第32話 8-3大国ポタンと兄の噂
『祈りの御子(みこ)?』
カブトが聞き返す。
通された部屋は大きなテーブルがいくつも並んだ、食堂のような場所だった。ハイデを含めた全員が横並びに座り、ジャンの前に座ったシスターは手際よく暖かいミルクを配ってくれる。
『ハイデはこの教会で預かっている子供達の中でも少々特殊でして、一切の魔法を使えない代わりに、祈りで代用しているのです。その不思議な力を授かった奇跡の子として、祈りの御子と呼ぶ者も多く、また一部の信者はハイデを崇拝している節すらありますわ』
ミルクを豪快にすするカブトに、ユリィが肘でつついて制した。
『預かった時には既に声を失っておりまして、ハイデに何があったのかは私達にもわからないのです』
きりっとした目つきに反して、柔らかい物腰で話すシスター。ジャンの隣に座っているハイデに、もう
怯えた様子は見られない。
『なんとか読み書きを覚えさせたのですが、何が不満なのか……こうして時々逃げ出してしまって。まさかカーネ山脈を越えていたとは思いもしませんでしたけど』
『魔法を使えない、とは?』
ロベリアが、最低限のキーワードを入れただけの質問をする。キーワードさえ入っていれば、シスターは答えるようだ。
『えぇ、ハイデは魔法にとても弱い体質……この教会は宗教上の理由で魔法は使わない為安全ですが、今やどこに行っても魔法ありきの生活をしているのが常でしょう? 触れれば命さえ危ういというのに、なぜこの子は何度も逃げ出してしまうのか……』
『理由もなく逃げ出すわけないよな、まさかいじめやら虐待やら……』
クロが珍しく真面目なトーンで話を切り出した。
『必ずしも理由があるとは限らない、けれど、いじめは典型的。声が出ないのなら、ありえない話でもない』
ロベリアも、何かを含んだような言い方をしている。
『いえ……もちろん私達もその可能性を考え、よく見るようにしているのですよ……しかし、むしろハイデの世話をしたがる子が多いくらいで……』
『こんだけ可愛い子が一緒に生活してりゃ、ガキでも関わりたくなるもんだわな。ハイデが嫌がる素振りをしてるなら話は別だろうけどよ』
『いいえ、普段は良く笑い、遊んでいますわ。ただ、ふとした時に突然いなくなるのです。どれだけ優しく聞いてもわからない状態で』
ユリィがタイミングをうかがっているように見えた。
「ユリィ、どうしたの?」
『……ちょっと聞きたい事があるけど、その……』
言いづらそうにしているのは、ハイデが一緒に居るからだろう。
「カブト、ちょっとおつかい頼んでもいい?」
『お? いいけど、おいら一人じゃ夜になっちまうぜ?』
「ハイデ、カブトを薬屋まで案内してくれるかな?」
座ってもなおジャンの手を握っていたハイデが、一瞬だけ困った顔をしたように見えた。しかしすぐに席を立ち、カブトの鎧をこんこんと叩いて手招きをした。
『へへへ、すまんね。じゃ、ちょっくら行ってくるわ』
「頼んだよー」
二人が部屋から出たのを確認して、残った全員は再び話を始めた。
「……ユリィ、続けて」
『ハイデちゃんの声について、だけど。……本当に声が出ないの?』
『…………』
シスターは黙り込む。ユリィの言葉に必要なキーワードが入っていないのかと思われたが、少しだけ眉をひそめたのを見ると、きちんと伝わっているようだった。
『失声症、失語症、似たような症例はいくつかあるけれど、原因や仕組みはどれも違うわ。ハイデちゃんが読み書きを出来るのは、言語認識力に問題はないという証明になるはずよね? だとしたら、喉に問題があって声が全く出ないのか、それとも』
『理由があって声を出せない、出さないのか』
ユリィの言葉にロベリアが続いた。
『本を読む、文字を書く、絵で伝える、どれもこちらでは確認がとれている。こちらの言う事も理解出来るし、音にも反応する』
黙り込んでいたシスターは眉間に寄せていた皺をさらに深くし、やっと口を開いた。
