第5話 砂漠に揺れる 前話

――目を開けると、空が見えた。青い空だ。どこまでも果てしなく続く青い空。白い雲が少しだけ浮かんで見える。それもずいぶんと遠くに。……なんだか文学的。私ってこんな才能もあったのね、ていうか、無茶苦茶遠くない、雲?


 「なに、これ……?」

 今、レイミリアたちの目の前に広がる砂の海は、壮大にうねるような起伏を見せている。馬車を引く馬たちも驚いたように立ち尽くし、からっからに乾いた風が、地平線に沈みかける太陽を揺らめかせている。


 「いったいどこなんです?ここは……」

 レイミリアの左側にちょこんと座るミラクーロが、ようやくといった感じで聞く。

 「……どう見ても、砂漠だな」

 その更に左側に座る徐次郎が、ため息と共にそうつぶやく。

 風がまた、細かい砂を運びながら三人の目の前を通り過ぎていくのが見えた……。


 するとレイミリアが御者台に立ち上がり、大きく腕をひろげ、伸びあがった姿勢で感動したように声をあげた。

 「すっごーい!これが砂漠なの?うわ、ほんとに?はじめて見た!」

 ものすごい喜びようだ。これにはミラクーロも徐次郎も驚いた。レイミリアは今度は両手を口元にあてて飛び上がらんばかりに喜んでいる。そんなレイミリアの様子を見て、ミラクーロは呆れるように口を開いた。

 「……あの、僕、洞窟の出口をイメージしてって言いましたよね?」

 唇を突き出して、咎めるような口調だ。

 「洞窟の出口じゃないですよね、ここ。どういうことなんですか?説明してください」

 そう言われてレイミリアは、ほんの少しだけばつの悪そうな顔で答えた。

 「だって、そんなことできっこないって思ったし、どうせなら行ったことのない所がいいかなって思って……」

 そう言い終わるや否や、御者台を飛び降りて砂の上を駆け出していく。馬達のもとへと真っ直ぐに、しかし足を砂にとられながら、たどたどしく……。


 御者台の上では、ミラクーロが拗ねた顔で膝を抱えていた。隣に座る徐次郎が、そんなミラクーロの肩に手を軽く置き、そっと、言葉を探すように言った。

 「まあ、なんだ。しかたねえって。お前さんのせいじゃない。だから、気にすんな」

 あまり要領を得ない言葉だが、ミラクーロは小さく頷くと顔をあげた。


 あたりの景色はすでに夕陽に染まりはじめている。遠く地平線に沈みかけた太陽が、あと数分で夜が来ると告げていた。少し肌寒い感じが、砂漠の今の季節を教えてくれているようだ。

 「とにかく野営の準備をしましょう。このままじゃ凍え死んでしまうかもしれません」

 ミラクーロはそう言うとレイミリアのところへと向かっていく。


 御者台に残された徐次郎は、ひとりため息をついて頭上へと目を向けた。濃い紺色の空。雲は見えない。風は上空をかなりの強さで吹いているようだ。この場所がどこなのかわからないままでは、星が出るまでは動きようもない。





 レイミリアの手に銀の鈴を置き、その隣でミラクーロがつぶやくように「リアライズ」と唱える。すると、火のついた焚火が平らに整地された砂の上に現れた。

 「なんかすごいね。どうやるの?」

 「やり方は、ここに来たのと同じです。イメージして、ちょっと恥ずかしいですが、リアライズって言うだけです」

 「……なんで恥ずかしいのさ?」

 「えー、だって。なんか恥ずかしいじゃないですか」

 「そっかな?私は別に何とも思わないけど」

 レイミリアはそう言うと、鈴をドレスの腰辺りにあるポケットにしまった。そうしてから馬たちのところへと砂の上を走っていく。どうやら馬の世話をしている途中でミラクーロに呼ばれた様子だ。


 陽は既に落ちている。薄明かりの夕景があと少しすると完全に闇に染まるだろう。銀の鈴の力を借り、馬車の周囲は概ね平に整地がおわっている。砂漠に現れた当初、砂に沈みかけていた馬車と馬達も今は落ち着いた様子で佇んでいる。レイミリアはその場所で一生懸命に馬の背にブラシをかけていた。


 「お嬢ちゃん、こっち組みあがったから布張っといてくれ」

 最後の一頭を撫でおえる頃、少し離れた方向から徐次郎の声が聞こえた。声のする方を見ると、もう一つの焚火の傍で、徐次郎が今夜寝泊まりするティピーを組み立てているのが見えた。ティピーとは円錐形のテントだ。銀の鈴を使ってミラクーロが三セットを出した物だった。


――焚火を火がついたまま出せるなら、テントも組みあがった状態で出せたんじゃないのかな?


