39−1 ヘイセー×年のフットボール①

 美智代は洋美の首を思い切り蹴った。放物線を描き、わりと遠くまで飛んでいった。

「やっぱりあたし、才能あるんだよ……。若かったらチャレンジしてもよかったねえ」

 狂態を、ゴギョウとセリはただ呆然と見ることしかできなかった。美智代の手には、バットがあった。野球だったりサッカーだったりややこしい。

 あいつは楽勝だった。美智代は嬉しくてたまらない。銃を持っていたくせに、結局あの女は撃てやしなかった。

 先ほどの争いを思い出し、口中が湿った。


「お願い、やめて」

 洋美はあくまで戦おうとしなかった。あれだけ人殺しをしておいていまさらなんだっていうんだい。

「洋美ちゃん、あんた人として外れてるよ。けじめをつけないで逃げるなんて、人のすることじゃあない、お父さんになにを教わって生きてきたの、あんた」

 そういってやったときの洋美の顔! 白洲の一家は前々から気に入らなかった。善人ヅラした父親、そして、自分を特別とでも思っているらしい娘の洋美。なにもかもが愉快ではなかった。洋美が拳銃を出したときは焦った。こいつはわたしを撃つだろうか? 撃たれたなら、ひとたまりもない。美智代は「撃たない」に賭けた。怯まず突進し、洋美に思い切りバットを叩きつけた。まだ息があるうちに、軽トラにあったノコギリを手にし、倒れている洋美の首に刃を当てた。

「ぎろちんぎろちんしゅるしゅるしゅ……」

 叫び声、暴れる洋美の背に足をかけ押さえつけたたときの感触、皮膚が裂け、血が噴きでるさま。これまでの人生のなかで、一番興奮し、濡れた。ああ、自慰がしたい、と思った。いまならこれまでで一番の快楽に接続するのではなかろうか!? しかしまだまだしなければならないことがある。連中全員の息の根を止めなくてはならない。

 遠くでテイラー順子とみゆきが、チャンバラをしているのが見えた。テイラーはみゆきを絶対に自分の手で叩きのめしてやると息巻いていた。放っておこう。もしテイラーが負けたとしても、みゆきを消耗させてくれれば、あとはなんとかなる。それよりも。

 あのくだらないガキどもを始末しなくては。


 残るはゴギョウとセリだけだ。ナズナとホト、そして業平はくたばっている。美智代はかつて、この男と一度寝たことがあった。夫の吉宗は彼女を満足させることはなかった。業平は、下手糞だった。たいしてない美智代の経験のなかでも最悪だった。シラスハウスにいた男、ああ、滝に落とされたクルクルパーのハコベラはわりとよかった。セックスとひとごろしには、個性があらわれる。自分はどうだろうか。一言でいえば、貪欲。

 躊躇なく、セリとゴギョウを連続で叩きのめした。

 とくにセリには念入りにしてやった。美智代はこの、モデル気取りの女が心の底から大嫌いだった。自ら売春をしたというのにそのことを嘆くだなんて、愚かで、ナルシズムにどっぷり使った行為だ、と思った。そういえば、さっき死んだ夫がすべての労働は売春であるとかなんとか以前偉そうにいっていたっけ。どうでもいい。セリの首を切り落とし、蹴ってやったらさぞかし痛快に違いない。はははははは……! 顔は勘弁してやるよ! ボディだけにしてやらあ!

「なにやってんのよ!」

 ねえ、なにやってんのよ、やめなよ! 離れたところで、咲子が呆然して立っていた。

「遅いわね」

 美智代はいった。

「なんなのこれ……」

 この目の前に有様。なんなんだ。いったいなにが起きたんだ。咲子はなにが起こったのか、どうしてこんなことになってしまったのか、わからず、わからないままで、いたかった。逃げ出したかった。止めてしまったことを後悔した。美智代は口元に笑みを浮かべているが、目は咲子を睨みつけている。どいつもこいつも、なぜこんな複雑な表情を浮かべるのか。彼らの人生のなかで、こんなこと初めてに違いない。

