第46話 地獄絵図
香坂正義は、先ほど会話したばかりの少女がそこに棒立ちになっているのをはっきりと視認した。
目のあたりに夥しい出血痕が残る包帯を、鼻から上の部分で頭部にぐるぐる巻きにした、ウイグルの少女――。
クリーと名乗った娘だ。
「……クリー! どうしたんだ!? そんなとこに立ってたら危ないぞッ……!」
香坂は、無防備に立ち尽くしているクリーに声を掛けた。薄汚れた粗末なワンピースの下から、痩せこけて土と埃まみれの細い手脚が覗く。
どす黒い煤煙が漂い、オイルと火薬の焼け爛れた匂いが充満する。
「早くこっちに来いッ! 何かに隠れるんだッ!」
第三射があるかもしれない。もはやここは明らかに交戦地帯なのだ。
だが、クリーは香坂の呼びかけにまったく反応しなかった。
「どうしたーっ!?」
耳が聞こえていないのか、大声で香坂に話しかけてくる。
「伍長……この子を安全な場所へ! 手伝ってください!」
そう言って香坂は各務原の肩を強引に掴む。
各務原もその意図を理解したのか、香坂の促すまま、少女に近づいていった。
傍まで近づくと、そのまま二人で両脇を抱えるように移動を促す。
途端――。
バリッ!! と雷が落ちるような音がして、二人は突然吹き飛んだ。
数瞬後、ドシッと鈍い音がして、数メートル先の地面にそれぞれ尻餅をつく。
まるで高圧電流にでも触れたかのような勢い。
「――っつ!」
「……ってててッ!」
突然のことに何が起きたのか理解できないでいる二人を、クリーが凝視する。頭部の包帯の下から、鮮血が流れ落ちていく。
ひゅるるるる――。
再び空気を切り裂くような音が上空から聞こえ、香坂は思わず天を仰いだ。
真っ黒な小さな塊が、見る間に近づく。まっすぐ自分たちの方に向かってくる。
「来るぞッ!!」
直撃したら多分助からない。生存本能が、二人を突き動かす。香坂と各務原は、慌てて地面から跳ね起きて少女に突進した。
「クリーっ!! 伏せろーーッ!!」
すると少女の髪の毛が逆立った。頭の包帯がふわりとほどける。
それはまるで、天女の羽衣が空中を漂うかのような光景。
刹那――。
グヮン! と何かに引っ張られるような感覚を覚え、二人は猛烈な吐き気を催す。一瞬、目の前の空間がぐにゃりと歪んだように見えた。
すると、放物線を描いて上空から急速に近づいていた黒塊がガクンッ、とその向きを変え――。
肩を寄せ合うように集まっていた保護女性たちのいる方向に弾道を変えたかと思うと、狙い澄ましたようにそこを直撃した――。
***
士郎は、あまりの惨状に呆然と立ち尽くす。
先ほどまで多くの女性たちがいた辺りの中心部分には直径20メートル以上の大穴が開き、黒煙を噴き上げていた。地面はまるでクレーターのようになっていて、その外縁部が盛り上がっていた。
もうもうと粉塵が辺り一面に降り注ぎ、視界を妨げる。
腕で鼻と口を覆いながら慌てて走り寄って身を乗り出し、深さ3メートルほどに抉れた直撃痕を覗き込む。
そこにはもはや原型を留めない、赤黒い何かが無数に貼り付いていた。
クレーターの外周、平たい地面の方に目をやると、さらに悲惨な光景が拡がっていた。
四肢が吹き飛んでいたり、切り裂かれた腹部から内臓を零れさせていたり、頭部が半分ほどどこかに吹き飛んでいるような、人体が滅茶苦茶に破壊された遺体がそこかしこに転がる。
あちこちから呻き声が聞こえていた。
ビクビクと身体中が痙攣を続けているのは、首のない遺体だ。
横たわったまま力なく片腕を振り上げた黒焦げの女性が、数秒その掌を空中にかざしていたかと思うと、そのままバタン、と腕が地面に崩れ落ちた。
下半身がみぞおちのあたりから吹き飛んでなくなっていた。
地獄絵図だった――。
士郎は先ほど間違いなく見た。
頭に包帯を巻いた少女だ――。
彼女が何かをした途端、弾道が変わって保護女性たちの真上に砲弾が落ちたのだ。
キッ、と振り向き、数十メートル後ろに立つ少女を睨みつける。
怒りの籠った声で、大きく怒鳴る。
「今ッ……何をした!?」
少女は何も答えない。
頭の包帯は解け、顔が露わになっていたが、その両眼は刃物か何かで刺突されたかのようにひどく傷ついていて、血痕がこびりついていた。表情は読み取れない。
そして身体全体の輪郭が、薄ぼんやりと青みを帯びているようだった。
少女の数メートル横にうずくまっていた各務原と香坂が、ようやくもぞもぞと動き、身体を起こす。
「……ぎ……ぎぼぢわる……」
各務原が両手で腹を抱えるようにしながら声を絞り出す。
頭を左右に振り、同じように苦しそうな様子を見せながら、香坂が少女に声を掛けた。
「……クリー……君はいったい……?」
クリーは、香坂の方へふと顔を向ける。心なしかその仕草は少し悲しそうに見えた。
突然、鋭い声が聞こえた。
「動くなッ! 手を頭の上に上げろッ!」
田渕軍曹が立射の姿勢でまっすぐライフルをクリーに向けていた。
