第107話 散華
集会所に辿り着いた
さほど広くない玄関に、折り重なるように倒れていたのは、上半身裸の男と、その男の遺骸の下でやはり絶命している黒ずくめの兵士だった。
覆いかぶさっている男の隆々とした背中には、見事な昇り鯉と桜吹雪の刺青が全面に施されていた。腹には白い晒が巻かれていて、半分以上鮮血に染まっている。右手には、抜き身の日本刀が固く握られ、そのギラリとした刃身の先に目をやると、切先は下敷きにした兵士の口腔にまともに突き刺さり、そのまま後頭部に突き抜けていた。
兵士の致命傷がこの刺突であることに間違いはなさそうだった。よく見ると、その左手はハンドガンを握り締め、刺青男の腹に突き立てられている。昇り鯉の刺青がやけに派手に見えたのは、紅を刺しているのではなく、兵士が撃った弾丸が背中に突き抜けている所為であった。その兵士の右腕は、肘から少し先のところで切断され、頭の上の方に投げ出されている。
すると突然、集会所の奥の方からガタガタッと物音がした。各務原は弾かれたように突撃銃を構え直す。
「――あぁ! 各務原さん……私です、広瀬です……」
両手を挙げながら、
手にはなぜか竹槍を携えている。
「――広瀬さん……!」
各務原はライフルを降ろすと広瀬に駆け寄った。額から派手に流血し、服もところどころ破けて赤い染みがあちこちに広がっている。
「……これはいったい――」
「はぃ……少し前に、軍の兵隊が数人、ここに乱入してきまして……はぁはぁ……後藤の親分が……さっ、刺し違えて……追っ払ってくれたんです……」
刺青男は、この集落の住人だった。広瀬の話ぶりからすると、おそらく元やくざか何かだったのだろう。特殊部隊の兵士を相手に、日本刀で立ち向かったのか……
「……親分は、ここじゃもう堅気だったんですよ……最期は、繭を守って……」
各務原は、あらためて後藤の死に顔を見つめる。それはまさに不動明王のような鬼気迫る形相で、その目はカッと見開き、死してなお相手の兵士を睨みつけていた。各務原はそっと手を添えて彼の瞼を閉じてやり、合掌してしばし瞑目した。
「広瀬さん、ここも危ない……どこか退避できる場所はありませんか!?」
「……といっても、もうどこにも逃げ場所はありませんよ……ここが、最期の砦です」
「そ、そうだ――繭ちゃんは!?」
促されるまま、各務原は一番奥の部屋に通される。広瀬繭が毛布にくるまれて部屋の隅で小さくなっていた。各務原を見るなりうっすらと笑みを浮かべる。だがその表情は青白く、今にも力尽きそうな弱々しさであった。
「あ……各務原さん」
「繭ちゃん! よかった――」
「
「大丈夫、二人とも張り切って戦ってるよ」
遠くから、ズゥゥゥゥン……という爆発音が響いてきて、バラバラっと天井から埃が零れ落ちた。
「わたし……怖くないよ! みんなと一緒だから!」
「…………っ!」
繭の健気さは、みんなを元気づけようとする幼い優しさだ。怖くないわけないじゃないか……各務原は、猛烈に闘志が湧いてくるのを自覚する。
「繭ちゃん! 俺たちは絶対に繭ちゃんを守り切る! だから、もう少しだけ我慢してくれ!」
「……分かってるよ」
そう言うと繭は、ほんの少しだけ悪戯っぽい笑顔を向けた。
「ねぇ、各務原さん」
「ん?」
「各務原さんってさぁ……文おねえちゃんのこと、好きなんでしょ?」
「へっ? あ……えっ??」
突然の直球ストレート質問に、各務原が目を白黒させる。
「隠さなくても分かるよ! てか、バレバレだよねっ」
「えっ!? えぇぇぇーーーっっ!?」
あははっ……と繭が朗らかに笑う。
「――だってさ、各務原さん、いっつも文おねえちゃんのこと見てるもん……」
「そ……そうかな」
「そうだよー! ね、正直に言ってよ、どうなのっ?」
「……うん……まぁ……」
「やっぱり! じゃあね、約束して?」
「え? ……な、なにを?」
「……絶対に、死なないって……」
「……!」
「だってね、各務原さんって今、
「お、おぅ」
「文おねえちゃんは今16歳! だからね、今はまだ犯罪!」
各務原は、じっと繭の目を見つめて、それから大爆笑した。
繭も、嬉しそうに笑う。
「わはははっ! そりゃそうだ!」
「……だからねっ! 最低あと二年! 二年は我慢だよっ! 和也おにいちゃん!」
各務原は、ハッとしたように繭の顔を見て、それから彼女の頭にそっと手を置いた。
「あぁ! そうだな! こんなところで死ねねぇよな!」
その瞬間だった――
雷が直撃したような耳をつんざく轟音とともに、部屋の中に突然、滅茶苦茶な嵐が吹き荒れた。ありとあらゆるものが木っ端微塵に吹き飛び、粉塵が宙に舞う。削岩機のような連射音が辺り一面に響き渡ると同時に壁が崩れ、室内の戸棚や机が見る間に粉々に飛び散っていく。
繭は突然のことに頭を抱えて絶叫するしかない。だがその悲鳴すらまったく聞こえないほど、周囲は激しい破壊音に包まれて、辺りは一瞬にして地獄に変わった。
いったいどれくらい時間が経ったのだろう。実際のところは数十秒といったところだろうが、繭には永遠に思われた猛嵐がようやく収まった。恐る恐る顔を上げると、さっきまで壁だったところは完全に粉砕されて大穴が開き、部屋は原型を留めず残骸と化していた。
ふと気が付くと、繭に覆いかぶさるように誰かが倒れ込んでいる。
「えっ!? おにいちゃんっ! 和也おにいちゃんっ!?」
繭は必死になって各務原の肩を揺する。えっ!? 死んじゃダメだよ!? ねぇっ!!