「こいつらが逃亡しようとしたんでね、体罰よ」

 うちの学校厳しかったんだよねえ、ちょっと遅刻しただけで、教師がシッペするの。ひどくない? いまだったらそんなことしたら大問題だよ。あのクソ教師の名前、なんだったっけ。美智代が思い出そうとした。だめだ思い出せない。頭に検索機能がついてりゃいいのに。

「体罰ってそんな……」

 咲子は震えている。だから都会の女ってのはダメなんだ。美智代はさっき、洋美の死骸のそばに落ちていたものを咲子のほうに投げた。拳銃だった。

「あんたも、ここで生きていくためには手伝ってもらわなくちゃね」

 いいかい、肉ってのはね、スーパーで売られているみたいには初めからなっちゃいない。店に並ぶ前にさばく人間がいるんだよ。都会人てのはそういうことを見て見ぬ振りしていやがる。

「そうだねえ、このへたばってるネギ坊主みたいな男を、殺してよ」

 田島でこれからも暮らしたいんなら、そんくらい手伝ってくれたっていいだろう。

 咲子は目の前に放られた拳銃を拾うことができない。

「早く!」

 美智代は怒鳴りつけた。

 ああ、じれったい、わたしはこいつらを殺してさっさとオナニーがしたいんだよ。びびってんじゃねえよ。そのとき、美智代は足を掴まれた。セリだった。そんな力でわたしを押さえつけられるとでも思ってるのか。バカだねえ。その綺麗なお顔をそのまま残して蹴ってやりたかったけど……容赦なく、セリの顔面に美智代は足を撃ちこむ。しかたがない。思い切りバットを振り上げた。

 おおきく振りかぶって!

 セリの頭が割れた。あーあ、ボールにしてやるつもりだったのに!

 結局、よそものは助けてくれないのだ。自分でやるしかない。ただ震えたままの咲子に美智代は近づき、そして銃を手にした。

「あんたはここの者じゃないからね。チクられたらたまんないからさあ」

 死んでよ。

 咲子に向かって銃を向けた。

「やめろ!」

 美智代は思い切り腹に衝撃をくらい倒れこむ。

「なんなんだよこれは!」

「深町!」

 咲子は、泣いた。安心感が身体中を支配し、緩んだ。

 深町が美智代に向かって思い切り飛び蹴りをくらわせたのだ。

「これは、どうなってんだよ」

 死骸が転がっている。見たことのある連中ばかりだ。吐きそうだ。それに、さっきここにくるまでに……。

「志村が死んでたぞ」

 深町は呟く。咲子は意味が呑み込めず、しかし身体が先に理解したらしく、脱力し、蹲った。

 遠くで怒号を飛ばしているやつがいる。テイラー順子か?

「おい、起きてるのか?」

 深町はゴギョウを見つけ、声をかける。虫の息、といったところか。他の連中は、全員死んでいる。深町はゴギョウを抱き起こした。とにかく、ここから逃げなくては……。

「いくぞ」

 銃声が鳴った。

 咲子を促したところで、いままで味わったことのない痛みを深町は感じた。美智代が、深町の左肩を撃った。深町が崩れる。

 深町よりも、咲子のほうが驚き、叫び声をあげた。

 三発、立て続けに銃声が響く。弾は肩と腹をかすめたらしい。

「深町! 深町!」

 咲子が深町に触れる。べっとりと、手のひらに血がついた。

「青年団のリーダーは……村の、裏切り者……」

 美智代は銃を放った。バットを手にし、深町に襲いかかろうとしていた。残りの力すべてを使って、こいつをぶち殺してやる……。

 そのとき、美智代の胸に、なにか、槍のようなものが刺さった。突然のことだった。咲子には、突然棒が美智代を刺し貫いたように、出現したかのように見えた。美智代が倒れた。

 誰かが近づいてくる。

「……間にあわなくてごめんなさい」

 みゆきが歩いてきた。

 美智代の身体から、棒を抜く。それは、ヘッドの欠けた、ゴルフクラブだった。

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