第68話 奇策

 八重垣たち日本大使館の面々は、世界に向けて大見得を切った。


「日本国政府はパリじゅうのアラブ人を保護する用意がある」

 ――この宣言は、瞬く間に世界中を駆け巡り、同時にパリのあちこちで暴徒に襲われて逃げまどったり身を隠したりしていた多くのアラブ人たちの耳に入ることになった。

 彼らにとってはまさに「地獄に仏」だったに違いない。

 

 やがて、日本大使館の周辺には多くのアラブ人たちが姿を見せ始めた。

 洋介の中継映像はそうした光景も逐一映し続ける。


 フランス政府は難しい対応を迫られることとなった。


 暴徒によるアラブ人への迫害に対し、今夜の治安部隊は見て見ぬふりを決め込んでいた。彼らの怒りが政権に向かわないよう、ガス抜きを図るのが今回の方針だったのである。

 したがって警察官たちが街角に立っていたのは「アラブ人の保護」のためではなく、もっぱら「フランス人の財産を守るため」だ――もっとも沿道の多くの商店が焼き討ちされていたから、それすらも果たせていたとは言えないが――。

 ところが今やパリ市内の様子は、忌々しい日本のメディアによって全世界に生配信されていた。

いまここで治安部隊がアラブ人たちへの暴行を容認している姿が世界中に晒されたら、フランスの威信は地に堕ちてしまうのだ。

 やむを得ず、パリ警視庁は日本大使館へ向かうアラブ人たちの隊列と、暴徒たちの集団を引き離すしかなくなった。

 治安部隊の壁の向こう側では相変わらず暴徒たちがいきり立ち、罵声を浴びせていたが、今までとは一転、治安部隊に守られる格好になったアラブ人たちは、足を引きずりながら日本大使館を目指す。

 そんな光景が、市内のあちこちで見られるようになった。


  ***


「坂本君、アラブ人たちの収容は順調に進んでいるようだね……」


 八重垣大使が駐在武官の坂本中佐に話しかけた。


「――はい。この先いったいどれくらいの人数が集まるのか分かりませんが、国防省は最終的に彼らをすべてフランス国外に脱出させる準備を進めています。ただ……」

「ただ……何だね? 問題があるなら共有しておきたい」


 八重垣は腹をくくったせいか、もとの冷静さを取り戻していた。

 本来この人は有能なのだ……坂本は密かに思う。


「……このまま避難民が増えますと、大使館の備蓄食糧がもたないかと思われます」

「……!」


 そうだ……! なぜこんな大事なことに気が付かなかったのだ!? 事務次官の「面倒みきれるのかね?」という言葉が頭の中を駆け巡る。


「……それにもうひとつ。難民保護のために我が軍が急遽差し向けた輸送機の着陸許可をフランス政府が拒否しているのと、同じく現在当地に向けて航行中の我が艦隊への補給を西側各国がサボタージュしております」


 なんということだ……。

 八重垣はあらためて自分が茨の道に踏み出してしまったことを痛感する。

 確かに今回の一件でフランス政府は世界に恥を晒した。輸送機への着陸許可を出さないのは日本への意趣返しだろう。だが、他の西側各国までフランスに同調して稚拙な妨害行為に及ぶとは……。

 いま、西側諸国は例外なくアラブからのテロに怯えているし、移民問題に悩まされている。そういう意味では、各国ともフランスと似たり寄ったりの国情であることに間違いはない。

