カブトという父親

第34話 9-1カブトという父親

 夕陽が街をオレンジ色に染め上げる。街の美しさに反して暗い表情の住人達も、時々どこかで聞こえる銃声も、この街でのクエストをこなしているうちに気にならなくなっていた。


『材料はこんなもんで足りるか?』


 大きな袋を両手に抱え、後ろをついてくるカブト。声をかけられたジャンは、ハイデがはぐれないよう手を繋いだまま返事をする。


「これで全部、かな? あ、料理酒が……酒場で買えると思うけど」

『酒場か! いいねぇ、一杯引っかけて帰ろうぜ』

「カブトは酔わないからいいだろうけど、僕はそんなにお酒強くないんだよ」


 旅人を探しに行く前に、情報収集を兼ねたクエスト周りを続けて約二日、ゲーム内ではもうすぐ二週間が経とうかというところ。ハイデとの出会いから始まったクエストに番号がなかったのは、てっきり実装上の問題でメインクエストなのだろうと思っていた。しかし、いざ国内を回ってみれば、前の街で終わらせたメインクエストの次にあたる番号で、新たなメインクエストが始まってしまったのだった。

 ルナシスという人物についてもまだハッキリとわからず、サブクエストをこなしながらどこかにフラグがないか探す日々。変わった事と言えば、宣言通りユリィは長い髪をばっさりとショートにしたこと、全員が中級ジョブに昇格できた事、装備もあらかた取り終えて、掴む袖のなくなったハイデが普段からジャンと手を繋いで行動するようになった事。

 そして、ハイデとの意思疎通が、ジャンの脳内で行われるようになった事。

 あれ以来、ハイデからのメッセージは頻繁に伝わってくるようになった。他のメンバーには隠したままにしているが、クロが都合のいいように解釈……イチャイチャしすぎで目を合わせるだけでハイデと会話が出来るようになった、と言い出した為、そういう事にしておいた。単なるシステムの都合ならとっくにバラしても良かったのだが、あの日ハイデがジャンの正体を知っていた事を考えると、安易に伝えるわけにもいかないと考えていた為だ。


『あーあー、酒場ってのはもうちっと賑わってるもんだろ普通? どいつもこいつもしけた面しやがって』

「こら、声が大きいよカブト」

『仕方ねぇ、買う物も買ったし、酒じゃなくてもいいや。ちょっと休憩していこうじゃねぇか』


 ジャンとカブト、そしてついてきたハイデの三人は、ユリィの提案で食材を買いに回っていた。

 というのも、ずっと居座っている宿屋で出された食事が、二種類のメニューを交互に出されるだけなのだ。他のメンバーはさして気にしていなかったが、五感機能のあるユリィもジャンも、いい加減に飽きて仕方がなかった。

 最初の街に比べれば、宿代も高くなる代わりに食事もそれなりに品数が増えていたが、それでも飽きてくる。痺れを切らしたユリィが運営に問い合わせたものの、まだメニューを揃えていないので、自分達で揃えてくれとの事だった。

 本来は月額制のゲームらしく、五感をオンにすればゲーム内で食事がとれる。画期的だが、その恩恵を受けられないのがアーリーアクセスの弱みだった。


『っはー生き返るー‼』

「よくもまぁ、味も飲みごたえもないのにそんなリアクションがとれるね」

『配慮だ配慮、目の前でまずそうにしてたら本当にまずく感じるだろ?』

 立ち飲みスタイルの酒場で、カブトは発泡酒を、ジャンはコーヒーを頼み、ハイデは両手で抱えるようにしてミックスジュースを飲んでいる。

『あぁー……なんだか懐かしいなぁ……』

「なにが?」

『いや、こっちの話だ』


 半分以上飲み干したカップを持ち、あたりを見渡しながらカブトが呟く。こういう時くらいしか素顔を見る事もなくなったな、と、装備を外した顔を眺めていた。


「言いかけたんなら言いなよ、気になるだろ」

『あんまり楽しい話じゃねぇぞ?』


 そう言ってカップをテーブルに置き、肘で体を支えるようにして前のめりになるカブト。酒場の喧騒は薄くなり、カブトの声がしっかりと耳に届く。


『実はな、禁酒してんだ、もう十年ばかり』

「……? あ、現実で?」

『そうだ。まぁその、なんだ……あっちじゃ酒癖が悪くてな、よく聞く話だろうが、女房と子供に逃げられちまったんだよ』

「そんな悪かったの?」

『あぁもちろん、手なんか上げた事は一度もねぇぞ? けど、絡み酒ってのかな。仕事の帰りに仲間内で飲んで騒いで、似たような人間が集まるもんだから、なかなか帰らねぇ日が多かったんだわ』


 酒の入ったカップの淵を指先で撫でながら、目も合わせずに話を続けるカブト。


『最初は心配してくれてたなぁ。体だけじゃなく、通り魔に襲われたらどうすんだーなんてな。その次は、浮気を疑われたりもした。こんなオヤジを相手にするのなんか女房くらいなもんだが、愛されてたんだろうなぁ』


 ははっと笑うも、目が笑っていない。むしろ悲しそうに見える。


『そのうち、外飲みは週に何回って感じの約束をしたんだ。でも一度疑いを持つと、女の気配がないって証拠でもない限り、ずっと引っかかるもんなんだろうな。やった事を証明する事は出来ても、やってない事を証明するってのは難しいもんでな。ましてや、既に疑ってんだ。俺が何を言ったところで女房は不安だったんだろうよ。その約束の回数も、徐々に減らされていった』