 レイミリアはそう思ったのだが、忙しいのと面倒なのとで言えていない。さっきから今夜の寝泊まりのために、ミラクーロと徐次郎のそれぞれに呼ばれて行ったり来たりを繰り返している。それに加えて最優先である馬達の世話もあった。

 そうしてレイミリアが忙しそうに駆け回り、ようやく三人分のティピー設営と馬達の世話を終えると、あたりはすっかりと暗くなっていた。


 「ミラクく~ん、疲れちゃったよぅ」

 馬達にご飯をあげ終え、レイミリアは焚火のところへと戻ってくる。そこには簡単な椅子が三人分用意されていた。

 不意に名を省略されたミラクーロが、焚火に鍋を下げようとして一瞬固まっている。

 「なになに?それは今日のご飯なの?」

 ミラクーロの様子に気づくそぶりもなく、レイミリアはそう言って鍋を覗きこんだ。鍋の中には、いったい何処から用意したのか、いろいろな珍しい食材が入れられているのが見える。

 「これは、魚かあ。あ、こっちは何かのお肉?それに何これ?カニ?エビ?味付けはなんなの?」


 焚火の脇に太めの木が二本、杭のように砂に深く立てられている。その上をまたぐように一本の棒が横に乗せられていて、その横棒に引っ掛けるようにS字の金具が下げてある。ミラクーロは苦心してそこに鍋の取っ手をかけようとしていた。どうやらかなり重いらしい。

 「どんなものがお好きなのかわかりませんので、適当に食材の入ったお鍋を出しておきました」

 プルプルと震える手で鍋を火にかけると、ミラクーロが笑顔でそう答えた。するとレイミリアは、訝しむような目でミラクーロに尋ねた。

 「……こんなものどこから出したっていうのよ。まさか、どこかの誰かが今夜の食事用にって用意してたのを丸っと全部盗ってこれちゃうとか?この鈴」

 ポケットから鈴を取り出して、レイミリアは咎めるようにそう言った。ミラクーロはそれを聞いて、少し怒ったような顔で答える。

 「そんな馬鹿なことはしてません。なんですかそれ、ただの泥棒じゃないですか」

 「じゃあなんでこんなに準備良くできあがってる鍋が出てくるのよ」

 「……詳しいことは知りません。でも、そういうんじゃないです!……たぶん」

 ミラクーロが詳細を知らないと見るや、レイミリアの顔つきが変わる。

 「ほほう、たぶん。たぶんと言ったわね、あなた」

 「……いいましたけど、なんですか」

 「たぶんで済ませられるようなこと?もしこれが全部どこか他の誰かの物なんだとしたら、あなた完全に窃盗罪よ!窃盗って言ったらお城で裁判よ!他人の物を盗るなんて……最悪の犯罪じゃないの!」

 まくしたてるレイミリアの目には、焚火の向こう側で萎れはじめているミラクーロが映っている。その目は次第に喜びの色で染められて、怪しく輝きを増していた。幼い、しかも眉目秀麗な男の子が、自分に責められて萎れる様が快感になる、……らしい。


――それくらいにしてあげてくれないかな。本当に、盗んできたわけじゃないのだから。

 歓喜の色に染まるレイミリアの耳に、誰かがそう囁くのが聞こえた。

 「え?……なにか言った?」

 突然の声にキョトンとするレイミリア。しかし目の前のミラクーロは、なんのことだかわからないという顔でレイミリアを見ている。


――余の声が聞こえたのか。ふむ、面白い。その方、恐ろしいほどの純粋さだのう。

 また、聞こえた。レイミリアはいよいよ怖くなって、混乱したようにあたりをきょろきょろと見回す。ミラクーロがその様子を見て首を傾げている。


 するとそこに、タイミングよく徐次郎がやって来た。

 「おい、小僧。寝るところの準備は整った。飯の用意ももう終わるだろう。そうしたらこれがどういうことなのか説明してくれ」

 徐次郎は右手に青い扉を浮かべ、ミラクーロを睨みつけるように見下ろしてそう聞いた。顔を覆っていた布は首元まで下げたようだ。その顔は彫が深く、整った鼻筋に斜めに傷が見える。眉は濃く、目は切れ長で大きい。

 「こいつが何かってこともだが、あの洞窟で何が起こったのかも。そいつもちゃんと説明しろ」


 既に砂漠はすっかり夜となり、風もなく星空が瞬いている。焚火の火がときどきパチンと爆ぜる音をたてた。用意したものが乾いた木材ばかりではないのだろう。

 「最初からそのつもりです。ですがまずは食事にしましょう。せっかく用意したんですから、変なものも入っていないはずですし、遠慮なくどうぞ」

 徐次郎の目を見ながらそう答えると、ミラクーロは鍋の中に手にした棒をジャブンと入れ、かき回しはじめた。あたりにふわりと魚介出汁の匂いが香り立つ。香ってきたのが懐かしい出汁の匂いだと気がつき、徐次郎は少し気を緩めた。里を出て精鋭を集めるのに既に二年が過ぎている。もうずいぶんと日本食を食べていない。

 徐次郎はそう考えて、ミラクーロからの提案を受けることにした。



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