第87話 妄想現実
「いや、実に興味深い……これは下手をすると世界的にも稀な実証データかもしれないよ」
陸軍研究所・オメガ研究班長の叶
コンソールの向こうには大きなガラス窓が壁に嵌め殺しになっていて、さらにその向こうには大陸の前哨基地でも見かけた医療用ポッドが並んでいる。そのうちの二台の中に入っているのは、蒼流
二人とも、前夜の出来事を「事実」と主張していた。もちろん
西野
問題は、士郎自身の記憶が曖昧となった深夜の時間帯において、二人のオメガが共に「士郎と深い仲になった」と主張している点である。
当初は、ライバルと化した二人がお互いを牽制するために、虚偽の主張をしたのではないかとの疑惑も浮かんだが、その後のヒアリングにおけるそれぞれの供述があまりにも迫真性を持っていたことと、時系列や行動説明に何ら矛盾がないことで、いよいよ科学的データを元に検証せざるを得なくなったのである。
まず確認されたのは、オメガ専用隊舎内通路の監視カメラ映像である。そこには、リビングからバスルームに向かう士郎と、それを追いかけて入室していくくるみの姿が映っていた。もちろんバスルームそのものには監視カメラは付いていないが、その後慌てて久遠や亜紀乃、
その後士郎が久遠の寝室にオメガたちによって運び込まれる映像も映っており、これも彼女たちの証言通りであった。問題はその後だ。
オメガたちの個室が立ち並ぶ通路を監視するカメラには、朝まで誰も映っていなかったのである。
つまり、士郎は久遠の部屋に入ってから、一晩中一歩も部屋の外に出ていなかったということだ。これは、くるみの証言と矛盾する。くるみは「夜中に士郎さんが私の部屋に入ってきた」と供述したが、事実は異なっていたということだ。
だから、この時点でくるみの狂言である可能性が一気に高まった。そこで今度は彼女の医学検査を行うこととした。
すると驚くべきことに、くるみの体内から士郎のDNAが検出されたのである。
これにはくるみを除く全員が驚愕した。もしかしたら入浴中に既に行為が行われていたのではないかと改めてくるみに事実確認を行ったが、彼女は「入浴時には特に何も起きていない」と証言。これには士郎も同意であった。
念のため久遠の医学検査も行われた。すると当然ながら彼女の体内からも士郎のDNAが検出された。士郎自身は「記憶が曖昧だ」と言って明言を避けたが、久遠の場合は恐らく就寝中に行為が繰り返されたのであろう――という当たり前の結論になった。久遠の身体中に残る物理的痕跡からも、それは明らかであろうと思われた。
そのうえで、最終的に三人の記憶と感情のログを解析したのである。
すると、またもや驚愕の事実が明らかになった。
士郎の記憶ログに、二人との濃厚接触の記録が一切見つからなかったのである。
記憶ログとは、対象の大脳に埋め込まれたデータチップに記録されている脳波と微電流の記録データのことである。オメガたちはもちろん、士郎や他の小隊員たちにもチップは埋め込まれていて、これは普段であれば戦闘ログ解析などに用いられるものだ。ここに保存されている各種データを解析することで、本人に記憶がなくても任意の時間帯の行動や思考が再現できる。
だから、士郎の記憶ログに行為の記録が残っていないということは、とりもなおさず科学的には間違いなくそういう行為は行われていなかったということだ。
ではなぜ、二人の体内から士郎のDNAが検出されたのか。
真相を知る最後の手段として、現在くるみと久遠については通常の倍以上の時間をかけてデータ解析を詳細に行っている、というわけだ。
「石動君、君が先ほど言った〈夢〉の話だが……」
「はい……」
「その〈夢〉には色や匂い、感触があったと言ったね」
「はい、とてもリアルで……むしろ夢の中の出来事の方をよく覚えているくらいです」
「……それが〈夢〉だと気付いたのはいつだい?」
「……最初は……えと……久遠の部屋で最初に目が覚めた時です」
「その時の〈夢〉の中の相手は?」
「くるみでした……その……とても親密な雰囲気だったと思います」
「久遠ちゃんも〈夢〉に出てきたかい?」
「――はい。今朝目が覚めた時に、というかその……目が覚めたことで、それまでのことが夢だったんだと初めて気が付いたんです」
