第11話 たそかれの王 後話
◇
「……なるほど。それでミラクーロだけを地底湖まで連れて行ったのね」
ルミネが独り言で盛り上がっている間に、部屋のドアから一人の女性が入ってきていた。背が高くスラっとした体形の女性だ。
「旦那が育児ノイローゼって、どうなってるんだ?ミゼリト」
ケイサンがそう女性に言った。
「この人があれこれ心配性すぎるんです。あの子が歩く道の先の落ちている小石を全部どっかにやってしまおうってするんですもの」
ミゼリトと呼ばれた女性の隣で、ケイサンが笑う。
「まあ、昔っからどっか小心者なところが見え隠れしてたもんな。それに比べてあんたは、さすがだねぇ」
「ありがとうございます、叔父様。しかし、ルミネさん。今度という今度は私も少々頭にきています。どうしてそれだけのことが起きて、何も言わずに三日間もいたのですか?」
ミゼリトはルミネの近くに寄りながら、努めて冷静に言葉を続けた。
「前にあなたが、あの子が学校へ行きたいと言った時、あなた、学校へずいぶんと無理な要求をしたわよね」
「……うぅ」
「唸ってないで答えなさい。大丈夫、怒らないから」
「うぅぅぅぅぅ……」
先ほどまでの逆ギレの勢いはどこへやら、ルミネは目の前で腰に手をあてて仁王立ちしているミゼリトに視線を合わせまいと焦っている。その額から汗が流れ落ちていた。
「前々から何度も言っているでしょう。あなたのそれは、親のすることじゃありません。親って字は、木の上に立って見ると書くんです。……誰が考えたのだか知りませんが、アイオリアの言葉は素晴らしいでしょ。ちゃんと文字を覚えれば、その意味が分かるように作られているんですから」
バン!っと、ミゼリトの手が、ルミネの首筋をかすめるようにその背後にある壁に叩きつけられた。壁が少しだけ崩れたようだ。パラパラッと粉のようなものがその手の下に落ちていく。その音と勢いに気おされてついにルミネがミゼリトの目を見た。
「あなたは木から降りて行き過ぎです。過干渉なのよ!どれだけ言ったらわかるの?」
「ぐぅぅぅぅ……」
「なに?まだわからない?」
「くぅぅ……」
ルミネはその場でミゼリトの目を見ながら、固まったように動けないでいる。
「今回は許しません。はいとちゃんと答えて、以後は二度としませんって誓うまで」
ミゼリトはそう言って、ルミネを壁に押し付けたまま目を逸らそうとはしない。その背後でケイサンが、笑いをこらえきれないといった様子で腹を押さえていた。
そうして暫くの間、ミゼリトとルミネの見詰めあいが続いた。外には既に星が瞬きはじめている。この部屋も、ガラスが全面にある側の壁にゆっくりとブラインドが引かれてきている。どうやら時間と共に自動的に閉じる仕組みになっているようだ。そうしてブラインドが完全に閉じると、部屋に灯りが点いた。
ルミネは黒の礼服を身に着け、壁に押し付けられている。少し白髪の混じった黒髪が肩口で揺れている。ミゼリトは銀の髪を腰まで伸ばしている。空調のせいかこちらも毛先が風になびいていた。少し離れたところで白髪のケイサンが二人を眺めながら笑っている。
点いた灯りの下で意地を張ったような顔のルミネを見ながら、ミゼリトが哀しげな目で口を開く。
「どうして、そんなに頑ななの?自分でもわかっているんでしょう、いつもやりすぎだって」
「けど、あの子のことが心配なんだ。親が口を出していい場面じゃないなって思う時ほど、不安になっちゃうと駄目なんだ……」
「……昔も、そうでしたよね。どうしてあなたがって思うようなことを何度もして……」
「ごめん。わからないことは知りたくなってしまうんだ。知らなくていいことに踏み込み過ぎてしまうことも多いけど……。かわりに知っていることは全部教えたいと思ってしまうんだ。あの子にできるだけ、沢山のことを……」
「それは、いいことだと思います。あの子も好奇心は旺盛な方ですから。教えていないことがあればどんどん聞きに来ますし、知らないことがあれば夢中になって目を輝かせますから」
「だったら……」
「けど、それだけじゃないでしょう。あの子が知りたくないと思うようなことまで、あなたは言ってしまうでしょう。この世界に魔法はないだとか、異世界なんてものは空想でしかないだとか。そういうことを言われるたびに、あの子がどれだけ傷つくか、考えたことはありません?」
「僕ならこう考えるってことを教えてあげただけだ。あるかないかまでは言及していない!」
「歳の差を考えなさい!あなたがあなたの価値観で喋って、俺はこう思うだとか言っちゃえばそれがあの子の考えに大きく影響を与えてしまうの!」
「あの子はもう、そんな歳じゃあない!」
「そんな歳だった頃の話を今しているんです!」
そうキッパリと言われて、ルミネはまた、行き場を無くし追い詰められた野良犬のように唸りはじめた。
「うぅぅぅ……」
