Page14:必要ナモノハ
絶望とは実に容易く、それでいて突然に襲い掛かってくるものである。
レイ・クロウリーという少年がそれを実感し知ったのは、今から三年前の事であった。
その日、セイラムシティ全体でボーツが大量に発生するという前代未聞の事件が発生していた。
幸いにしてボーツ一体一体は大した脅威では無かった為、ギルドの操獣者達が難無く撃退し、街への被害も最小限に抑え込むことができた。
多少の怪我人は出たが微々たるものであり、街の住民達は皆胸をなでおろしていた。
だがこの日、たった一人だけ犠牲者が出ていた事をセイラムの面々が知ったのは……全て取り返しがつかなくなった後の事だった。
背後には炎の熱。鼻孔には森の木が焦げた嫌な臭い。そして背中には、生温かい血の感触と父親の重み。
レイは息を切らしながら、父親を背負って独り助けを求めていた。
「(なんで……救難信号弾を撃ったのに、なんで誰も来ないんだ?)」
目の前で凶刃に倒れ、今まさに身体から
今までこんな事は無かった、異常だ。ギルドだけではない、セイラムシティ全体で何かがあったに違いない。
レイは混乱する自分を抑え込んで、ただひたすらに中央区へと足を進めていた。
中央区まで近づけば、救護術士の一人くらい居る筈だ。
八区の獣道が終わる。ここから先には誰か人が居る筈だ。
ボーツの大量発生で混乱中かもしれないが、今はこの先の光に頼るしかない。
一人でいい、誰か居てくれ。
藁にも縋る思いでレイは獣道を抜ける。
そして――
「……え?」
そこに人は居た。幾らでも居たのだ。
だがそれはレイにとって、光からは程遠く……裏切りの体現の様に見えていた。
ボーツの撃退は既に終わっていた。
ギルドの操獣者達はいつも通りといった感じで、事後処理に勤しんでいた。
まるで、誰かが助けを求める声など最初から聞こえていなかったと言わんばかりに……いつも通りだったのだ。
「……なんで……」
それ以外に、レイは言葉を出せなかった。
目の前の光景に、ただ茫然と立ち尽くしてしまう。
救難信号弾が不発だったのか? 否、確かに上空に打ち上げられた瞬間をレイは視認していた。
では他の地区まで信号弾の光が届かなかったのか? 否、放たれた信号弾は相当量の光を発していた。
ならば目の前の彼らはなんだ?
何故彼らは悠々と事後処理に勤しんでいるのだ?
何故誰も信号弾の事を気にしていないのだ?
レイには、理解できなかった。
「おぉレイ、無事だっ…………!?」
茫然自失状況のレイに気づいた者が駆け寄ってくる。
魔武具整備課のモーガンだ。モーガンはレイが背負っている友の姿を確認すると、信じられないといった表情を浮かべた。
「エドガー……おいッ! エドガー、しっかりしろ! エドガー!!!」
レイの背中からエドガー・クロウリーを降ろし、安否を確認するモーガン。
その叫び声を聞いた操獣者達が、続々と負傷したエドガー・クロウリーの姿を認識した。
彼らは例外なく、ありえない物を見ている様な顔で茫然としていた。
「誰か、救護術士を呼んでくれ! 早くしろ!」
モーガンの叫びを聞いて我に返る操獣者達。
慌てて救護術士を探しに向かう彼らの背中が、レイの心に音を立てて傷を入れていった。
「……親方、父さんが撃った救難信号弾……見えてたか?」
エドガーを止血するモーガンの腕が一瞬止まる。
「なぁ……誰か見て無かったのか?」
力ない声で周囲の操獣者達にも問いかけるレイ。
レイの問いを聞いた操獣者達は皆顔を背けた。それは最早、無言の答えだった。
「……親方?」
縋るような眼でモーガンの方を見るレイ。
だが返って来たのは……俯いて、ただ一言「すまない」と謝罪する、レイにとって余りにも残酷すぎる答えであった。
「なんでだよ……なんで誰も……」
誰かが助けてくれると信じていた。ヒーローと讃えられた父の様に、誰かが父にも手を差し伸べてくれると信じていた。
