ユリィという女性

第44話 13-1ユリィという女性

「あぁそうかい。じゃあボクはここで数時間待たされるってわけだね?」

『悪いな、ルナ。報酬はその分上乗せするからよ』

「はいはい。でも出来るだけ急いでよね、こんなとこにいたら可愛い野良猫達に狙われて、なかなか動けなくなるんだからさ」

『わかってるよ、すぐに連絡する』


 夜になってもそれなりに人の往来が激しい大通りの片隅で、フードを深く被ったルナシスと見知らぬ男が話していた。男はすぐにその場から立ち去ったが、その身なりはいかにも金を持っていそうな風貌だった。


『……なんの話かしら』

「さぁ……依頼人、ってとこかな、あの男」

『ルナシスは……動く気配はないわね。本当にここで待ってるつもりなのかしら』

「はぁ……見えるところにカフェがあって助かったよ。外でずっと見てるのも変だし」

『そうね……でも、こういうの、私は嫌いじゃないわよ?』


 鈍った嗅覚でもわかるほどルナシスの匂いが強かった為、尾行は上手くいっているように思えた。途中で服屋、いわゆるアバターショップに立ち寄り、道行く人々の服装を参考に衣装まで変えた。見た目を変えただけで、防具や武器はそのままである。残念ながら教会が遠く、キャラポリゴンそのものを弄る事は出来なかったが、それでもぱっと見ではわからないだろう。

 この大通りで立ち尽くしていたルナシスに、ただ隠れて見ているだけでは逆に目立つ。ギリギリ見える位置にあったカフェのテラス席で監視を続ける事にしたのが数分前の事。後から来た男はあれだけ言ってすぐ消えたものの、ルナシスはそこに立ったまま暇そうに手帳を確認していた。


『それにしても、わざわざ私を選んだなんて不思議ね』


 味覚が薄くなっても甘い物が食べたかったらしく、色とりどりのフルーツが乗ったケーキと、クリームが異常なまでに盛られた見るからに甘そうなドリンクを口にして、満足気にユリィは微笑んだ。


『どうして私が探偵だって気づいたの?』

「……え?」


 言っている意味がわからず、ルナシスから目を離してユリィを見つめる。


『あら、知ってたから選んだんじゃなくて?』

「いや……僕が選んだのは、宿で言ったのが全てで……」

『まぁ、じゃあ今のは完全に私が墓穴を掘ったのね』


 何がそんなに楽しいのか、ふふふと声を漏らし笑う。ジャンと違って、話しながらも視界の隅にルナシスの姿を捉えているようだった。


『私、現実の世界では探偵をしていたの。今は休業状態よ、戻るかどうかはわからないわ』

「そうなの?」

『しっ、声が大きい』

「ご、ごめん……」


 ユリィが勝手に注文したほろ苦い焼き菓子に、少しだけ口を付ける。ユリィ曰く、自分だけ甘い物を注文するのは恥ずかしいらしい。あまり甘い物は得意ではないと伝え、控えめな甘さのスイーツを注文したのだ。この世界の食べ物について、ユリィはかなり情報を得ているらしい。


『探偵って言っても、こうやって外に出て尾行するなんて滅多にないけどね。それどころか、もう何年もパソコンの前でデスクワーク状態だったのよ』


 まるでケーキが減っていくのを惜しむように、掬う量を減らしていくユリィ。


『歳はとりたくないものよねぇ……うっかり昔話なんかしちゃいそうになるわ。やたらと過去の話ばかりする大人が大嫌いだった頃が懐かしいくらい』

「僕はそういうの好きだけどね」

『ジャンくんは聞き上手なのね、そう言われると話したくなるじゃない』


 この調子ではルナシスが動き始めるのも、もっと先になりそうだった。ただでさえ緊張と不安が重く圧し掛かっているのに、じっと黙って待っているのも辛い。あまり見ない方が良い、けど見失わないように、と釘を刺されたのも、ユリィが探偵だったと聞けば理解できる。油断するとじっと見つめてしまいそうで、気を紛らわせたかった。


