第92話 約束

「――そっか……余命一ヶ月は結構きっついな……」


 月見里やまなしかざりの隣に腰掛けた各務原かがみはらが呟いた。駐屯地のメインストリート沿いにぽつんと置かれた白いベンチ。彼女の話をひととおり聞き終えると、辺りはすっかり紫色の空気に覆われていた。遠くに見える街の向こうが、真っ赤に染まって一日の終わりを告げていた。


「ねぇ……何とかならないかな? あと一ヶ月って言っても、一ヶ月って意味だよ? もしかしたら半月後かもしんないし、あさってかもしれない――時間がないんだよっ」


 文は必死に各務原に訴えかける。


「……と……言ってもな……専門家の医者が、その……これ以上は難しいって言ってんなら――」

「だって! 納得できないよっ!! あの子まだ11歳なんだよ!? ……なのに……このまま枯れ木みたいに……力尽きるのを待つだけなんて……」


 文が涙声になる。さっき辛うじて彼女の笑顔を引き出した各務原の神通力も、あっけなく砕け散った。あまりにも重い……重い話だ。


「……あのさ、気を悪くしないで聞いてほしいんだが……」

「……なに……?」

「……人間誰しも……いつかは、その……死ぬんだ――」


 パシィーーン!!!


 突然だった。各務原は、一寸遅れて自分が文にビンタされたことに気付く。

 目の前には、まるで猛禽のように鋭い視線で自分を睨みつける文の顔があった。肩を大きく上下させ、僅かに開いた唇から激しい呼吸音が聞こえる。


「なぁ! 聞いてくれ文ちゃんっ……俺らが今考えなきゃいけないことは、繭ちゃんをどうやって助けるかってことじゃない!」

「何言ってるかわけわかんないっ! 私は彼女をなんとか助けたいって言ってんのっ!」

「だからっ!」

「もう! 何なのよっ!! 役に立たないならあっち行ってっ!! 相談なんかしなきゃよかったっ!!」


 文の怒鳴り声には、既に涙声が混じっていた。日頃快活で、いつも笑顔の彼女からはとうてい想像もできない姿。こんなに感情豊かな子だったっけ? と各務原は余計なことを考える。


「文ちゃん! 繭ちゃんはもう手遅れなんだっ! 今さらどうしようもないんだよ」

「何よ手遅れって! 私たちがPAZ出身の棄民あがりだからっ!? ろくに病気も見てやれなかったオマエが悪いって!?」

「そんなこと言ってねぇだろうがっ!」

「言ってるよっ! 私たちはあんたみたいに恵まれた都市域ミッドガルドで暮らしてたわけじゃないのっ! 生きるのに精一杯だった生活なんて、あんたに想像できるっ!!??」

「――できるよ」

「はっ?」

「できるさ。PAZの暮らしの厳しさくらい……」

「嘘っ! あんたはどうせ想像でものを言ってる! 兵隊が武装してPAZに乗り込んで、ちょっと見たことがあるくらいでしょっ!!」

「――違うんだ」

「何がっ!?」

「俺も――棄民あがりなんだ……」

「……はっ! ――え?」


 唐突な告白に、文は一瞬思考停止に陥る。棄民あがり? どういうこと?


「……俺は、棄民あがりだ。都市域ミッドガルドからの追放者だよ……だからPAZの暮らしが厳しいってことくらい……分かる……」


 突然のことにどう返事していいか分からなくなった文は、ぽかんと口を開けたまま各務原を見つめ返す。その顔に、困惑の色が広がっていく。


「……俺さぁ……17の頃、憲兵隊に捕まって……市民権剥奪されて……そんでUPZの再教育キャンプに送られたんだ」

「……そう……なんだ」


 辛うじて返事をする文の顔から、あからさまに毒気が抜けていくのが分かった。


「渋谷で暴走族が憲兵隊に捕まんの、見ただろ……? 俺もアレと同じさ」

「……暴走族だったの?」

「いや……俺の場合はちょっと違う。単なる走り屋だよ。でも、憲兵隊ヤツらは俺の仲間を平気で撃ち殺して……俺自身は捕まって……それからは地獄の日々さ……」

「って、結局悪さしてたんじゃない……捕まったのは自業自得だよ」

「ぐっ……で、でもあの時……俺らはそれこそ族の連中を狩ってただけなんだ。街のゴミ掃除だよ。だけど連中は、族も俺らも一緒くたにゴミ扱いしやがって……」


 文は、渋谷騒動の際、かがみんが醸し出していたなんとなくシニカルな言動を思い出した。そういうことだったのか……


「――とにかく俺はそれから二年間、UPZで汚染土の処理作業やらいろんな土木作業やらに従事してたんだ。被曝の恐怖に毎日晒されながらな……

 UPZあそこには、いろんな奴が送り込まれてきたぜ……俺たちみたいに粗暴犯として捕まった奴、定職にも就かずにゴロゴロ家で引きこもってた奴、それから刑務所の囚人。あと、よく分かんねぇ元政治家だか評論家だか、声ばっかりでけぇ奴……

 そんで、そんな連中がみんな、昼間は肉体労働、夜は変な教室みたいなところで小難しい話を聞くんだ。当然、反抗する奴やズルする奴、逃げ出そうとする奴がいっぱい出てくるんだが、そんな奴らはあっという間に捕まって、そんですぐいなくなるんだ。どこに行ったのかは知らねぇけどな……

