まっしろくん


「――ごめん! 驚かすつもりは、なかったんだ」


 優は慌てて立ち上がると、ボートのふちから身を乗り出した。

 湖へ消えたしろい男の子の姿を探す。しかし、青白くも透き通った水に映るのはただ一面に広がる、しろい砂だけ。


 いや?

 水底付近に、横へぽっかりと開いた穴がある――水中洞窟か。あんなにも深い場所で、この洞窟はまだどこかへと繋がっていくらしい。もしもあの子が、あの中へと泳いでいってしまったら、優には深すぎて後を追うことができない。


「遠くへ、行かないで――お願い!」


 優の叫びが、洞窟内へ響き渡った。



 ぱしゃ――……

 背後で、水のはねる音がした。


 優がふり返ると、ボートから少し離れた水面に、しろい顔が出ていた。そこからじっと、優の様子をうかがっている。


「さっきは……いきなり、ごめん」


優はその子へ向け、手を差し出した。


「最初から、やり直させて」


 しろい男の子は、すいっと泳いで寄ってきて……、少し考えてから優の手を取り、ボートに上がってきた。やっぱりだ、その子のしろい手に触れた優は、人の肌とは違う、謎のと、その異様な冷たさを確認した。


「ごめん。たぶんだけど、僕の手……熱かったでしょ」

「うん」


「驚いた?」

「さいしょ おどろいた」


「ちゃんと、話せる?」

「……うん はなせる」


「僕は、ゆうって名前なんだけど」

「ゆう」


「そう、優だよ。きみの名前は?」

「なまえ まっしろくん」


「あー、それさっき僕が呼んだやつ。ごめんきみ、まっしろだから」

「まっしろくん いいよ」


「いいの? じゃあせめて……しろくん、って呼ぶよ」

「しろくん いいよそれで」


 しろい男の子――しろくんは、薄っすらと笑った。

 優もつられて笑った。が、じぶんを見つめる、しろくんの目はしている。優のことなんて気にも留めない、何かの中のひとつ、そんな目で優のことを見つめながら、口元だけは笑っているのだ。正直しろくんは、得体が知れず怖かった。それでも優はこの空間に取り残されたのが、じぶんだけでなくてよかったと思うのだった。



「とりあえず助けを呼ぼう」


 優は光の差す洞窟上部へ向けて、「誰かいますかー!」と叫んだ。


「いるよ」


しろくんが答えた。


「しろくん、じゃなくて……遊園地の係の人」

「ここには こないよ」


「来てくれないと、困るよ……」

「こまるの ゆうくん」


「ここから出れないと、皆が困るでしょ……迷惑かけちゃうし」

「ゆうくん ここから でれないと みんなこまるの だれ だれ?」


「……う゛」


 あまり抑揚よくようのない、しろくんの声が、優の心をえぐった。確かに優は誰にも心配されていない。じぶんの父も母も、いとこ達を優先して追っていった祖父も、アクアツアーのボートの乗客にだって、しらんぷりで置き去りにされた。


 でも、だからこそ優は、戻らなくてはいけない。できれば何事もなかったかのように、普通に。これ以上、誰かに突き放されるその前に……。



「ゆうくん こまるなら あんないしようか」

「え――?」


 しろくんが、こともなげに提案した。と言ったのだ。


「あんないって、あ……案内?」

「うん あんない」


「ここから出て、遊園地へ戻る方法がわかるの? 本当に?」

「うん いこうか」


 しろくんはボートのふちへ足をかけ、湖へ下りようとした。

 いや――案内って、まさか水中を泳いで行くつもりだろうか?


 はっとした優は、しろくんのシャツを引いた。


「待って、しろくん!」

「なに」


「お、泳げないんだ……」

「なんで」


「なんでって……ちゃんと、習ってないし」

「ならってない? ゆうくん おもしろいね」


「そ……、そう?」


 それを、この子に言われるのか。


 このとき優は、てっきり先ほど見つけた水中洞窟を行くのだと思っていた。困ったことになった、と優はあらためて湖を覗き込む。


  冷たい水だ。

  学校のプールより、深い。

  息、続くかな。


 静かな湖を見つめながら真剣に考え込む優の身体が急に、ぐいっと進んだ。正しくは、優を乗せたボートが少し動いたのだ。


「しろくん?」


 そう、しろくんが水中から押したのだ。

 ぱしゃり、ぱしゃり、と泳いでボートの後ろへまわり込み、緩やかな水の流れに合わせてボートを移動させようと、がんばっている。


 はじめはこの洞窟、辺り一面ざされた空間なのだと思っていた。が、水の流れてくほうに、少しばかりの段差があるようだ。そこを下れば川となり、どこか岸へと辿りつくのだろう。


 しろくんは知っていた。

 ずっと先のを目指し、泳げないという優をボートごと連れていこうとして、いるのだ――。


 

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