PageEX02:いつか未来は……

 炎の熱量と、金属がぶつかる音が空間を支配している。

 此処はレイの事務所、その横に併設されている魔武具工房。

 レイとアリスはそこで、巨大な金属を叩いていた。


 レイが小槌を叩きこむと、それに合わせてアリスが大槌を叩きこむ。

 大量の炎に包まれながら叩かれる金属は、徐々にその形を変化させ、不純物を吐き出していく。

 魔法で作られた炎は、軽く三千度を超えている。

 生身では危険な温度なのでアリスは魔装に、レイは久々の偽魔装に変身して作業を行う。


 何度も何度も叩き伸ばしていく内に、金属は炎の中で鮮やかな紅色に輝いてきた。


「よし。アリス、もういいぞ」


 アリスが大槌を振るうのを止めると、レイは金属を覆っていた炎を止めて、その上からバケツに入った水を被せた。

 けたたましい蒸発音が鳴り響くと同時に、金属は急激に冷やされる。

 だがその金属は、冷却されてなお美しい紅の色をしていた。


「ふぃ~。色々出来るのは良いんだけど、加工に時間がかかるのがヒヒイロカネコイツの欠点なんだよな~」


 冷めた金属を軽く手で叩きながらそう漏らすレイ。


 【無限金属】ヒヒイロカネ。

 数ある魔法金属の中でも特に特殊な存在であり、その二つ名の通り加工方法を少し変えるだけで180度違った性質を見せてくる金属だ。

 その姿に限りは無い、故に無限金属。

 レイはこのヒヒイロカネを使って、フレイアの剣を作ろうとしていた。

 耐熱とか増熱とかを超越した、最早炎と金属の一体化とも呼べる性質に加工したのだ。

 しかしその分、ヒヒイロカネ自体の加工に手間暇がかかってしまい、加工開始から今日で三日目となっていた。


「アリスも悪いな、手伝ってもらっちゃって」

「別にいいよ。鉄打ちなら手伝えるから」


 変身を解除しながら、お礼を言うレイ。

 世話焼きでしょっちゅう事務所に通っているアリスだが、たまにこうしてレイの仕事を手伝っていたりするのだ。


「にしても相変わらず叩くの上手だよな~。殆ど本職と変わんねーぞ」

「……学習の成果、かな」

「あぁ、昔から後ろで見てたもんな」


 レイと知り合って間もない頃から、アリスは彼の作業の様子を見守っていた。

 それで見て学習したと言いたいらしいが、それにしても良く出来過ぎた助手である。レイ個人としては嬉しい限りなので、深くは追求しないが。


「うわ、もうこんな時間か……」


 窓の外を見れば真っ暗闇。

 どうやら一日中ヒヒイロカネと格闘していたようだ。


「汗かいただろ。後片付けは俺がやっておくから、シャワー浴びてこいよ」

「うん。そうする」


 そう言うとアリスは変身を解除して、近くでうずくまっているロキを抱きかかえた。

 部屋の熱量にやられたらしく、ロキはすっかりバテている。


「キュ~……」

「ロキも身体を冷やしにいこうね……それとレイ」

「なんだ?」

「ちゃんと片付けしてね」

「信用ないなぁ」

「日頃の行いが悪い」


 不満顔を晒すレイを背に、アリスは工房を後にした。





 工房からシャワールームへ続く道を歩くアリス。

 その道中事務所の中を突き抜ける必要があるのだが……


「……レイ、だから信用がないの」


 そう呟くアリスの眼前には、無残な事になった事務所の姿。

 机や椅子には設計図やメモ書きが散乱し、飲みかけた紅茶のカップは出したまま放置。

 床には脱ぎ捨てられた服や下着があちこちに点在していた。


「はぁ……ロキ、シャワーは少し待っててね」

「キューイ」


 ロキを部屋の隅に置き、アリスは部屋の片付けを始めた。

 冷めた紅茶が入ったティーカップは台所に戻し、散乱したメモや設計図は何個かの束にして纏め上げる。

 普通ならここで文句の一つでも出るのだろうが、不思議とアリスにはそう言った気持ちが出てこなかった。

 むしろ、レイという幼馴染の世話を焼いてやっている事に、一抹の幸せさえ感じていた。


「キュ~」

「ロキ、何か言いたいの?」

「キュッ!? キュキュ!」

。今はどうせ二人きり」


 アリスにそう言われると、ロキは観念したかのように「キュー」と一声漏らす。

 そして……


「いやはや、マスターアリスも中々に健気だなと思ったまでです」

「そうかな?」

「そうですとも。少なくとも私にはマスターのような真似は出来ません」

「大切な人が喜んでくれるから、アリスは別に苦じゃないよ」

「そこが健気だと言うのです」


