第15話 絶対悪の視線
「やあ、いつぶりかなビス。お互い商会の長となってからは会うこともなかったから本当に久ぶりだな」
男は部屋に入るとすぐに、先に部屋で待っていた会長に遅れたことを謝りもせずにそう言った。会長は男が遅れてきたことを気にしていないのか、それとも男が遅れることに馴れてしまったからなのかはわからないが、文句も言わずに挨拶のために席を立つ。
「本当に久しぶりだな。確か10年ぶりだ。しかし、お前の所は相変わらず帝国トップの売り上げを維持しているみたいだな。そのノウハウを教えてくれないか?」
会長の軽口を、男は鼻で笑う。
「よくそんなことを言えるな。ウチの魔法道具部門に大打撃を与えたくせに。分業して魔法道具を作る方法を教えてくれたら、喜んでこっちのノウハウを教えてやるよ」
「それはなんとも釣り合いのとれない取引だな」
「それなら、ついでに小麦も買ってやるぞ? 何なら香辛料もな。もちろん定価でだが、これで釣り合うだろ?」
男からのあからさまな挑発に、今度は会長が鼻で笑う。
「冗談はよせ。それより、早く始めよう。お互い時間は無いだろう?」
二人はそんな会話の後、円卓に座った。
ミカエル商会会長、ミカエル・ビスマークは東側に座り、
ダリア商会商会長、ダリア・オットーフォンは西側に座った。
ビスマークの側には、秘書であるナーベが控え、オットーフォンの側にはその秘書である、どこかの劇団にでもいそうな美男子が控えていた。
「で? そっちの希望価格は?」
オットーフォンは座るとすぐにそう聞いた。
「ああ。すでに決めてある。ナーベ」
名前を呼ばれると、ナーベは会長が事前に作っておいた資料を、ダリア商会側の二人に渡した。
「その資料のように、これまでに蝗害が起きたとき、小麦はおよそ1.5倍に高騰した。今回は俺たち二つの商会が小麦を独占できているから、おそらく2~3倍の価格で売ったとしても問題ないだろう。それに、お前も知ってるだろうが今年の蝗害は例年に類を見ないほどに規模が大きいものになることが予想される」
「ほお、そうなのか」
オットーフォンは平然とそう言い放った。もちろん、今年の蝗害が7年と11年のバッタが同時発生するせいで、これまで以上の被害が出ることは知っていた。
「しらばっくれるなよ。お前達の情報網を持ってすれば、これくらいのこと調べがついているだろう?」
「さあ、どうだろうなあ?」
オットーフォンはやはり平気でそう言い放つ。彼にとっては、もはや嘘をつくことは生活の一部なのだ。
「・・・まあいい。つまり、俺たちは小麦を定価の2~3倍で売ろうと思っている。そっちはどうだ?」
「私たちもそのくらいで売るつもりだ。悪いが資料なんてご大層なものは用意してないけどな」
少しも申し訳ないと思っていない様子で、オットーフォンは自分が手ぶらであるのを見せた。
「けっこうだ。なら、定価の2倍から売り始め、状況を見つつ値段を上げていくというのでどうだ?」
会長からの提案に、オットーフォンは頷く。オットーフォンの同意を確認した会長は、オットーフォンに会議を荒らされずに済んだことにひとまずは安堵した。
「それなら、とりあえずは契約成立だな」
「ははは、少しも揉めずに私たちが会議を終えるなんて、こんなこと今まであったか? まあいい。それより書類を作ろう。おい」
オットーフォンに呼ばれ、若い男は部屋に置いてあった紙とペンを持ってきた。
「とりあえず、ウチの秘書が事前に書いておいた契約書だ。内容に目を通して、問題が無ければ署名してくれ」
「わかった。確認に少し時間がほしい」
「かまわんさ。ゆっくり読めよ。お互いもう年だしな」
会長は書類仕事をするときにいつも掛ける老眼鏡を取り出し、書類に目を通し始めた。その様子を見ながら、オットーフォンは唐突に話し始めた。
「最近になって、君の商会はこれまでにしていなかった奇抜な戦略を使い始めた。なぜだ?」
「・・・急にどうした?」