 多くの中小西側国家が、アメリカの巨大な軍事力で庇護を受けているから、現在アラブと敵対している米仏など大国の意向を忖度するという気持ちは理解できなくはない。

 だが今回はあくまで「人道上の措置」なのだ。日頃「人権」とか「正義」を振りかざしている連中が、一皮剥けばこの有様だ。


 それに、一番問題なのは霞ヶ関だ。

 本来ならこういったトラブルが起きたら、本省が全力でバックアップして各国との調整を図ってくれる。場合によっては政治の力で話をつけたりするのが常道なのだ。

 だがこうして問題が表面化しているところを見ると、いま八重垣は本省から見捨てられていると思った方がいいだろう。

 要するに「どこまでやれるかお手並み拝見」ということか。


 彼らに矜持はないのか――。

 八重垣は唇を噛む。


 すると突然、執務室のドアがノックされた。


「どうぞ」八重垣は答える。


 ガチャリと開いた扉の向こうに、あのジャーナリストが立っていた。石動いするぎ洋介とかいう、頼りになるんだか掻きまわしてるんだか、よく分からない男だ。


「大使……いま世界中が大使の話題でもちきりですよ。うちの局でもずーっと特番が続いています」


 石動が微笑みながら歩み入ってきた。

 坂本が応じる。


「石動、正直に言おう……困ったことがあるんだ」

「……まぁ、世界を相手に大見得を切ったんだ。少なからず問題は起きてるだろうさ」


 平然と答える石動に坂本が笑みを浮かべる。


「まったくオマエって奴は……何が起きたら動揺するんだ!?」

「いつだってビクビクだよ」


 おどけた調子で応じる石動に、八重垣は奇妙な安心感を憶えた。この男の肝は相当据わっているのではないだろうか。彼を見ていると、何事も何とかなりそうな気がする。


「……で、何に困ってるんだ?」


 石動洋介を交えて、奇妙な作戦会議が開かれた。


  ***


「報道局長! 大使がまたステートメントを発表する、とパリから連絡入りましたっ!」

「なにッ! すぐに速報を打て! その後すぐパリの中継映像出すぞ!」


 ビッビッと電子音が鳴って画面にニュース速報がスーパーされた。

〔 パリの八重垣大使 2回目のステートメント発表へ 〕


 その瞬間、すべてのプラットフォームで視聴率が爆上がりする。人々は、今回の問題をまるで映画かドラマのような感覚で見続けているのだ。

 日本大使館の孤独な戦いを熱狂的に応援する人々。

 逆に、「偽善だ」「思い上がりだ」と徹底的に批判する人々。

 八重垣は、すべての責任を負って再びカメラの前に立つ。


 全世界が再び固唾を飲んで、彼の一挙手一投足を見つめていた。


『――駐フランス日本大使の八重垣です。現在日本大使館には、多くのアラブ人たちが助けを求めてやってきています。……』


 映像が、大使館敷地内に続々と入ってくるアラブ人たちを捉えていた。その多くが疲れ果て、傷ついている者も少なくない。だがその表情は一様に明るかった。カメラに映っているのが分かって、笑顔で手を振る女の子が大写しになった。


『――しかし、我々は今、大きな困難に直面しています。彼らに提供する食糧が足りないのです』


 八重垣はここで一呼吸置き、人々の頭に自分の言葉が浸透するのを待つ。

 再び口を開く。


『そこで、善良なるパリ市民の皆さんにお願いがあります。――日本大使館への現物寄付ドネーションをいただけないでしょうか!?』


 これこそが、石動洋介が提案した作戦だった。


 パリじゅうから排斥を受けているアラブ人たちへの支援を、同じパリ市民にお願いする――


 こんなこと、誰が思いつくだろうか。

 坂本は、洋介という人間の戦略眼に心から敬服するしかない。

「――いいか坂本、フランス人はもともと博愛主義者だ。今回の暴動だって、せいぜいパリ市民全体の一割程度が暴れているだけだ。大半の市民は、奴らの暴走を苦々しく思っているはずだし、自国政府の態度に失望して怒りを覚えているはずだ」

「だから今回は、そんな善良なパリ市民の矜持に火をつけるのさ……近代人権思想はもともと誰が生み出したのか、ってことを思い出してもらうんだ」


 八重垣の演説が続いていた。


『親愛なるフランス国民の皆さん、そしてパリ市民のみなさん。私は、「自由・平等・博愛」という基本的人権の理念を世界で初めて生み出したのが貴方がたフランス人だということを知っています』


 今や、多くのフランス人がテレビの前で、ネットの前で釘付けになっていた。身じろぎひとつせず、八重垣の演説を食い入るように見つめる。


『――そしてその思想は、今や人類にとってもっとも重要な、普遍的概念となりました』


『私は、フランス国旗の三色トリコロールの意味を知っています――』


 カップルが、隣のパートナーをぎゅっと抱き締める。父親が、連れていた子供の手を固く握りしめる。


『日本のサムライからフランスの騎士シュヴァリエたちへ……名誉を賭けたお願いをさせてください!』

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る