その銃口はぶれることなく少女を狙い澄ます。
クリーは、ゆっくりとその視線を香坂から田渕へ移す。両眼が潰れているので、顔を向けた、というのが正確な表現だ。
身体の輪郭に沿った青白い光が、さらに強さを増す。
田渕が引き金に人差し指を掛けた。こめかみからつっ、と滴った汗が、田渕の顎に雫を溜める。
「手を上げろッ! さもないと撃つ!」
田渕が再度警告を発する。
クリーは悠然と田渕に向き直り、一歩前に脚を踏み出した。
その時だった――。
ダダダンッ――
田渕が躊躇いなくクリーに一連射する。
香坂が目を見開いた。
各務原が目を背ける。
しかし――。
クリーは何事もなくそこに立ったままだった。その表情は、何一つ変わらない。
田渕の銃弾はクリーの鼻先直前ですべて軌道を逸れ、あらぬ方向に跳ね飛んで行ったのだ。
ダダダンッ――
田渕が再度クリーに発砲する。
だが、先ほどと同じだった。クリーは落ち着き払って悠然と田渕の前に立っていた。
見当違いの場所で、チィンっ、と跳弾痕が弾け飛ぶ。
また、すべての弾道が逸れたに違いなかった。
数十メートル離れた位置からすべてを見ていた士郎は、目の前の光景が信じられない。
射撃の名手である軍曹が、たった数メートルの距離しか離れていない少女に何度発砲しても銃弾を当てられないのだ。
「どうなってるんだ……」
すると、少女からそう遠くない場所に横たわっていた神代
――しまった……気が付いたか……
士郎は、避難女性たちのど真ん中に砲撃が加えられた時、未来を地面に寝かせたままこちらに駆けつけてしまっていたのだ。
すると、未来の動く気配に誘われたのか、先ほど士郎がクールダウンさせて地面にうずくまらせていた西野
ライフルを構えた姿勢のまま、田渕が少女のすぐ傍にいる未来と楪の方に何事か呼び掛けている様子だ。 すると各務原がすっと立ち上がり、二人のオメガの前に立ちはだかって少女との間に立つ。どうやら彼女たちを庇うような位置についたようだった。
その反対側では、香坂が両手を挙げて何事かアピールしながら少女に近づいている。
三人で取り囲んで間合いを詰め、拘束するつもりなのだろう。
士郎もゆっくりと歩いて近づくことにする。
辺りを更に見回すと、少し離れたところで新見少尉が女性操縦士に駆け寄って抱きしめていた。こちらは心配なさそうだった。
「止まれッ! こっちに来るなッ!」
各務原の切迫した声が聞こえた。
見ると、先ほどオメガ二人の前に立ちふさがった各務原の方に、少女がゆっくりと近づいているようだった。
各務原が、腰のホルスターから拳銃を抜いて少女に構える。
そんな各務原に、香坂が何やら必死で呼び掛けている。
田渕は、少女の後方からなおもライフルを構えたままにじり寄る。
士郎は全力疾走で走り出した。早く駆け付けなければ!
***
「少佐! 重力干渉はあの少女からですッ!」
前哨基地の戦術情報指令室で、戦域管制官が報告する。
「――そんな馬鹿な……」
オメガ実験小隊の最上級指揮官、四ノ宮少佐は思わず呟く。
「先ほどの榴弾攻撃、計算上の弾道が直前になってコースを変えました。そのタイミングで少女の周辺に重力異常を検知! 三度ともです!」
「あの子が砲弾の動きを制御したというのか!」
「そうとしか思えません」
確かにそれならば辻褄が合う。
無誘導の砲弾を一発目から直撃させるには、よほど高性能の射撃統制装置がないと不可能だ。だが目の前で恣意的に砲弾に物理介入すれば、直撃も不可能ではない。
もしそんなことが可能ならば、だ。
「先ほど
火器管制官が報告する。
「それも重力干渉の結果ということか!?」
「あり得ないことではありません……彼女がその……」
戦域管制官が言い淀む。
「なんだ? はっきり言え!」
四ノ宮が苛立つ。今日の作戦は散々だ!
戦域管制官が恐る恐る発言する。
「あの少女が……オメガだとすれば……あり得るかと……」
「!」
四ノ宮東子は絶句する。
なんでそんな重要なことに気付けなかったのだ!
確かにオメガは我が軍の秘密兵器だが、彼女たちの出自は正直まだ分かっていない。なぜオメガなどという特異生命体が存在するのか!? 分かっているのは、彼女たちがほぼ全員、PAZで保護されたということだけだ。
PAZとはどういうところだ? 普通の人間がまず生存することができない、放射能汚染地帯……。オメガのDNA変異は放射能の影響だという説がもっとも説得力を持っている。
だが――。
放射能汚染地帯は、別に日本だけに存在しているわけではない。ここ大陸でも、戦術核の使用以来、放射能汚染は深刻化しているはずだ。
であれば、大陸でもオメガが存在していて不思議はない。
東子はキッとモニターの俯瞰映像を睨む。
そこには、威嚇姿勢を取る隊員たちに取り囲まれた少女が悠然と立っている様子が映っていた。
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