オットーフォンからの唐突な質問に、会長は警戒心を強める。相手が何を企んでいるにせよ、それはおそらく好ましい事ではない。
「いや、単純な疑問さ。以前の君たちなら、奴隷を上手く使ったり、蝗害の情報を手に入れたり、言っちゃ悪いがそんなことは出来なかったはずだ。なぜ短期間で、ここまでのことが出来るようになった?」
「・・・さあな。お得意の情報網で調べたらどうだ?」
「残念ながら、いくら調べてもわからないからこうして聞いているんだ。どうやら、情報統制も上手くなったらしいな」
会長は書類から目を離さず、黙々と読み続けていた。
ナーベは、自分の焦りが相手に伝わらないように、必死で感情を殺していた。
オットーフォンは話を続ける。
「これは私の推測なんだが、君たちは何者かの極めて優秀な人材の確保に成功したのではないのかな?」
「・・・だとしたら、何だと言うんだ?」
「仮にそうなら、その人物を探し出して、引き抜こうと思っているんだが・・・」
ナーベは息をのむ。
ここまであからさまに、自分たちが行おうとしていることを隠そうともしないオットーフォンに、かえって恐ろしさを感じていた。
「ふ、お前らしいな。金のためなら、手段は選ばずか」
「お前だって似たようなものだろう?だからこうやって、人の不幸につけ込むような取引が出来るんだ」
痛いところを突かれ、会長は言い返せなかった。確かに、今自分たちがしようとしていることは商人としては正しくとも、人としては間違っている。
それは覆しようがない事実だ。
「・・・もし、引き抜きに応じなかったらどうするつもりだ? もちろん、そんな奴はいないがな」
しかし、会長は少しの動揺も見せずそう聞き返す。
その姿は、オットーフォンに対して恐怖を感じていたナーベに、僅かばかりの落ち着きを与えた。
しかし、彼女の心は次のオットーフォンの一言によって恐怖のどん底にたたき落とされた。
「そうだな、そうなるともったいないが、殺すしかないな」
「・・・っ!」
ナーベは絶句した。
優秀な人材は何としても引き入れる。それが叶わないなら、せめて邪魔にならないように殺してしまう。
そんな考えを隠そうともしないオットーフォンは、彼女の体を恐怖で震わせるのに十分だった。
震えるナーベに気がついたオットーフォンはにやりと笑った。
「ええと、君は確かナーベだったね?」
「・・・はい」
「聞いているよ。君は優秀だってね。どうかな? ウチに来ないか?」
「・・・っ!」
ナーベは生まれて初めて背筋が凍る思いがした。いま彼女はまさに、オットーフォンの毒牙にさらされているのだ。
「よせオットーフォン。これ以上俺の秘書に何かするなら容赦はしない」
会長は資料から目を離しオットーフォンをにらみつけた。その声には、あからさまな敵意が込められていた。
しかしオットーフォンは笑ってそれに応える。
「ははは、冗談だよ。それに、この程度で恐怖を感じるような奴はいらないからな」
ナーベは“いらない”と言われたことが、罵倒されているにもかかわらず、心底うれしかった。彼女は、オットーフォンに必要とされることが何よりの恐怖であると理解してしまっていたから。
「それでどうだ? その内容で問題ないか?」
「・・・ああ。これでいい。悪いがナーベ、何か書く物を貸してくれ」
「・・・え? あ、はい! ど、どうぞ」
ナーベは慌てて、ペンを渡した。しかしオットーフォンは、その様子を不満そうに見る。
「おいおい、ペンならそこにあるじゃないか。なぜ、わざわざ彼女から借りるんだ? まさか、私が用意したペンは使いたくないとでも言うつもりか?」
オットーフォンはそう言って、会長のすぐ側にあったペンを指さした。
「別にかまわないだろ? どれで書こうが」
会長はナーベからペンを受け取りながらそう答えた。
(会長・・・)
ナーベは、会長が自分に冷静さを取り戻させるために、わざわざそうさせたことに気づいていた。
「まあかまわないさ。それじゃあ、署名をしてくれ。それで契約成立だ」