『私ね、ずっと男が嫌いだったの。友達もあまり好きじゃなかったわね、人とつるむのが苦手で、そんな暇があったら仕事をしていたいって思ってて。けど、一度だけ、本気で好きになれた人がいたのよ』

「過去形?」

『鋭いわね、そうよ、とっくに終わった話。ジャンくんは探偵って、どんなものをイメージする?』

「え……っと……うぅん……事件を追うとかってのは、なんかちょっとドラマっぽい気がするし……」

『意外と現実的なのね。そう、探偵にもよるけど、私が一番やってたのは浮気調査よ。私の男嫌いはずっと前からだけど、仕事を始めてからはなおさら嫌いになっていったわ。それもそうよね、探偵にお金を出すくらいだから、ほとんどの依頼人は浮気を確信してるのよ。離婚だったりの武器として、その証拠を残したいだけなの。だから、依頼されて調べるとほぼ真っ黒。浮気に不倫に、男って本当に馬鹿な生き物だと思ったわ。もちろん、男性から依頼されて女性の浮気を突き止める事も少なくなかった。そういう時、社会的制裁をくわえるのは男に多かったわね。女性はむしろその場で発狂しちゃったりして、意外と大変なのよ』


 ドリンクの上に乗っていたクリームが、徐々に形を緩やかにしていく。温度で溶けてきたのだろうか。それをスプーンの端で少しだけ掬って、口に入れるユリィ。


『まるっきり人間不信になりかけてた頃、いつものように浮気調査の依頼が来たの。デスクワークが多いって言ったけど、最近はクロックを調査してるだけで簡単に尻尾が掴めるからなのよね。ほら、クロックって、国側も一定の信頼を置いてるでしょ? きちんとした手順を踏めば、証拠にもなりうるのよ。けどね、その時の依頼は珍しく、現場に出るような内容だったの。依頼をしてきたのは奥さんで、そうねぇ……すごく自信にあふれた、気の強い方に見えたわ。何を思ったのか、変な事を注文してきたのよ』

「変な事?」

『きっと旦那さんを試したかったんだと思うわ。私に、旦那さんと接触しろって言ってきたの。もちろん最初はお断りしたのよ? それは私の仕事ではないって。私はあくまで、目の前で起こっている事をきちんと記録して伝えるだけ。でも一切引き下がろうとしないのね。報酬を二倍でも三倍でも出すからって』


 少しずつ食べていたケーキも、最後の一口になる。よく味わって飲み込んだあと、ほとんどクリームが溶け混ざってしまったドリンクを美味しそうに口に含む。


『仕事があまりない時期でね、私も困ってたの。ただの言い訳だけど、探偵は儲かる仕事じゃないのよね。仕事が入らなきゃ給料なんて仕組みはないのよ。それで仕方なく受けたの。既に借りていた事務所の家賃を何か月も滞納していたし、頭金だけでも助かったから。受けた以上はやるしかないでしょう? 奥さんが目星を付けていたバーに行くと、ビンゴ。旦那さんはそこに居たわ。けど一人で飲んでた』

「じゃあ、その時は浮気をしていなかった?」

『そうかしら? 私が見た時はいなかっただけ、ね。でも好都合だった。一人で寂しく飲んでいる女のふりをすれば、キッカケにはなるから。下戸の癖に、化粧で誤魔化して……でも、ある意味酔っていたのかもね。私は彼に声をかけたの。彼は快く相手をしてくれていたわ。相手をしているのは私の方だったけれど、彼はそれを知らないから』


 顔を動かさず、目だけでルナシスの動向を確認する。まだそこに立っていた。


『そんなあっさりと、素性のわからない女の相手をするくらいよ。きっとすぐに証拠を掴めると思ったわ。私が証拠になる可能性も考えたけれど、まだ男嫌いのままだった私は証拠さえ出ればって、必死だったわね。何度か顔を合わせ、他愛もない世間話をして、できれば証拠になりそうな発言を聴き出せないか。気になった部分はきちんとまとめて、その都度依頼人である奥さんに渡した。奥さんは、決定打に欠ける、といった感じで、料金を上乗せして調査続行を頼んできたわ』