 そう言いながら、ロキはアリスの前に回ってくる。


「私はしがない獣です。群れや子孫の為に戦う事はあれど、契約もしていない一匹の雄の為に身を粉にする事はありません」

「アリスは変に見えるかな?」

「不思議ではありますね。少なくとも我々カーバンクル族には無い考えを持っています。だからこそ私は貴女に付き、貴女と契約した」

「うん、本当にありがとうね。アリスのパートナーになってくれて」


 アリスはロキの頭を優しく撫でるが、ロキは静かに頭を横に振る。


「いえいえ。私はまだまだマスターの助けに等なれていません」

「そんな事ないよ」

「事実を述べたまでです。私は貴女の願いを叶える為に役立てておりません」


 自虐的に語るロキに、アリスも少し眉間に皺が寄る。


「マスターアリス。ミス・フレイアが彼の少年に授けた言葉を覚えていますか?」

「……」

「一人の力には限界があります。彼らにだけでも、真実を話すべきでは?」

「……少なくとも今はダメ」

「マスターアリス」

「ロキの言いたい事は分かってる。でも今はまだ、その時じゃない」


 まるでロキの言葉から逃げるように、アリスは片付けの手を早める。


「いつかは……いつかはちゃんとするから」

「その何時かが、早く来る事を私は願いますよ」


 気がつけば事務所の客間まで綺麗に片付けていたアリス。

 始めてから随分と時間も経ってしまった。

 アリスはロキを抱えて、今度こそシャワールームへと足を運んだ。





 事務所の一画に備えられたシャワールーム。

 アリスはT字の鉄パイプに穴が開けられただけの簡素な作りのシャワーに、鈍色の栞を挿し込む。

 すると鉄パイプの穴から、程良い温度の湯が噴き出てきた。


「ふぅ……」


 一日中熱気のある部屋に居たので、身体中が汗まみれ。

 だがシャワーから出るお湯が、その汗と共に今日の疲れを流し落としてくれる。


「はい、ロキも身体洗おうね」

「キュ〜」


 ロキの身体を石鹸で優しく洗うアリス。

 石鹸の泡に塗れながら、ロキは気持ちの良さそうな声を漏らしていた。


 ロキの身体についた泡を洗い流すと、今度はアリスが身体を洗う番。

 全体的に凹凸は少ないが、白く美しい肌に石鹸の泡を滑らせる。


「……」


 アリスは自分の身体を洗いながら、少々物思いに耽っていた。


 ここ数週間に起きた出来事は、激動と言う他にない。

 レイの精神的な成長に、スレイプニルとの契約。

 そしてチーム:レッドフレアへの加入等々、変化したものが多かった。


 一番大きいのは、やはりキースとの戦いだろう。

 キースとの戦いに於いて、セイラムシティを守る一員となったアリス。

 だが正直に言ってしまえば、アリス自身はセイラムの住民に対してあまり良い感情は持ってはいなかった。

 要因はレイを迫害し続けたという事が一番大きいが、操獣者至上主義故の選民思想を持つ者達に辟易しているのもある。

 無論、この街にも信頼できる人が居る事をアリス自身理解はしている。

 モーガン親方を筆頭とした魔武具整備課の人達に、ギルド長、そしてチーム:レッドフレアの面々。いずれもレイを迫害せず、親しく接してくれた人たちだ。


「(あの人たちはレイに変な事をしないから、安心して任せられる)」


 レイを任せられる者が増えた事に、アリスは素直に安心感を覚える。

 これは特にフレイア・ローリングという少女の存在が大きい。


 チーム:レッドフレアのリーダーにして、レイを闇から引きずり出した少女。

 そしてレイと同じく、ヒーローになる事を夢見る者。

 ヒーローを夢見る者自体はこの街では珍しくないし、レッドフレアの面々は殆どが同じ目標を持っているだろう。

 これに関しても正直に言ってしまえば、アリス自身は「ヒーロー」の称号に関しては何ら興味がない。

 元々操獣者になったのも、怪我をしがちなレイを治したいと言うのが一番の理由だ。後は救護術士という職業は食いっぱぐれがないのもある。

 もっと言ってしまえば、声に出さないだけでアリスはチームの面々に対する執着さえ薄い。

 アリスにとって優先すべきはレイであり、それ以外に関する関心があまり無いのだ。


「(まぁ、必要な時に必要な事はちゃんとするけどね)」


 目の前で死なれても目覚めが悪い。

 ある程度は距離が縮まっているから尚更だ。

 それに死なれるとレイが悲しむ。

 アリスにとって、それは何より避けねばならない事だった。


「(アリスが願う事、欲しいもの……そんなに難しい事じゃないはずなんだけどな)」