「言われなくてもそうするさ」
会長はペンを握り、契約書の下側にあった、二つ並んだ空欄の一つに自らの名前を書き込もうとした。
しかしそのとき、
「会長!」
部屋の扉が勢いよく開け放たれ、フォートが飛び込んできた。
「まだサインしてませんよね!?」
「何者だ」
飛び込んできたフォートの首元に、短剣が添えられた。もし今、僅かでも短剣がフォートの首元を滑べれば、彼の喉元から激しく血が噴き出すだろう。
「よせシン。その短剣を下ろせ」
オットーフォンにシンと呼ばれた若い男は、しばしフォートを睨んだ後、そっと短剣を下ろして、オットーフォンの側に戻った。
(さっきの・・・とんでもないスピードだったな)
フォートは息を飲み込む。自分が飛び込んでから僅か0.1秒程で、自分から数メートル離れていた男が自分の喉元に短剣を添え、自分の命に王手をかけていた。
数ヶ月前に感じた、死の感覚を久しぶりに感じていた。
「フォートさん、なぜここに?」
ナーベは入り口前で固まるフォートにそう聞いた。フォートは気を取り直して、会長の方を向く。
「会長、実は・・・」
「フォート様!」
言いかけたところに、後ろから走ってきたターラが飛びついてきた。
「いきなり走っていくなんてひどいですよ! 入り組んでるから見つけるのに手間取りました!」
「ちょ、今はほんとにやめてくれよ。大事なところなんだから」
抱きつくターラを引っぺがそうとするフォートだったが、ターラは持ち前の、体に似合わない力で抱きついて、離れようとはしなかった。
そんなじゃれる二人に、会長は業を煮やしたようで、
「何だフォート? 用件を言え」
そう催促する。フォートは慌てて、なんとかターラを引き剥がした。フォートのそんな様子を見ながら、会長は聞き返す。
「俺たちは互いに合意して、今から署名するところだ。それを遮ると言うことは、よっぽどのことなんだろうな?」
「はい。かなり重要なことです」
「ちょっといいかな?」
勝手に話を続けるミカエル商会に、オットーフォンはしびれを切らして話に押し入った。
「会議を邪魔されたのには目をつむろう。しかしまずは、名のるべきなのじゃないかな? 君は誰だ。そして、役職は何だ?」
「え? ああ、確かにそうですね。失礼しました。えーっと、
僕はグラシェ・フォートと言う者で、役職は・・・」
「フォートさん!」
ナーベは声を荒げてそれを遮った。オットーフォンはナーベをにらみつける。しかし、ナーベは臆さなかった。
「そ、それよりまずは用件を伝えるべきではないですか?」
ナーベは気づいていた。先ほどの話に出てきた“正体不明の誰か”が間違いなくフォートであると言うことに。
そして、おそらくオットーフォンは、重要な会議が行われている部屋に飛び込むという“普通なら出来ないような”ことをしでかしたフォートこそが、まさにオットーフォンが探していた人間なのではないのかと疑っていることに。
そして、それを確かめるためにフォートに名のらせようとしていることにも。だからこそ、ナーベはフォートに名のらせるわけにはいかなかった。
このままでは間違いなく、フォートはオットーフォンの毒牙にさらされることになってしまうから。
そんな気遣いに気づいてか気づかずか、フォートは名のるのを中断した。
「それもそうですね。商談を遮るのも悪いですし。すみませんが、用件を伝えたらすぐに出て行くので、自己紹介はまたの機会と言うことで」
「・・・いいだろう」
オットーフォンは渋々了解した。オットーフォンとの話が一段落したのを見て、会長は話を戻す。
「で? 要件とは何だ?」
会長からの問いに、フォートは真剣な面持ちで会長の方を見た。
「会長。この条件での契約はやめてください」
「・・・どういうことだ?」
「この条件じゃ、小麦の値段が“高すぎ”ます」
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