だが返って来たのは、あまりにも無情すぎる裏切りであった。
「助けに来てくれなかったんだよォォォ!!!」
見知らぬ誰かの為に、父は手を差し伸ばし続けた。
だがその誰かは、「仲間」だの「友情」だのを謳っておきながら、誰一人として手を差し伸べる事は無かった。
そうしてレイの心には、只々失望が残るばかりなのであった……。
◆
目覚める。
「……なんか、嫌な夢見ちったな……」
書類等が散乱したデスクから顔を上げて、レイは目を擦る。
散乱した書類の上には一枚の地図が広げられており、その端にはペンが転がっていた。
フレイア達と別れた後、レイは自宅兼事務所に戻りあの強化ボーツの正体について頭を悩ませていた。
デスクに広げていたのは大量の術式で構成された魔方陣を描いた地図だ。
「結局、正体不明のままかぁ……」
ボーツの召喚術式をベースに硬質化、自然治癒強化等々、思いつく限り様々な術式を組み合わせて考えてみたのだが……何れも今迄のボーツ発生の要件と一致せず、レイのデスク周りには破り丸められた地図の残骸がいくつも転がっていた。
「そもそもあの鎧みたいな部位が何なのかが分からないとな~」
ボーツの強化部位を思い返すレイ。単純な硬質化や身体強化等をかけた場合、あのように形状変化が起こる事は決してない。良くて表皮の色が変わる程度である。
つまりボーツにかけられた術式は、身体の変質化と強化を同時に行う術式であるという事。
犯人は召喚術式とこの強化術式を共存させた魔方陣を使っているに違いない。
レイは持てる知識を総動員して、この術式の正体を暴こうとしたが、今夜は分からずじまいであった。
根を詰めすぎて頭の回転効率が落ちては意味がない。夜も遅いので、レイは大人しくベッドで眠る事にした。
そうして席を立った時、ふとレイの頭の中に一つの術式が浮かびあがる。
「まさか……いや、それは無いだろ」
それはありえない。レイは自分の中でそう結論付けて、その話を終わらせた。
寝室の戸を開け、そのまま倒れ込むようにベッドに沈むレイ。
召喚の術式だけを見る限り、明日はボーツが出そうにない。だが強化ボーツの事が心配なので、明日は街を散策していようとレイは思うのだった。
眠気はまだ来ない。ここ最近色々な事が起きすぎて、レイの頭の中でそれらがグルグルと渦を巻いていた。
「できるのかな……俺一人で……」
強化ボーツの強さを思い出し、少し弱気が生まれる。ただでさえ通常ボーツに数で攻められると辛い現状、あの強化ボーツを相手にどこまで戦えるのか不安が渦巻いていく。
「いっそ、誰かを頼ればいいのかな?」
レイの中で、フレイアの言葉が反復される。
「仲間……か……」
フレイアが本心から自分を信じている事を、レイは大凡理解していた。
だがどうしても、三年前の出来事がレイの心にストップをかけてしまう。
そう言った感情がレイに苦虫を嚙み潰したような顔を浮かべさせていると、背後からか細い腕が回し込まれて、レイを優しく包み込んだ。
アリスの腕だ。
「悩んでるの?」
「ん」
「フレイアの事」
「……解ってるさ、アイツが悪意なんて欠片も持っていないって事は。けどよ、それは裏切らない確証にはならないんだよ」
父を手にかけた当人はともかく、父を見殺しにした者達に悪意は無かった。
悪意を持つこと無く、レイ達の心を裏切ったのだ。それがレイの中で言い表しようの無いトラウマとして根付き続けていた。
「レイは、フレイアの事どう思う?」
「脳筋パワー馬鹿」
「それも正解。じゃあレイは、フレイアが誰かを裏切るような人だと思う?」
否定の言葉は微塵も浮かんでこなかった。フレイアと関わり彼女の人柄を見てきた訳だが、仲間を思いやりこそすれ、裏切り傷つける様な真似をするとは到底思えなかった。
「大丈夫。フレイアはレイを傷つけない」
「……そうかもな。だけどそうなったら、今度はフレイアが傷つく番だ」
