第88話 シンクロニシティ
「東子ちゃん、オメガ小隊が初めて
「――ああ、もちろんだ。あの時は
「その時の戦闘詳報がここにある」
そう言うと叶は自分のデスクの天板モニターを操作して皆に見えるよう
すると、ピピピピピッとテキストデータがスクロールして、当時の記録が空間に表示された。
「戦闘詳報」とは、個々の戦闘単位での作戦行動を時系列で記録した、軍の公式戦闘記録だ。いつ誰が何をどうしたのか詳細に記されているほか、敵の戦力評価、双方の交戦状況、そして戦果や損害までをも網羅している。これらの記録を積み重ねることで、作戦評価や戦訓、ひいては新たな戦術等を導き出すことを目的としたものだ。
日本では明治の近代化以降、帝国陸海軍をはじめ自衛隊、さらには国防軍時代に至るまで、戦闘単位ごとに必ず作成するよう義務付けられており、今や膨大な戦闘詳報が蓄積されている。それらはすべて軍のデータベースに登録されていて、日々分析評価に用いられている。
これが当時のオメガ小隊の戦闘詳報だ。
〔陸軍参謀本部直轄特務中隊〈E-03〉オメガ実験小隊〈特-006〉戦闘詳報第203号〕―機密―
▽日付:2089年4月21日
▽主な作戦展開地域(A域):中国東北部-トンペイ平原/北緯45°45’56”東経124°54’52”地点
(
▽作戦参加者:現場指揮官/新見千栞少尉(文責) 隊員/水瀬川くるみ一等兵曹、蒼流久遠一等兵曹、神代未来一等兵曹、西野楪二等兵曹、久瀬亜紀乃二等兵曹、月見里文二等兵曹(計7名)
▽作戦行動の経緯:
―(省略)―
1531本小隊はA域から南南東約20キロ地点を警戒偵察中のところ、前方哨戒線右翼担当・神代未来一等兵曹より報告あり――付近に交戦中の友軍ありと認む。
1532指揮官新見は上記報告を受け直ちに無人偵察機を発進させると同時に小隊前哨基地に想定される対象部隊の確認を要請。
1533前哨基地より入電。周辺に友軍展開の報告なし。同時、神代兵曹より当該友軍部隊からの救援要請を受信との追加報告あり――
「ここだよ! この『救援要請を受信』というくだり――」
叶がレーザーピンを該当箇所に当てる。
四ノ宮が反応した。
「ああ、確かに『要請』であって『信号』ではなかった」
ようやく士郎はその違いに気付く。確かに通常は『救援信号』だ。交戦中、付近の友軍に支援要請をかけること自体はよくある話だ。だが昔と違い、呑気に無線で平文の会話を交わすことはない。戦闘が熾烈であればあるほど現場は戦闘に集中するため、支援要請は緊急ボタンひとつで送るのがセオリーだ。ましてや「支援―」ではなく「救援―」ということは、それこそまさに部隊が壊滅に近い損害を被って急を要していたことを意味する。
事実この時、士郎の小隊はあと一歩で全滅するところだった。忘れようにも忘れられない苦い記憶。士郎自身も田渕軍曹に
「――続きを読んでくれ」
そう言うと叶はさらに戦闘詳報の続きをスクロールしていく。
1535神代兵曹より意見具申-当該友軍部隊救出の要ありと認む。小官は対象部隊の確認に努めるも救援信号を受信せず。神代兵曹の錯誤を疑う。
1536広域偵察飛行中の無人機から周辺半径15キロ以内に戦闘の形跡なしとの偵察結果。上記二点を根拠とし、当該部隊は存在せず神代兵曹の錯誤と判断。小隊には引き続き通常偵察に復帰することを命ず。同時、神代兵曹から重ねて当該部隊救出の要ありとの意見具申――
士郎はこの記録を見て戦慄する。あの時、自分の小隊は存在せず、と認識されていたのか……。
確かにあの集落に立ち寄ったのは偶然で、出発前に行動計画書に記したパトロールルートからは外れていた。それに、集落の四方には、大きなホイップアンテナが立っていた気がする。何らかの電磁的カモフラージュのためのジャミングアンテナだったのだろうか。
あのまま見捨てられていたらと思うと……
「――この部分、なぜ未来ちゃんは石動小隊の存在を否定されたにも関わらず彼らの実在を確信し、しつこく石動君の救出を希望したのだろうか」
叶の問いかけに四ノ宮が答える。
「あの時未来は、彼を助けないと自分が壊れてしまう、と意味不明の発言をしたのだ。それで、そんな部隊は見当たらないと言ったら、私には居場所が分かる、とも言った」
戦闘詳報には続けてこう書かれている。
1540現場で神代兵曹を説得するも不調に終わる。このため部隊指揮官に現状報告、指示を仰ぐ。
1545部隊指揮官より
1557約20キロ北北西へ進出、肉眼で交戦地点を把握(A域)。当該部隊を目視で確認する限りにおいて
「――この通り、実際には石動小隊は実在していて、未来ちゃんの言ってることの方が正しかったわけだ。おそらく何らかのジャミングで敵が電磁防壁を張っていたのだろう――捜索レーダーでも発見できなかった彼らを未来ちゃんが数十キロも離れた地点から見つけられた理由は?」
叶はさらに四ノ宮に詰め寄った。
「……それは……正直よく分からん……未来自身は石動少尉の感情と繋がった、と言っておったが、そんな超能力みたいな――」
「それだよ! まさにその小さな一言が、今回の現象に繋がる最初の小石だったんだ!」
我が意を得たり、とばかりに皆を見回す叶。
「ズバリ聞こう! ――石動君、君はあの時、未来ちゃんのことを少しでも考えなかったかい?」
「……え? い、いや……そんなことは……だって、未来のことはあの時点で一切知りませんでしたし……」
士郎は、なんとか当時の記憶を呼び覚まそうとする。完膚なきまでに叩き潰され、多くの隊員を失った、苦すぎる記憶。
追い詰められ、絶望し、恐怖し、我を忘れ……そして……最後は覚悟した――
覚悟……?