「いいですか、あなた。あなたはあの子の理想なの。あの子はあなたみたいになりたいって、そう言って頑張っているの。なのにあなたときたら、あの子が何をやっても、そんなのじゃ駄目だ、みたいな言い方しかしないでしょう。だから段々と嫌われたの。段々と距離を置かれたの。自信のないときにあなたに何かをしてみせると、ものすごくひどい評価しかしないから」
「ぐぅ……」
「そうじゃないのよ。子供が成長していく中で、親がすべきことは。叱ったり評価したり、そんなことよりも先に、あの子を理解してあげることから始めなきゃいけないの」
「……」
「理解して、そうして信じてあげること。まずはそこからなの。あなたのやり方はその逆なのよ。理解よりも信じることよりも先に、評価しようとする。それも酷評をね。そんな人、あなただったらどう思う?」
ルミネの唸りが止んだ。その顔は何かに気づいたように動揺している。
「あなたのことを何も知らないと思う相手から、あなたのことを一切信じようとしていない相手から、自分がしたことに対して、ひどく辛辣な評価をされた。そうしたらあなたは、その評価の質はどうあれ、いい感情をいだける?笑える?喜べる?そうじゃないわよね、あなたは間違いなく怒るわ。そうよね……?」
そう言われてルミネが頷く。そうして鼻の頭を掻きはじめた。
「あの子が六歳のころから、あなたはそうやってあの子のした結果だけを見て、酷評をしてきたの。そうしてあの子が十八になる頃にはすっかり嫌われてたわ。まだ思春期もあったから、それはそれはものすごく嫌われてた。そうしてあの子が二十歳を過ぎた頃、街にある『人間』の学校へ行きたいって言いだした。その時、あなたなんて言ったか覚えてる?」
「……行くだけ無駄だ、って……言ってしまった」
「……覚えてたのね。ってことは、言ったことを後悔していた」
「うん。……彼らとは寿命が違う僕らが、ああいった学校と呼ばれる場所で長い時間彼らと関わるのは、後々になってとても辛い思いをするから。そう言えばよかったのに、僕はあの子に、行くだけ無駄だとしか言わなかった。何が無駄なのかも、どうして無駄なのかも、ちゃんと説明しなかった……」
「本当、そうね。それに学校へ行くのは、そんなに無駄なことだとは私は思わないわ」
「けど、数十年が過ぎれば彼らは、容姿も考え方も変わる。そうなった時にあの子が、あの姿のままでいるのだとしたら……」
「そういうところが、あなたは考えすぎなの」
「……そうなのかな」
「そうなのよ」
「そうか……」
「何年も先のことまで考えるのは、国の政策や方針なんかだけでいいの。誰とどんな縁ができるかわからないでしょう。なのにあの子の期待をへし折って」
「それでも、数年間は行かせてやったろう?」
「やったろうって考えてるのなら大問題よ。あなたが行かせてあげてたんじゃないんですから。毎日送り迎えと、連絡帳のやりとりだとか保護者連絡だとか、全部私がやりました」
「それは……ごめんなさい」
「いいのよ、いまさら。謝ってほしいなんて思ってませんから。そんなことより、あの子の人生にこれからはあんまり口を出さないって約束して」
「……わかった。そう、約束する」
「あの子から相談されたときはその限りじゃないわよ。けど、相談もされないうちから勝手に色々と決めつけて、あれこれ手を回さないこと」
「わかった。約束する」
いよいよ萎れたようなルミネを、ミゼリトはようやく解放した。それに気づいてか、ケイサンが口を開く。
「なかなか。いい相手と一緒になれたな、ルミネ」
そう言われてミゼリトがルミネを見れば、照れたような顔をして笑っている。ケイサンはそのまま話をつづけた。
「今市井で情報がないか調べてたんだが、グラン家ってあったのを覚えているか?ルミネ」
「ええ、確か、貿易をはじめた方の家の名前ですよね、『綻び』の先との」
「ああ、正解。その家がその後分家してできた中に、貿易を引きついだ家があるんだ。グランスマイルって家だ」
「ああ、その家なら知っています。グランスマイルの現当主は城にもよく来ますから。それが何か?」
「その家の娘が、三日間ほど行方不明なんだと。地底湖を見に出かけた先で、御者と同行者を残して馬車ごと消えてしまったって話だ」
「え?」
「馬車は四頭引きの黒い最新型。……たぶんあれだな、『綻び』の外から仕入れた技術で車体を作ったっていうあれだろう」
「……黒い馬車、最新の型」
何かを思い返すようにルミネが言葉を反芻していく。
「あと、決定的なのがこれだな」
そう言ってケイサンが、いつの間に取り出したのか手にタブレット型の端末を持ってそれを見せてきた。そこに現れた動画に、ルミネとミゼリトは目を疑った。
「地底湖に取り付けてある、『綻び』の監視装置に、謎の銀色の光が映っている。日時もほぼ同じ三日前の昼前」
「この光……」
「……」
呆然とするルミネとミゼリトを前に、ケイサンはしげしげと二人を眺めながら微笑んでいた。
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