どれだけ足掻こうとも、レイ自身がトラッシュであるという事実を変えられる訳ではない。たとえフレイアがレイを信じて受け入れたとしても、トラッシュを仲間にしたと嘲笑されチームの評価を大きく落とすことになるのは明白だ。
「嫌なんだよ。自分のせいで誰かが傷つくのとか……嫌なんだよ」
首に回されている腕を握って、そう漏らすレイ。
自分が嘲笑される事に関しては最早どうでもいいと思っているのだが、自分に関わった者がその巻き添えになる事がどうにも後味が悪く許せなかった。
「じゃあ、逃げる?」
「…………」
「レイが街から逃げても、私は責めないよ」
「……それも嫌なんだ」
自身を嘲笑し、父親を見殺しにしたこの街に思う所が無い訳ではない。
だがレイは、セイラムから逃げようとは思わなかった。
偉大な父の背中が、ヒーローという夢が、レイをセイラムに縛り付けていた。
「少なくとも今は……目の前で起きてる事件をどうにかしたい」
「ちゃんと評価されなくても?」
「俺の評価はどうでもいい。目の前で手を伸ばせる範囲なのに、それを諦めたら後味の悪さが残る……それが嫌なだけなんだよ」
レイがそう言うと、背後から優しく頭を撫でられた。
小さな手の平が髪の上を這う感触が心地よい。一撫でされる度に、レイの心に安心感が芽生えてくる。
「なでなで」
「……なんだよ」
「レイは優しいんだね」
「……優しくなんてない。自分の都合だけで動いている利己主義者だよ」
「でも誰かを助ける為に、レイは動ける」
評価され慣れていないレイは気恥ずかしさを感じる。
「フレイアの仲間にはならないの?」
「……ならねーよ。誰も得しない」
「……そう」
レイの心を察したのか、無理強いの言葉は来ない。それだけでありがたかった。
レイは何も言わず、心の中で感謝を述べる。
「でも、少しくらいなら……歩み寄っても、いいんじゃないかな?」
「…………」
「フレイアは小さい事は気にしない。きっとレイの良いお友達になってくれる」
「……友達……」
「うん。仲間じゃなくて友達」
レイは自分の中で、心が揺れるのを感じた。
思わず先程のフレイアとのやり取りで引き下げた手を見つめる。
「……伸ばしたら、届くかな?」
「レイが望めば、きっと届く」
無限を
だがそれが、正しい道だと信じて進んでも、眼の前に広がるのは果て無く続く夜の帳……。
少し考えれば当然の事だった。道標が無いのだ。旅人を導いて来た、
ならばこれより先は闇と悪意の時間。身も心も斬りつけて行く修羅の道である。
レイ・クロウリーという少年が進んできた道はこういう道だ。
終わりのない闇に沈んだまま、孤独に光を探し続けるのだ。
「(あぁ……そうか)」
ここ最近の出来事で、心が揺れる続けていたが……レイはようやくその正体に辿り着いた。
嬉しかったのだ。自分の孤独が和らいだ事が、無意識的に嬉しく感じていたのだ。
「……話相手くらいは、してやってもいいかな」
「うん。それでいい……少しずつ、進めていこう」
頭を撫でる手と、優しい声がレイの心に温もりを与える。
だがここでレイは、先程から抱いていた一つの疑問を口にしたくなった。
「ところでさぁ……一つ聞いていいか?」
「なに?」
「アリス…………お前なんで俺のベッドに入ってるんだ?」
念のために述べておくが、レイは一度たりともアリスを寝室に招き入れた覚えは無い。
さらに付け加えれば、今日レイは彼女を自宅に招き入れた覚えも無かった。
「……お気になさらず」
「気にするわい!!!」
流石に同じくらいの歳の少女と同衾するのは抵抗感があったレイ。目一杯アリスを引き離そうとするが、当のアリスはレイの身体にしがみついて離れない。
結局アリスはそのまま就寝してしまい、起こすのも悪いと思ったレイは一晩中抱き枕と化すのであった。
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