「……あー、びっくりした……」
各務原が、ぷはーと息を吐きながら顔を上げた。頭から山のように粉塵を被り、半分煤けている。
「おにいちゃんっ!! 良かった!!」
繭がひしっと各務原に抱きつく。
「――あーったりまえだっての! こんなことで俺様はくたばりまっしぇーん!」
「おにいちゃんおにいちゃんっ!」
「おーよしよし」
「怪我はない?」
「おー大丈夫だ……アイツら、重火器持ち出してきやがったな……どれ、おにいちゃん様がちょっくら懲らしめてやっか」
各務原はよろめきながらよっと立ち上がり、繭にウインクしてみせた。
「ちょっと行ってくるから、ここ動くんじゃないぞ……そうだ、しばらく目瞑ってろ……俺が次開けていいって言うまで、良い子で言うこと聞くんだぞ」
「わ、わかった……」
繭は各務原の言いつけを守ってぎゅっと目を瞑る。
「だーいじょーぶだからなー、心配すんなー」
そう言いながら、各務原は玄関の方へ向かう。その背中には、先ほどの機関砲弾が直撃したと思われる深い銃創が二箇所。防爆スーツを着ていなかったら、きっと身体が爆散していただろう。大穴からは、止めようのないほどの大出血が続いていた。
「……気を付けてね……」
背中越しに、繭の声が聞こえてくる。
「目ぇ開けちゃ駄目だぞー」
各務原は、平然と繭に返事をすると、激痛に顔を歪ませながら一歩、また一歩と玄関を目指した。
***
大穴が開いた集会所の玄関口から外を覗くと、数十メートル先にさっきまでなかったはずの黒々とした物体が屹立していた。高さは三メートルほどであろうか。ちょうど中央部あたりに、赤い円形の光が点灯して、せわしなく前後左右に動いていた。物体の周囲はハリケーンの直撃を喰らった跡のように滅茶苦茶で、すぐ傍にあった筈の住居は完全に崩れ去っている。
くそっ、
2080年に陸軍に正式採用された〈八〇式自律型高機動多脚戦車〉――蜘蛛の足を思わせる六本の脚部モジュールの上に、砲塔部分を含む
通常は水陸機動団の上陸作戦や敵拠点の制圧など、ガチンコの殴り合いの時に投入されるマッチョな兵器なのだが、どうやら特殊作戦群は今回こんなものまで投入して、何が何でもこちらを叩き潰すという覚悟を見せたということのようだった。だが裏を返せば、多脚戦車を持ち出さなきゃいけないところまで奴らを手こずらせている、と言えなくもない。
悪くないな……と各務原は思った。物語のクライマックスとしては、悪くない相手だ。
とはいえ、先ほどから続く大出血をなんとかしないと、このままでは何もしないうちに失血による意識混濁に陥ってしまう。各務原はハーネスに取り付けられたメディカルポーチから応急処置用のバルーンカプセルを二個取り出し、自らの銃創の一番深部まで指で押し込んだ。奴らのように痛覚遮断などしていないので激痛に悶えるしかないが、カプセルは血液に反応してすぐに樹脂状に膨張し、弾丸が肉体に穿った穴を一時的に埋めた。これで、取り敢えずの止血は完了だ。ついでにモルヒネを2ブロック、腹部に突き刺す。気付け用のエフェドリンは……やめとこう。
「こちら各務原――
『……ガガガガガ……かがみ……だい……』
空雑だらけの応答に、やっぱり駄目か、と各務原は無線連絡を諦める。恐らく先ほどの攻撃で無線装置がイカレたのだろう。
「――しまっ……!」
突如として多脚戦車の30ミリ機関砲が各務原目掛けて火を噴いた。チェーンソーのようなけたたましい金属音が辺り一帯に轟きわたり、再び絶望が撒き散らされる。さきほどの無線電波が傍受され、自律的に発信源を射撃したものと思われた。
もうもうと舞い上がる粉塵に激しく咳き込みながら、各務原は地面に這いつくばって少しだけ場所を移動した。金属の焼ける臭いに、思わずむせ返る。
すると、多脚戦車が何の前触れもなく六本の脚をガシャガシャと折り畳み、ヤドカリのような形状になると、おもむろに前進を開始した。周囲には黒ずくめの兵士が数人寄り添っている。