「家では飲まなかったの?」

『女房は酒が飲めねぇのよ。子供も酒の匂いがダメでな、仲間内で飲む方がよほど楽しかった。…………ひでぇ父親だよなぁ』

「…………」

『どっちにしても、選ばされたって感じだな。飲みに行ける回数が減れば、飲み仲間も付き合いが悪いってんであまり誘ってこなくなる。おいらが参加した時でさえ、いなかった時の話も増えてくる。家に帰ったところで、女房はまだ疑ってる。子供はおいらとの距離感がわからなくなったのか、あまり話しかけて来なくなった。まだ、息子は四つになる前だった』


 カップの中の泡が少しずつ減っていく。


『ある日、女房が言ったんだ。これからは気にせず飲みに行っていいってな。仲間にハブられてるってぇ話を、何度か言ったからだと思ってた。今考えりゃ、もうその頃には愛想を尽かしてたんだろう。ある意味、最後のチャンスだった、でも気づかねぇんだなぁ』

「また飲むようになった?」

『あぁ。次の日には仲間に連絡して、前のように毎日飲み明かすようになった。酷い時は家にも帰らず、そのまま仕事場に行ったりもしてな。だから気づかなかったんだよ、帰る度に部屋が小綺麗になっていくのも』

「それって……」

『珍しく人数が揃わなくて、早めに帰った。鍵を出すのが面倒でいつもチャイムを鳴らすんだが、その日は全然開けてくれなくてな。仕方なく鍵を開けて入ったら……もぬけの殻。だーれもいやしねぇ。それどころか、家具の半分以上がなかった。女房息子と家具の代わりに、記入済みの離婚届と、書置きだ。な? よくある話だろ?』


 よくある、と同意しかねる。そんな話が現実にあるのかと疑いたくなるほど、ドラマの中の話を聞いている気分だった。


『私は離婚するつもりです、貴方がきちんと提出してくれるかどうか、最後まで迷ったけれど、これ以上一緒に生活する方が耐えられません。養育費も、いりません。探さないでください……そう、書いてあった。もう一緒に生活してるとも言えないくらいだったがな』

「それで禁酒を……」


 カップの淵をリズムよくトントンと叩きながら、カブトは頷いた。


『最初は受け入れられなかったんだな、おいらも。離婚届なんか絶対に出すか、見つけ出してやるって意気込んでた。けど、一切見つからねぇ。日が経つにつれて、頼むから帰ってきてくれと思うようになった。こういう時、大抵は男の方が引き摺るんだわ。酒をやめれば戻ってきてくれるんじゃねぇか、なんてな』

「……でも……十年って……」

『そうさ、もう十年。一滴たりとも飲んでない。あの頃の仲間とも、連絡を絶った。ま、遅すぎたんだけどな。結局おいらは家庭も仲間も両方失ったってわけだ。よく言うだろ? 二兎を追う者は一兎をも得ずって。おいらは、選ぶ方を間違って結果的にどっちも失った。おいらが選ぶ側だと思ってたんだろうな、選ばれる側になるなんて考えてもなかった。女房は、子供と自分の幸せを考えて、おいらと離れる事を選んだ』


 どう答えればいいのか、わからない。自業自得と言えばそれまでだ。奥さんと子供にとってはそれが幸せだったとも思う。しかし、目の前の大男が十年もの間禁酒をしてきたというのも、よほどの覚悟だったのかと察する。あまり飲めないジャンにはわからないが、禁酒や禁煙はやめるのが難しいと聞く。やめたところで奥さんと子供が帰ってこない事もわかっていただろうに、それでも望みを捨てきれなかった、という事だ。


『クロックのアカウントは、八年くらいかねぇ。そんだけ前に止められたよ。女房の情報がどこかにないか、探し回ってた時期だ。ゲームにハマったのもその頃だったなぁ。なにしろ飲みもせず、仕事を終えて帰ってきても一人だ。会社じゃそこそこの立場になって、昼間は監督を任されてたもんだから、夜中までゲームをやって昼間に居眠りなんて時期もあった。おいらは自制心が足りなさすぎるんだな。根っこは変わってねぇ』

「じゃあ、もしアカウントを手に入れたら、また探すの?」

『んや、もう探すのはやめた。いつだったか、女房の友人を見っけてな。結婚式で一度会っただけだったが、必死に探してたせいか偶然見つけたんだ。すぐにブロックされちまったがその前に一言だけ、女房がおいらから隠れる生活に苦労してるって』

「あぁ……」


 別れてそれで終わり、ではない。たとえ生活を離れたとしても、見つかるかもしれないという恐怖心すらあったのだろう。これでは、誰も幸せになれない。


『ただ、最近のゲームはクロックと連携してる事も増えただろ? だから、もう一度クロックのアカウントが手に入るならって、参加したわけだ。大した理由じゃなくてわりぃな』

「そんな事ないよ。本来なら手に入らないものも……ちゃんとしたアカウントが報酬として渡されるんだから。悪い事じゃないと思ってるし」


 本心では、かなりグレーゾーンだと思っている。不適切と判断された人物に、再びアカウントが渡る行為。クロック運営がそれを許すのか、不安ではある。

 カブトは温くなった発泡酒を少し口に含んだ。


『はぁ……選ぶ側の人間だとばかり思わないようにな。人との繋がりってのは、片方だけが必死に取り繕ってもどうしようもない時がある。後悔しても、遅ぇんだ』


 残った発泡酒を一気に飲み干すと、カブトは顔を隠すようにヘルメットを被った。

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