『……私達にもわからないのです。ハイデがここへ来た時も、一人で教会の前に立ちすくんでいたところを保護したので。親も出生もわからず、最初はいくつか質問したものの、全く答えません』
外から子供の笑い声が聞こえる。反して、部屋の中は静まり返っていて、シスターの声が大きく響いて聞こえる。
『ただ、一度だけ……ハイデの歌声を聴いたという子がいました』
「歌声? 口笛じゃなくて?」
『私達もそれを聴いて確認を急いだのですが、その報告は一度きり。それ以降、ハイデが声を発している姿を、誰も見ていませんの』
「その子に話を聞く事はできますか?」
ジャンが言うと、シスターは目を閉じ静かに首を振った。
『残念ながら、その子はもうここを旅立っています』
「死んだの?」
『いいえ。ここは見ての通り、孤児院も兼ねています。悲しいことに、孤児は増えていくばかり。特にこの数年、我が国は攻め込まれる事も多くて……徴兵がほぼ義務付けられているせいで、親を亡くした戦争孤児たちが増えています。成人を迎えた年には施設を出て貰わなければ、引き取りもままならない状態で』
『じゃあ、どこかにいるのね?』
『本来なら、職を見つけ宿舎に入り国内で生活を始めるのですが、その……ハイデの歌声を聴いた子は、旅に出ると言ったきり……』
シスターはそこで言葉を止め、それ以上は何も言わなかった。背後で、金属を擦り合わせるような音が聞こえる。
『おーい、うっかりうっかり、何買うんだか聞いてなかったわ』
「はぁ……おかえり。言い忘れてた僕に責任があるよ、あとで一緒に行こうか」
『わりぃな! で、話はどこまで進んだんだ? 次の目的地に行くんだろ?』
『いんや、まだ決まってねぇよおっさん』
『へ? んでも、ほら』
鎧に覆われた太い指で器用に冒険手帳を開く。
『おめぇさん達、やっぱり見てなかったんだな。何買うのかチャット飛ばしても反応なかったわけだ。ま、クエスト見てみな』
言われるがまま自分の冒険手帳を開くと、カブトからのチャットがいくつか溜まっていた。そしてクエストタブに、新しい情報が追加されている。
『また番号がついてねぇな。花の香を辿って、か。あれ、ハイデも一緒に?』
クロの言葉通り、またしてもクエスト番号が表示されておらず、ハイデと共に流浪の旅人【ルナシス】を探せ、という詳細のみが記されているだけで、報酬や目的地などは一切書かれていなかった。
『まだここに来たばかり。他のクエストはどうする?』
ロベリアがジャンに問う。
『そもそも、ハイデを連れていくなんて出来るのか?』
『ハイデは彼にとても懐いていました。ここまで安全にハイデを連れて来られた旅のお方ならば、安心して送り出せます。このままここに居ても、またいつ逃げ出すか……それなら、一緒に居てくださると私としても安心です』
『……だそうだ、ジャンはどうする?』
「僕は構わないけど……」
既にジャンの横へ座り袖を掴んでいるハイデを見ていると、目が合った。手を握ろうと引っ張ってくる。グローブを外し、手を差し出すと両手で握ってきた。
―置いていかないで―
「ハイデ……?」
あっさりと文字が流れ込んできた。
―邪魔はしないから、お願い―
「あ……あぁ……」
『おいおい、またイチャイチャタイムかー?』
見つめあったまま固まる二人に、クロが茶化す。居心地が悪く、一つ咳払いをしてからシスターに向き直った。
「わかりました、ハイデをお預かりいたします。それともう一つお伺いしたいのですが」
『なんでしょう?』
「こちらでスキルの変更などは出来ますか?」
『お祈りをご希望ですね? わかりました、ご案内いたします』
『すっかり忘れてたわ。これでバッサリと髪を短くしてしまいましょう♪』
席を立つシスターに続いて、機嫌よくユリィが続く。全員が後を追い、聖堂へ入った。
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