戦車の進路上に二、三人の男が立ち上がった。まだ住人が生き残っていたのだ。猟銃のようなものを構えると、パンパンと戦車に撃ち込む。だが、それはまさしく豆鉄砲でしかなく、脚部の装甲にほんの小さな火花を散らしただけで終わった。逆に30ミリが猛り狂ったように浴びせ掛けられ、男たちはあっという間にバラバラに引き裂かれる。
戦車の行き先は間違いなく集会所だった。おそらくとっくに
戦車の脚は節足動物のように蠢いて、あっという間に集会所のすぐ目の前に到達した。
やはり手勢が少な過ぎたな……各務原の思考はグルグルと廻り始める。戦車のさらに後方、つまり文と少尉が戦っている辺りには、相変わらず激しい銃撃音と爆発音が続いていた。特殊作戦群の兵士たちを相手に、彼らは着実に遅滞戦闘を繰り広げ、戦力を一人ずつ削っているのだ。だが数に勝る敵は、並行して本丸――集会所――制圧に戦車を投入してきたのだ。
集落の住民は所詮素人だから、もともと阻止戦の構築などできる筈もないのは判っていたが、こうもあっさりと詰みになるとは。オメガ小隊の仲間たちさえいれば、こんな連中に後れをとることもなかったろうに……
各務原は、グッ……と唇を噛み締める。
自分が、ここを死守するしかない。
ここで
少尉によれば、オメガの実力を見せつけさえすれば、上層部も文の扱いを考え直すに違いないということだった。だったらここで俺が踏ん張ることが、彼女を助ける最善の近道なのだ。
各務原は、超小型誘導弾
すると突然、多脚戦車の前に一人の男が飛び出してきた。腕に何か棒のようなものを握り締めている。あれは――
「広瀬さんッ――! 駄目だッ!!」
男は、竹槍を抱えた広瀬耕作だった。「うおぉぉぉぉっ!!」という雄叫びを上げながら多脚戦車に突っ込んでいこうとして……あっという間に30ミリの餌食になった。一瞬にしてその上半身が滅茶苦茶に破壊されたかと思うと真っ赤な
「クッソぉぉぉぉーーっっっ!!!」
各務原は迷わず多脚戦車にレーザー照射すると、同時にVLSの引き金を引いた。
バシュシュシュシュッ――
誘導弾が連続して発射され、火炎を引きながら戦車目掛けて一斉に飛翔していった。
と同時に多脚戦車の30ミリが各務原の位置目掛けて猛然と応射を開始する。巨大なチェーンソーが空気を切り裂くような轟音が辺り一帯をつんざき、それとほぼ同時に誘導弾が戦車に直撃して大爆発を引き起こした。辺りに熱風がゴォッと広がる。
各務原の両脚は、完全に吹き飛んでいた。太腿のちょうど半分あたりから先が、怪物に無理矢理引き千切られたかのように失われていた。防爆スーツが止血しようと彼の太腿をギュウギュウ締め上げていたが、もはや焼け石に水のように思えた。
「両脚と……引き換えか……安くない……」
息も絶え絶えに各務原が毒づく。だが、これで
ま……さか……
動いていた。
多脚戦車は、上部砲塔部分がメラメラと炎上していて、その装甲は一部に亀裂が入って中の機関部分が剥き出しになってはいるものの、まだしっかりと動いていた。
おまけにその主兵装の
――ここでビビっちゃ……男が廃るよな……
各務原は仰向けに横たわったまま、辛うじて動く右手を胸の上に置く。
痴漢呼ばわりされた、文と初めて出逢った日のこと
戦闘中も訓練中も、いつも軽口を言い合って笑い転げていたこと
原宿での買い物で、死ぬほど荷物を持たされて文句垂れまくってたこと
あの日――泣きじゃくってどうすればいい? と聞いてくれた時のこと
すべての瞬間が輝いていて――いつしか俺は……お前が好きになってたよ
「かざりッ……」
多脚戦車が各務原の真上に到達した。30ミリの砲身を真下に向ける。
それと同時に各務原の親指が、VLSの飽和射撃モードボタンを押し込んだ。
その瞬間――
倒れ込んだままのVLSは射出蓋をクローズしたまま無数の白
あらゆるものを焼き尽くし、燃焼しつくす巨大な白燐弾の光球が、多脚戦車を包み込み――
そして、周囲10メートルほどの範囲にある、あらゆる物体を呑み込んで、消失した。
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