざわざ幅広の分厚い予備ハーネスを装置の背当て板から引っ張り出して直接上半身に背負っている状態なのだが、両肩に装置の重量がまともにし掛かって疲労した士郎をさらに苦しめている。とりあえず、VLSの弾薬を早いとこ撃ち尽してしまえば、その重みもいくらかはマシになるはずだった。


 前方では、新たな特殊作戦群の一個小隊が続々とポッドから降りてきて、士郎の周囲を環状に取り囲もうとしていた。要するに逃げ場はないということだ。士郎の肩甲骨に埋め込まれている識別チップから発せられているビーコンは、そこにいるのが「石動士郎」だということを彼らに告げている筈だ。だからこの連中が自分に対して攻撃隊形フォーメーションを構築しつつあるということは、自分は元々保護対象でも何でもなかったということだ。今さらながら自分の甘さを嗤うしかない。であれば、投降という選択肢はたった今消えた。戦って、討死するだけだ。

 士郎は胸元で「X」字型にクロスしているハーネスの中心部分にある、赤色の丸ボタンの防護カバーを開ける。装置の火器管制FCモジュールを自分の体内に埋め込んだ情報端末PDAにリンクし、拡張現実AR照準モードを選択すると、眼球に嵌めたコンタクトレンズに小さな赤丸が浮き上がった。

 さらに眼球操作で弾着形状を〈360度効力射〉にセレクトし、瓦礫の隙間から一箇所だけ見通せる穴から、敵との距離情報を取得する。相対距離約27メートル。これで、士郎を円の中心とした半径27メートルプラスマイナス5メートルの範囲でドーナツ状にこちらの火力が面制圧射撃を実施する。文字で書くとしち面倒くさいが、実際にはこの一連の操作を僅か数秒でこなす。


 士郎は間髪入れずトリガーボタンを押し込んだ。その瞬間背中のVLSから数十発の集束クラスター誘導弾が直上に射出される。そのまま鯨の潮吹きのように環状に拡がったかと思うとまるで螺旋機動バレルロールのような軌道を描いて周囲の兵士たちに降り注いだ。

 だが――


 新参の兵士たちは、先行した二個小隊の戦いぶりを十分に観察していたらしい。士郎から誘導弾が射出された瞬間、まるで古代ローマの重装歩兵のように密集陣形ファランクスを形成したかと思うと手甲から白く光る薄膜を展張し、それをまるで大盾のように頭上にかざしてその場に跪いた。薄膜盾は瞬時に硬化したらしく、豪雨のように降り注ぐ集束クラスター誘導弾から弾け出てきた無数の子弾をことごとく跳ね返し、その爆風から身を守る。

 辺りは着弾と同時に地獄の業火のような爆発と黒煙に包み込まれたが、それが収まると兵士たちは何事もなかったかのように悠然と立ち上がった。


 クソっ! 万事休すか――!?

 大火力の攻撃が通じないとなると、とてもじゃないがたった一人で一個小隊の特殊作戦群を押し留めるのは不可能だった。このままでは、あと30秒持たないかもしれない!

 どうする? どうする――!?


 その瞬間、タタタタタタタッ……という乾いた射撃音が響いてきた。間を置かず士郎の周辺に猛烈な弾着礫が巻き上がる。それと呼応するように、今度は別の方角からも同じようにタタタタタッ、タタタタタッと連続して射撃音が響き渡った。四方八方から、士郎に対する一斉かつ圧倒的な銃撃が始まった。それはまるで、今までよくも手こずらせてくれたな、という彼らの怨念が込められたかのような、執拗で悪意の籠った攻撃だった。

 もはや士郎には、目を開けている余裕すらない。必死で全身を強張らせ、死ぬほど小さく縮こまってただ幼い赤子のように丸くなって倒れ込むだけだ。弾着によって地面から弾き飛ばされた石礫がまるでシャワーのように士郎の全身に叩きつけられる。土塊と火薬の臭いがもうもうと辺りを包み、とうとう呼吸すらできなくなって喉奥が猛烈に熱くなり、気が遠くなる。


 突然、士郎の右ふくらはぎに焼き串を突き刺したような感覚が走った。撃たれた。だがそのおかげで吃驚して大きく息を吸い込むことができた。数瞬後、今度は左手を吹き飛ばされて悶絶する。また撃たれた。手の甲をハンマーで思い切り叩かれたような感覚。クワッと目を開けてみると、人差し指と親指だけ残して残りの指三本がどこかに吹き飛んでいた。それとほぼ同時に今度はアッパーカットを喰らったような衝撃が顎に走り、脳が激しく揺さぶられる。顔の下半分に感覚がない。下手すると顎全体が吹き飛ばされたかもしれない。まさに全身を打擲ちょうちゃくされているようだった。

 これは報復だ。俺たちが、奴らの仲間の兵士を無残に惨殺した仕返しだ。奴らは大人げなく、俺をひと思いに殺さずに、少しずついたぶって少しずつ身体を破壊し、嬲り殺しにしたいだけなのだ。また身体のどこかに突き刺されたような痛みが走った。前後左右上下、ありとあらゆる方向から激しく殴打されるような、アイスピックを突き刺されるような、酷い痛みと衝撃が全身を覆い、そしてまた息が出来なくなり、徐々に気が遠くなって、瞼が重くなる。


 まだら模様の途切れ途切れの意識のなかで、ふと周囲の嵐のような銃撃音がいつのまにか消えていることに気付く。地面に不様に倒れ込んだ視界の中に入ってきたのは、兵士の黒いブーツの爪先だった。全身に、刺し込むような痛みが走っていた。多分身体中を撃たれているのだが、どこが痛いのかもう何も判らなかった。手も脚も一ミリも動かせなくて、ただとにかく全身が燃えるように痛い。痛すぎて、息ができなかった。殺してくれ、と思った。

 頭の上で低い声が響く。


「おい、もういいだろう……撃ち殺せ」


 何か硬いものがこめかみに当てられたのだけは、辛うじて分かった。恐らく自分は今、虫けらのように地面に転がっていて、その周りを特殊作戦群の兵士たちが取り囲んでいるのだろう。ライフルの銃口を当てられ、数秒後には惨めに処刑されるのだ。そのあと特殊部隊員オペレーター無人機操縦士オペレーターに向かって親指立てサムアップサインを送り、どうだ俺たちはやっぱり最強だろ、というドヤ顔を監視映像越しにしてみせるのだ。

 士郎はその瞬間を静かに待つ。だが――


 何も起こらなかった。


 いや、何も起こらなかったのは士郎だけだ。

 視界の中の兵士のブーツが突然地団駄を踏んだかと思うと、唐突に横になって靴裏を士郎に向けた。ほぼ同じタイミングで、周囲の他のブーツもみなガタガタと不自然に足踏みしたかと思うとドゥと倒れ込む。

 ん……? 何が起こった――!?


 すると、突然士郎の嗅覚に、とても懐かしくて心地よい匂いがふわりと届く。花の蜜と、柑橘の甘酸っぱい匂いが交じり合ったような――これは……

 その瞬間、士郎は急激に「まだ死にたくない」という思いに駆られる。なぜだか、涙がこみあげてきた。それは間違えようのない――


「く、久遠くおん……なのか……!?」


 すると、何かの気配が士郎の顔に覆いかぶさってきた。姿は見えないが、それはとても安らぎに満ちた存在だった。


「――士郎、遅くなってごめんね……もうだいじょうぶ」


 声だけの久遠は、そのまま士郎の唇に自分の唇を重ねてきた。それでようやく、士郎は自分の顔面がまだ粉砕されていないことを知った。

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