「気を悪くしたらごめん、その時、他の仕事は?」

『全くなかったわけではないわ。夜はそうしてバーに行くから、昼までゆっくり寝て、夜まではデスクワーク。バーに行くのも毎日ではなかったし、受けられない仕事ではなかったわね』


 少しずつ崩して食べているスイーツのほろ苦さが、徐々にくどく思えてきた。コーヒーで流し込む。


『彼はね……家に居場所がなかったのよ。奥さんは気が強く、自信家で、体裁を気にするタイプ。調査依頼を出したのだって、まさか私が不倫されたなんて事になれば絶対に許さない……って感じでね。愛されすぎるのも考え物よね。この後の話を聞けば、どの口が言うかって思うだろうけど』

「結構長く調査してたんだね」

『確実な証拠を、奥さんは必要としていたのよ。私が見る限り、白だった。真っ黒に変わったけれど』

「それって……」

『ふふふ、最初は乗り気じゃなかったわ。しばらくして、居場所がない事を知って可哀想に思えてきた。彼、婿養子だったの。奥さんは金持ちの娘、彼は身寄りがなかった。逆らえなかったのね。そのうち、彼はもっと幸せになるべきだと思った。言葉を変えるなら、私が幸せにしたいと思ってた。ただのエゴよ。彼も、私の目線では満更でもなさそうだった。私は、やってはいけない事をしてしまったのね……浮気性な男だらけを見てきたから、信用するはずはどこにもなかったのにね。気づいたら、彼と会って何でもない話をするのが楽しくて。君ほど可愛らしい女性はいない、って言葉に溺れたの。笑えるでしょ?』

「……奥さんには?」

『黙ってたわ。もちろん守秘義務があるから、旦那さんの方にも立場を明かせない。あの時の彼が私を本気で想ってくれていたのかはわからない。でもそれなりに向き合ってくれたのは事実。そんな彼の前で、嘘しか吐けない立場が嫌でしょうがなかったの。仕事を放棄するわけにもいかない。だから、体以外全て偽物の私をそれなりに大事にしてくれる彼が、私は愛おしかった』

「唯一好きになった相手が……既婚者か……」

『男嫌いで、結婚どころか彼氏すら作らないだろうと思っていた私にとって、とても大きな出来事だったわねぇ……でもね、始まりがあれば終わりもあるのよ。それまで当たり前のように延長をし続けていた奥さんが、依頼はこれで終わりって言い出してね。既に相当な額を受け取っていたし、その割に求めている答えが出てこない事に、しびれを切らしたのでしょうね』


 思い立ち、口を挟む。


「その、ユリィがそうなったのは一旦置いといてもさ、探偵は、望んだものを現実にあった事としてでっちあげるような仕事ではないでしょう? 旦那さんが不倫をしていなかったなら、出せる答えは「していない」だけになると思うんだけど」

『理解が早くて助かるわ。依頼としては終わってしまったけれど、それは悲しい事でもあったし、同時に嬉しくもあった。職業を聞かれて、探偵だって答えてもいいのよ。調査していた事は黙ってなきゃいけないけど……本当はどっちも言わない方がいいのよ? 後でえらい目に合うから』

「なるほど……じゃあ終わってからも会ってたんだね?」

『バーに行けば彼に会える。それが最高の癒しだったわ。けど……あれだけ忌み嫌っていた嫌な男、女に、私はなっていたのね。彼が既婚者なのはもちろん知っていたし、彼も指輪はつけたままだった。それでも、もっと、もっと知りたい、もっと会いたい、もう少し長い時間……そうやって欲張るようになっていった。彼も時々困っていたと思うわ。盲目になるって本当なのね。私はまさに、周りがまるっきり見えなくなっていたの。随分、前からね』


 カップに並々と入っていたクリームの層が、少しずつ下がって底を尽きようとしている。


『耐え切れなくなった私は、彼に答えを急いだ。結局、彼を試していた奥さんと同じね。彼なら私を選んでくれるんじゃないかって、淡い期待を抱いてたのよ。でも、彼が出した答えは違った』