 アリスという少女が欲するのは純粋な願いだけだった。

 レイという幼馴染と共に平穏を生きる。ただそれだけのささやか願い。


 しかし世界というものは残酷に出来ている。

 こちらに降りかかってくる火の粉が多すぎるのだ。

 まして、操獣者という荒事専門の仕事をしていれば尚更の事。


「(贅沢言ったつもりは無いのに、目標が遠いなぁ)」


 思いの他、自分より遠くに位置する願いに、アリス大きなため息をつく。


「未来……か……」


 シャワーの湯にぶつかりながら、ふと思い立ったアリス。

 眼を閉じて、自身の願いが叶った未来を夢想した。


 それは、何てことの無い日常。

 綺麗な服を着て街を散歩したり、少しおしゃれなカフェでお茶をしたり。

 家に帰ると、大切な人が「おかえり」と言ってくれる。

 そんな日常の光景。

 だがアリスにとって大事な事は、そこにレイがいる事だ。


 レイに傍に居て欲しい。手を触れて欲しい。抱きしめて欲しい。

 キスして欲しい。押し倒して欲しい。家族になって欲しい。

 数々の光景を妄想していく内に、アリスの口元は大きくにやけていた。


「(あぁ……やっぱり、好きだなぁ)」


 いつか訪れて欲しい未来を夢想しながら、アリスは改めて自身の気持ちを自覚する。

 そして無意識に、アリスは自分が恋する幼馴染の名を呟き、左胸に手を添えた。


「……馬鹿だなぁ」


 だがそれは、アリスの意識を一気に現実へと引き戻してしまった。

 アリスは自身の左胸を注視し、自嘲の笑みを浮かべる。


「こんな身体じゃ、だれも愛してくれるはずないのに」


 視線の先、アリスの左胸には生々しくも大きな傷跡があった。

 普通の女性なら心にも大きな傷を与える様な、残酷な傷跡。

 それがアリスの妄想を打ち消してしまった。


 気分が乗らなくなったので、アリスはシャワーを止めて身体にタオルを巻いた。


「はい、ロキも身体拭こうね」

「キュ~イ」


 持参したもう一枚のタオルで、アリスがロキの身体を拭いていると――


――ガララ――


「あ」

「へ?」

「キュイ」


 流石にもう出た後だろうと思い込んでいた、レイがシャワールームの扉を開けてしまった。


「な、な……」

「悪ぃアリス! まだ入ってるとは思わなかった!」

「なんで明かり点いてるのにノックしないの!?」

「マジですまん!」


 顔を赤く染めて叫ぶアリスに、レイは咄嗟に背を向ける。

 突然の事に、アリスもついが出てしまう。


「レイはもうちょっと女の子と暮らすって事を考えるべきだと思う!」

「いや、別に俺ら一緒に暮らしてないよな」

「似たようなものだからいーの!」


 家事等々で散々世話になっているのに加えて、偶に事務所に泊まる事もある。

 確かにアリスが言うように実質一緒に暮らしているようなものかもしれないが、それにしても一方的なものだ。


「……なんか、初めて見たな」

「なにが?」

「アリスがそうやって焦る顔見せるの」


 ゴトッ……


「違う違う、変な意味はない! だからナイフを手に取るな!」

「じゃあどういう意味?」

「いやその……普段クールな所しか見てないからさ。さっきみたいに急に焦った顔を見せられると……こう、ギャップがあって可愛いなって思いまして……」

「~~ッ!?」


 急に「可愛い」と言われたアリスは、瞬く間に全身が赤く染まってしまった。


「レイ、しばらくこっち見ないで」

「見れねぇよ。今は」


 赤くなった顔を俯かせながら、アリスは早々と服を着替える。


「ねぇ……レイ」

「おう、なんだ?」


 着替え終えたアリスは、静かに問いかけた。


「胸……見た?」

「え、大きくなったのか?」


 ガシッ! ゴスンッッッ!


「ゴハッ!?」


 哀れレイ少年。

 アリスが振り下ろした無情なるナイフの柄が後頭部に直撃した。

 大きな瘤を作りながら、レイはその場で倒れ込んでしまう。


「レイに聞いたアリスが馬鹿だった……行こう、ロキ」


 床に突っ伏すレイを尻目に、アリスはさっさとその場を去ってしまった。


「(やれやれ、人間とは難儀な生き物ですな)」


 頬を膨らませながら歩くアリスを見て、ロキは心の中でそう呟く。

 そして、いつか来るであろう未来でさえも、案外この光景は変わらないのだろうなと思わずにはいられなかった。

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