そういえばあの時、走馬灯のように家族のことを思い出していたっけ。父と母、そして妹の
そして――ほんの一瞬だけ脳裏に思い浮かべた……初恋の――天使。
そうだ……天使……あれは結局未来のことだった。
あの時は知る由もなかったが――そう言われれば確かに神代未来のことを一瞬だけ、考えたと言える。
「――少佐! 前言撤回します……それが未来だという自覚はありませんでしたが……結果論として確かに彼女のことを少しだけ思い浮かべたかもしれません――」
「ビンゴっ!!」
叶はつかつかと前に歩み寄り、身を屈めるとソファーに座る士郎の手を握った。
「石動君、君はおそらく軍に入る以前に未来ちゃんと何らかの濃厚接触があったのだ。――調査したところ、彼女が発見・保護された日に、同じ地域で石動君も遭難者として救助されているね?」
「――は、はい。小学生のころ立入制限区域に誤って迷い込み、捜索隊に発見収容されたのですが、その直前に小官を発見して応急処置をしてくれたのがまさに未来でした」
「なるほど……ではその時に……なんらかの体液交換を行った可能性があるね……」
「……そ、それは分かりませんが……」
「当時の
「……はぁ……」
それ以上の詳しいことは残念ながら士郎には分からない。さすがに今から十年ちかく前の話だし、当時士郎は小学生で意識も朦朧としていたはずだ。
「いずれにせよ、石動君は未来ちゃんと何らかの繋がりをあらかじめ持った状態で、あの戦闘のとき一瞬とはいえ彼女のことを思い浮かべた……その感情を向けられた未来ちゃんが、仕組みはどうあれ君の感情と繋がった、という風に考えるのが自然だと思う」
「――感情が繋がると、何が起こるのだ?」
四ノ宮が問いかける。
「おそらく、当時の彼の喜怒哀楽の感情はもちろん、もしかしたら視覚や聴覚など五感も共有した可能性がある」
「離れたところにいながらにして、石動と同じ景色を見ていた……ということか!?」
「そのとおり――まさに石動君と未来ちゃんは、精神も肉体も一時的に
先ほどから身じろぎもせずにじっと話を聞いていた蒼流
「……叶少佐……でも私は昨夜士郎さ……石動少尉と同期した、というよりは、目の前に彼の実体を認識した……というのが正確な状況です」
「わ、私もそうです! 士郎……少尉は間違いなく自分の目の前にいて、実際に触れることができました」
叶は二人に向き直った。
「そりゃそうさ……君たちにはまだ石動君の精神と完全同期する条件が整っていない」
「だったら――」
「その前段階なんだと思うよ……現実空間では体液交換を行っていないのだろう?」
「……それは……本当のところは分かりませんが……」
少しだけ久遠が不服そうな顔を見せる。
「話をさっきの妄想現実に戻そう――おそらく君たちは、石動君の実体がそこにいる、と感じ、実際にそれを観測した。彼を観測したことで、実際に石動君は君たちの前に実体化した――」
「ちょちょちょっ……ちょっと待て元尚! 途端にわけが分からなくなってきたぞ!?」
四ノ宮が目を白黒させる。
「観測したから実体化した――とはどういうことだ……? それに、そもそも観測と言ったって……実際にそこにいなければ観測もクソもないだろう??」
叶が、
「東子ちゃん――この現象こそまさにオメガのオメガたる所以なのだよ……
量子力学の世界へようこそ――」
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