第25話 帰還

 気が付いたら、朝になっていた。

 

 いつの間にか眠っていたらしい。すぐ横で、昨日助けた男の子が穏やかな顔をして寝息を立てていた。


「……よかった……」


 なんとか生きているみたいだった。

 安堵の溜息を洩らすと、それに反応したのか、男の子が薄眼を開けた。慌てて顔を覗き込む。


「……気が付いた?」


 男の子が、はっきりと目を開けた。


「……ここは……?」

「私も分からないの……でもとりあえず傷口は塞いだから……」


 未来みくは意識的に笑顔を作りながら男の子に話しかけた。


「……ありがとう……」


 すると、お腹が痛むのか、男の子がうぅ、と呻く。


「……お姉さんが、助けてくれたの……?」

「……たぶん……助けてあげられたかどうか分からないけど、ひとまずピンチは脱したかも……」


 その言葉に、男の子が初めてうっすらと笑顔を見せる。


「……のど……乾いちゃった……」

「あっ……そっか! ごめんね今……」


 と言いかけて未来ははたと気付く。飲料水の入った自分の荷物は、男の子を見つけたところに投げ捨ててきてしまっていた。


「ちょっと……水を汲んでくるからね」


 そう言うと未来は、立ち上がって避難小屋を後にした。


***


 未来がパトロール隊に見つかったのはこの直後だ。


 水を求めて沢に降りたところに、ちょうどパトロール隊の一団が出くわし、未来は銃を突きつけられることになる。

 彼らが銃を向けたのは、ここが立入制限区域UPZであったことに加え、未来の眼が青白く光っていたことが理由だ。

 もちろん未来には、自分の眼が「要警戒対象」であったことなど知らなかったが、伊織の一件で「この人たちは容赦なく銃を撃つ」と学んでいたから、素直に両手を挙げたのだった。


 パトロール隊も、従順な未来の態度に少しばかり警戒を解き、その場でいくつか質問をする。

 その中で、未来が前の日に沢で男の子を保護したこと、応急手当して今は近くの避難小屋で休ませていることなどを聞き、その態度を一変させた。

 彼らはまさに、その男の子を探していた捜索隊だったのだ。

 ほどなく男の子は発見され、避難小屋から担架ストレッチャーで沢の川床まで運ばれてきた。

 やがて連絡を受けた捜索救難SARVTOL艇が上空に飛来し、男の子を吊り上げる。


 間際、吊り上げ作業を近くで見守っていた未来に男の子が弱々しく手を差し伸べた。

 近くに寄って……ということなのだと理解し、未来は慌てて走り寄る。


 すると男の子は、ストレッチャーに横たわったまま、両手を未来に差し出した。


「……お母さんがね……嬉しい時はこうやって相手をギュッとするんだって……教えてくれたから……」


 そう言うと、まだ蒼白い顔にうっすらと笑みを浮かべて未来を仰ぎ見る。


 未来は、男の子を圧迫しないように、そっと覆いかぶさってハグをした。

そして――。


 頬を寄せた男の子は瞼を閉じ、そのまま未来の首に手を回すと、鼻の頭にそっとキスをした。

 その思いがけなくも控えめな行動に、未来も思わず同じことを男の子にやり返す。


 そして二人は見つめ合って、それからお互い笑みを交わした。


「……元気でね……」


 未来が優しく言葉をかける。


「……きっとまた会えるよね!」


 男の子が、言葉を返す。

 その言葉を肯定することはできなかったが、代わりに未来は笑顔を贈る。


 身体を離すと、男の子を乗せたストレッチャーはそのまま上空に昇っていった。


***


 それから未来は、軍に正式に保護され、陸軍病院にしばらく入院したのち、陸軍研究所に移送保護されることとなる。

 未来本人は知る由もなかったが、〈あの日〉からは既に52年が経過していた。


 他のオメガたちに出逢ったのも、この研究所に来てからだった。

 保護されて約一年後、最初は、蒼流そうりゅう久遠くおんだった。

 日本人形のような切れ長の瞳と黒髪のおかっぱが印象的な子だった。


 その久遠から遅れること二年。

 ドールのような澄ました女の子、久瀬くぜ亜紀乃あきのがやってきた。

 その翌年に入ってきたのが西野ゆずりは水瀬川みなせがわくるみだ。


 ゆずちゃんは最初から天真爛漫な感じだった。

 くるみちゃんは最初、くーちゃんとそりが合わなくてしょっちゅうぶつかっていたっけ。

 そんな二人を平等に叱っていたのが亜紀乃――キノちゃんだ。


 そのうち、月見里やまなしかざり――かざりちゃんが入ってきた。


 青髪と、お餅のようなふっくらほっぺが可愛らしい活発な女の子。

 最初に彼女を見た時、未来は一瞬伊織の面影をダブらせてしまったものだ。

 でも、伊織は仮に生きていたとしても既に60歳前後のはず。性格も真反対だった。

 だから未来は、かざりちゃんには一切伊織の話はしないでおこうと密かに心に誓う。

 こんなおばあちゃんの昔話につき合わせたら悪いもんね……と相変わらず見た目は18歳前後にしか見えない未来は穏やかに思う。


 実際のところ、生き別れた伊織の話を今さら誰かにするのは、少しだけ胸が痛かった。



 いろいろあったけど、未来はこの研究所で数十年ぶりにまた〈仲間〉が出来たことにすっかり満足していた。

 しかも今回は、みな

 もう山奥に隠れ住んで不自由な暮らしをすることもない。

 伊織のこともあって、「隠れ里」に棲んでいた数十年は、少し周りの人たちと距離を置いた暮らしをしていた。

 その時の影響で、自分の性格がすっかり引っ込み思案になってしまったのは自覚しているけれど、この新しい仲間たちは、そんな未来でも大して気にせず自然体で接してくれる。

 本当は、私が一番年寄りなのよ……とおどけて言ってみたかったが、そんな軽口を叩くにはもう少しだけ時間がかかりそうだった。

 でも、それが自然に言えるようになるまで、ここで出逢ったこの子たちと、これからも同じ時間をずっと共有していたいと思う。


 未来の心は、次第に安らかに、穏やかななぎのように波紋が鎮まっていった。


  ***


「医長、不死者イモータルの脳波、ノンレム睡眠に移行」

脳内快楽物質ドーパミンの分泌が安定してきました」


 計測員の声がラボの副調室に響く。


「ようやく落ち着いたな……しばらくこのまま寝かせておいてやろう」


 そう言うと医長は、デスクのコーヒーカップに手をやった。


 部屋には、神代未来の生体センサーをモニターする単調な電子音だけが、まるで子守歌のように響いていた。

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