 で、当然メシはマズい。俺たちみたいな連中に食わせるもんはねぇとばかりに、ニセ飯しか出ねぇ」

「ニセ飯?」

「ああ……普通の白米じゃなくて、なんかよく分かんない成分の、形だけ米みたいなプルプルした食いもんだ。それに固形のブロックみたいな奴が一個、唯一のおかずだ。みんなはアレ、ゴキブリやミミズをペーストにして固めて作ってるって噂してたけどな」

「うぇっ……」

「――で、歳食った奴もいっぱいいたが、風邪ひいたくらいじゃ誰も何もしてくれねぇ。たいていの新入りは最初の一週間で酷い下痢になるんだが、そんなのもほったらかしだ。手や脚の骨を折ったり、なんかの病気でぶっ倒れて意識不明になったりしたくらいでようやく連れてかれるんだ。でもそういう連中も、戻ってきたためしがない。どうせまとめてみんなどっかに捨てられるんだって周りは言ってた」

「……それ……PAZよりも酷いかもしんない……」

「そうかもな……そんで俺は考えた。なんとかこの地獄から這い上がる方法はないかってね」


 各務原の目は真剣だった。真っ直ぐに、文を見据える。


「這い上がってきたんだね……」

「あぁ。だから今俺はここにいる。――UPZから抜け出す方法はたったひとつ」

「……」

「――軍に入ることさ」


 そう言って各務原は来ていた戦闘服の襟をしゅっと引っ張った。


「軍には……入れる仕組みがあったんだ……」

「ああ、日本はいつでも兵隊の数が足りねぇからな……俺みたいに若い奴は、軍に行けばこのゴミ溜めから抜け出せるっていつも言われてた。市民権も返してもらえるって」

「だからかがみんは兵隊になった……」

「そうさ。いっちばん下っ端の、二等兵から始めるんだ。そんで鬼みたいな基礎教練を終えたら問答無用で最前線に送り込まれるんだ……ていのいい弾避けだよ」

「……大変だったんだね」

「……まぁね……俺の周りのUPZ上がりは、みんな馬鹿みたいにコロッと死んでった。しょーもないバカ隊長の、クッソくだらねぇ命令のせいでな。まぁ、もともと俺らは弾避け要員だから、危ない場面ではいつも駆り出される役回りだ。俺たちの命なんて、紙きれ一枚の重みもなかったよ」

「……かがみん……でも今生きてる……」

「ああ、モチロンさ。俺はそう簡単にくたばらねぇ。それに――」

「……それに……?」

「……まぁ、今の隊長……石動いするぎ少尉は、ああみえて滅茶苦茶まともなんだぜ。少なくとも、俺が大陸で奉公した三人の小隊長のうちじゃあ一番だ。確かに経験不足で少々覚束ねぇけど、ここぞってところの攻め手と引き際を心得てる」

「かがみんも少尉のことは買ってるんだ!?」


 大好きな少尉のことを思いがけず褒めてくれて、文はちょっと嬉しくなる。同時に、先ほどまでのイライラが不思議なほど収まっていった。


「――要するに俺が言いたいのは……人間どんなに頑張ってても、死ぬときゃ死ぬ……ってことだ。これは、そいつの頑張りとか、苦労とか、気持ちとかとは一切関係ねぇ話だ。どんなに理不尽だと思っても、それはどうしようもねぇ運命なんだ。

 だから、そいつが死ぬって時は、そのこと自体を嘆くんじゃなくて、そいつに、ああ、いい人生だったな――って思わせてやることが大事なんだ。ホントは死ぬのは嫌なんだけど、まぁでもコイツが泣いてくれるからいいか、とか、自分のお陰で仲間が助かるんなら元は取れたな、とか、そういうことを最後に考えて安心して死ねるようにしてやることが、生き残る奴の心構えなんじゃねぇかな……って思うんだよ」

「……安心して、死ねるように……」

「ああ、だから繭ちゃんのことは残念だけど、今俺たちが考えなきゃいけねぇのは、その子が最後に心残りなく、満足して逝けるようにしてやることなんじゃねぇか……ってな……」


 ――繭ちゃんの……心残り……

 文は必死で考える。

 そして、はたと思い当たった。思い当たってしまった……


「……かがみん……私、何をすればいいのか、判った気がする……でも……」

「……でも……?」

「それって……絶対に叶わないことなんだ……」

「カネなら少しくらい貸してやるぞ?」

「もう! そんなことじゃないっ!」


 そう言って、文は微笑みを取り戻す。

 各務原が、グイっと文の肩を掴んで真正面に向き直らせる。


「文ちゃん……俺、こんな感じでいつもはチャラいけどさ……仲間思い……ってとこだけは誰にも負けねぇって思ってるんだ。

 だからさ、もし今回の繭ちゃんのことで、どうしてもお前がやりてぇってことがあるんなら……俺は手伝うぜ」

「……ホントに……!?」

「ああ、本当だ」

「……怒られるようなことでも……?」

「そういうのはぶっちゃけ慣れてるしな」

「……約束――できる?」

「ああ、約束だ」


 各務原は、文をじっと見つめて――そしてふわっと彼女の髪を撫でた。

 一瞬、気持ちよさそうに目を瞑る文。


「文ちゃん……俺いま、ちょっとイイ男っぽくね?」


 そんな各務原を、文は黙って見つめ返す。

 ほんの少しだけ、白くてぷっくりと膨らんだ頬が、薄桃色に色づいた。


「――ぷっ! ぷははははっ!」


 突然笑い出す文。


「ちょ! なんだよそれぇ!?」

「あははははっ!」

「へへっ! わははははっ」


 辺りはすっかり暗くなり、気の早い鈴虫が心地よい音色を奏でていた。

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