「…………」

『君のその感情は、本物なのか? ……って言われたわ。私が人間不信になっていたのを、ずいぶん前に伝えてたからでしょうね。人を好きになった事のない私にとって、彼が初恋。今まで男を信用できなかったから、たまたま話しやすいと思えた相手を好きだと勘違いしてるだけだと思う、って』

「酷い……」

『そう? 思えば当たり前の話よ。私が最初から信用していなかった。だから相手も、私を信用できなかった。それだけの話。君にはもっと幸せにしてくれる人が現れる、俺では幸せに出来ない。体のいい断り文句よ。それっきり、バーで彼と会う事はなかったわ。会わないように曜日を変えたのかと思って、毎日通い詰めたわね。けれど、いつ行っても会う事はなかった。別の場所へ行っても。必死になって探したけど、見つからない。仕事も全く身が入らなくなった頃、偶然彼を見かけたの』

「話せたの?」

『いいえ、声をかける事すら出来なかった。横に並んで、幸せそうに笑いあっていた相手がそこにいたから』


 空になったカップの底を、スプーンでコツコツと叩く。


「奥さん?」

『ふふふ、そんなに単純だったら、私もすっかり忘れられたのかもね。……そこにいたのは、通っていたバーのママ。ダブル不倫だったのよ、私は見抜けなかった。たった一人で通い詰めてるわけよね。最初に考えるべきだった、初歩的なミス。盲目になりすぎていた。彼の奥さんも勘は当たっていたの。私も、奥さんも、彼の本心を見抜く事が出来なかった。彼の気持ちを動かす事もね』

 相手の男が悪い、そしてユリィも、決して良い事をしたわけではない。ただ、目の前にいるユリィの顔が、男の話をするほどに寂しそうな表情へ変わっていて、とても悪く言う気にはなれない。

『可愛さ余ってって言うでしょ? 愛憎みたいなもの。彼が憎かった。だったら、期待なんかさせないで欲しかった。勝手に期待したのは私の方なのにね』

「それは……違うよ。それは違う」


 ルナシスから完全に目を離し、話の内容に没頭していく。


「ユリィが好意を寄せていたのを、相手は知ってたんでしょ? しばらくそれに応えてたんだよね? それじゃあユリィは、利用されてただけじゃないか。責任も取らず、問われれば切るだなんて」

『優しいのね、ジャンくんは。私は結局、集中力も欠いていたのだと思うわ。探偵としてクロックに報告を送っていたけど、度が過ぎたのかある日突然ロックされちゃってね。どこまでが許されるのか、しっかり学んでいたはずなのに。いまや私みたいな仕事をしていても、クロックが使えないのは致命的よ。もともとそうやってネット上での証拠を集める仕事が多かったから、なおさら。けど……私はこのゲームを終えた時、仕事に戻れるのかしらね』


 言葉が重い。ジャンにとってもそれは同じ不安だった。仮にアカウントが使えるようになったとして、元のアウルに戻れるだろうか。もうすぐ二週間。時の流れが速すぎるネット世界で、二週間も経てば忘れ去られても不思議ではない。


『身の振り方には気を付けないと、ね。私もあれ以来、人の好意には敏感になった。もし誰かが私に好意を寄せても、ハッキリと断った上で、付き合いを続けるかどうか相手に委ねる事にしているの。私のように、期待をして裏切られた気持ちにさせたくないから。そうなっても、自分を責めるしかないのよ。期待をしたのは自分だ、ってね』


 テーブルに身を預けていたユリィが姿勢を正し、皿とカップをまとめて隅に置く。慣れた手つきで手を上げ、店員が食器を下げに来る。


『さぁ、そろそろ動きだすみたいよ。私達も出ましょう』


 ちらりとルナシスを見ると、最初に話していた男が戻ってきたようで、なにやら話をしていた。

 皿に少しだけ残っていた焼き菓子を口に放り込み、コーヒーで流し込む。


『あぁ、そうそう。ジャンくんも、気を付けるのよ? 優しさのつもりでも、それが誰かを傷つけてしまう事は往々にしてあるわ。いつか恨まれてしまう事も、ね』


 その意味を理解するより早く、ユリィは席を立った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る