「……ほう。とすると、自分ではそれまで覚醒して行動していたつもりだったんだね」
「そうです。久遠は……久遠とは、自分は極めて親密な関係を持ったという自覚がありました……逆に途中で目が覚めたことで訳が分からなくなって……」
「目覚めた時、久遠ちゃんの様子はどうだった?」
「横で眠っていました……それで、やはりさっきまでのことは夢だったのかと思ったのです」
「――なるほど……その言葉で私は確信が持てたよ。そろそろ二人も目覚める。謎解きといこうじゃないか」
***
「
三人が、同時に声を上げた。
叶少佐の研究室。
中央に置かれた長ソファーに、士郎、くるみ、久遠が腰掛けていた。叶は自分のデスクに座り、説明を始めたところだった。自慢の水出しコーヒーのサイフォンがポコポコと音を立てている。一人掛けに座って苦虫を嚙み潰したような顔をしているのは、オメガ部隊の現場指揮官、四ノ宮少佐だ。
「また妙なことになっているんじゃないだろうな――
四ノ宮が、鋭い視線で叶を追及する。
「もっ……もちろんだとも! 今回のことは……そう! 実に興味深い……オメガ研究に更なる発展をもたらす可能性が極めて高いのだよ――」
「なら良いが……うちの隊員をキズものにしないでくれよ……特に隊員同士の揉め事は困る!」
その言葉に、三人がビクっと反応する。結果的に、士郎の取り合いのような雰囲気になっているのは事実だからだ。いうなれば「正妻の座を賭けた争い」とでも言おうか。
西野楪や、何より神代
だが二人にとってはそれでもなお……士郎にとって「自分が一番」の存在になりたいのだ。
こんな気持ちになるのは生まれて初めてなのだ。他の人のことなんか考えている余裕はない。
「――では……話を元に戻そうか」
叶は皆を一通り見回すと、あらためてゴホンと咳払いをする。
「――
といっても一般的には、何かの物体がその場に本当に現れたりするわけじゃない。多くはその人の頭の中で妄想した怪物や風景が、あたかも目の前にいるかのようなリアリティをもって本人が認識してしまうことを指す。
フェニルアミノプロパンやアンフェタミン、一部のアルカロイドなどに含まれる幻覚作用などによって、本当は存在していないのに、脳がそれを実在すると間違って認識してしまうんだ」
「……薬物中毒者の副作用のようなものでしょうか」
士郎が確認する。先ほど叶が列挙した薬物は、覚醒剤などの主成分だ。
「その通り。だがその妄想は、実際にその人の身体を傷つけたりする。よくあるのが、自分の皮膚の下で無数の虫が這い廻っているような〈
だが、中には薬物治療のために病院のベッドに拘束された状態――つまり、自分の身体に物理的に触れられないという状況下でも、身体中に無数のミミズが這ったような傷痕がくっきり出てしまう人もいる」
「……そんなことが……」
くるみが驚いて思わず声を上げる。
「――ああ。実際には存在しないものを実在すると脳が思い込んでしまったせいで、身体が実際に傷つくんだ。虫に皮膚が切り裂かれたと感じたら、実際にその部分が裂けて出血やミミズ腫れを起こす……こういう現象自体は昔から知られていて、悪魔憑きと呼ばれていたようなケースは、実際には大半がこの妄想現実だったと言われている」
「――つまり元尚が言いたいのは、思い込みのせいで実際に身体に反応が出るケースというのが昔からあるから、今回の久遠とくるみの場合もソレなんじゃないか、ということか!?」
四ノ宮が口を挟む。つまり今回の件は二人の思い込みだったと……まぁそういうことが言いたいのだろう。
横で聞いていた久遠とくるみが、その結論を察して同時に気色ばむ。
私の妄想だったということ!?
ところが叶は意外な反応をした。
「東子ちゃん、結論は急いじゃいけないよ……それじゃあ何故二人の体内から石動君のDNAが検出されたんだい? 自分の脳は騙せても、さすがに他人のDNAは自力で複製できないよ」
そう言うと、叶はもう一度全員を見回した。
「――ここからが本題なんだ」
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