幸せになってね
何度も食事会やパーティーをした、あの時の様な賑わいが全くないリビングに、
緊張と静かな興奮だけが満ちていく。
頑張りたい。でも、自分に何が出来る?
思考はその行ったり来たりを繰り返し、目を閉じてしまいたい衝動に駆られる。
「香苗は、みんなの事が宝物だって言ってたんだのー。僕、守れなかったの。」
突然ウカがそう呟き、朱莉に駆け寄って抱き着いた。
朱莉は優しく銀色の長い髪を撫でる。腰を落として目線を合わせ、ウカの赤い横髪と共に手櫛でとかした。
「あのバカ。一人で戦うなって言ったのに!どれだけ酷い地獄を見れば、大人しく幸せになってくれるんだ?・・・ホントに神泣かせの罰当たりだ。」
アメは怒りと悔しさに満ちた表情を浮かべ、水色の前髪をかき上げて着物の裾をきつく握りしめていた。
「おい・・・誠士、杏花が戻らないが・・・。」
御影の言葉で彼女がトイレから戻らない事に気付き、俺は廊下へ飛び出した。
ガタッ・・・何かが倒れるような音がトイレから聞こえる。
「あ、朱莉・・・杏花さん倒れたのかも!ちょっと中から扉開けて?」
俺は扉から背を向けて朱莉にそう言った。
扉をすり抜けた朱莉は、内側から鍵を開けて杏花さんを肩に背負うように出てきたらしい。
『うわっ・・・ごめんなさい。』ドタッという音と共に朱莉が謝る声がして、俺は2人の方を振り向いた。
杏花さんは廊下に膝と両腕をついたまま、立ち上がれない程に震えていた。
朱莉はその隣で必死に背中を擦って、彼女を起き上がらせようとしている。
慌てて駆け寄った俺は、彼女の手の中に握りしめられている携帯の画面を見た。
衝撃で脈拍が狂い、体が固まって動かなくなっていく。
不意に、杏花さんが顔を上げて物凄い目で俺を睨んだ。
「ねぇ、松宮さんと樫井さんはこれをいつ知ったの?もう全部話してよ・・・。」
「今朝、早くです。昨日は元気な香苗と夜話したばかりでした。
樫井さんが彼女を迎えに行って、ここに戻ると約束もしてたんです・・・。」
取り敢えず椅子に座らせなければ。そう考えて杏花さんの身体を支えようとした。
パシッという衝撃が腕に走る。
次第に、思いっきり平手打ちされた左手首がジンジンと熱を帯びて行った。
「こんな暴力が許されるの?あの子が何をしたっていうんだよ!
・・・なんでこうなるまで誰も助けてくれないの?・・・全部私のせいだ。」
俺は何も答えず、抱きかかえるようにして杏花さんをリビングへ引きずる。
心配そうに見守る御影達の顔を見た彼女は、大粒の涙を零しながらまた俺の手を振り解いた。
「もう嫌だ・・・誰もあいつを捕まえられないなら、あいつの望み通りに15年前に私が連れていかれれば良かった!パパもママも恵太も死ななくて済んだし、香苗さんが傷付くこともなかった。私が全ての元凶なんだよ・・・。
もう守ってくれなくて良い。今すぐ全員どこかに消えて!」
――パンッ
初めて人を叩いた。それも大切な友達の・・・女の子の頬を。
「逃げるな。あんな悪魔に負けちゃだめだ。平気で人を殺す犯人の手中で、なんでまだ香苗が生きてると思う?あいつは戦ってる。杏花さんを守る為だけにずっと一人で戦って来たんだぞ!その本人が守ってくれなくて良いなんて言うな!
樫井さんは、誰よりも早くここに来て・・・杏花さんを保護したかったと思う。
仕事だからって事じゃないんだ。香苗の救出に向かうことを選んだ理由は。
杏花さんにもう二度と、そんな悲しい事を言わせない為に・・・あんたの宝物を取り返しに向かったんだよ。あんたに生きて欲しいから、あの人は諦めないんだ!」
緊張しながら叫んだせいで、肩が震えて息が切れそうになる。
「警察が・・・来るんですよね?着替えてきます。」
杏花さんは頬を手で押さえながら俯いて、静かに自分の部屋へと向かった。
リビングで全員立ち尽くしたまま、杏花さんが戻って来るのを待つ。
樫井さんに彼女にバレて錯乱していた事をメールすると、『あと10分でパトカーが到着する。』とだけ返って来た。
暫くして廊下から入ってきた杏花さんは、真っ白いワンピースを着ている。
膝位までの長さだがしっかりとドレープが入り、透けている素材も織り交ぜている為、フワッとした見た目になっている。胸元のレースの細かい装飾までが真っ白で統一されていて、肩を出したソレはどう見てもウェディングドレスだった。
「杏花・・・結婚式じゃなくて、警察に行くんだよ?」
アメが心配そうな目で杏花さんを見つめたまま呟いた。
「ちゃんと靴はスニーカー履きます。バッグも持ってくから問題ないですよー!」
意外にも元気な様子の杏花さんは、良く分からない理由を言って大きなショルダーバッグを見せてきた。
「泊まりになるかも知れないから・・・歯磨きセットとパジャマとメイク落としとータオル・・・は重たいかー。」
「・・・杏花さん、大丈夫?」
朱莉が心配そうにフワリと杏花さんの隣に舞い降りると、背中に手を置いた。
「ぜ、全然大丈夫だよー!私だけふてくされてる場合じゃないですからね!」
そう平然を装うように携帯をチェックしだした杏花さんは、突然『香苗さんの動画が増えてる!』と目の色を変えて叫ぶ。
縺れる様に走ってソファからパソコンを持って来ると、そっとテーブルに置いた。
もはや本家のゲームの掲示板は炎上しすぎて閉鎖中となっており、他サイトに転載されて動画は瞬く間に拡散されている。
窓が1つしかない薄暗い部屋にパイプ椅子が置かれ、香苗はそこに座らされていた。
手は椅子の背もたれに何かで括られているらしい。
小さな寝息をたてて項垂れていたが、投光器の強い光を顔に当てられてゆっくりと目を開けた。
「おはよう。破滅の魔女・・・気分はどうかな?」
「ごほっ・・・まぁまぁね。・・・朝か。勝手にアフターねじ込んだ上に朝までコースなんて、一体いくら払ってもらえるのかな?清算が楽しみね。」
無表情の香苗がにべもなく言い放つと、苛立った様子の三上はカメラの前に現れると椅子に近づいていく。
そして長い栗毛の緩やかな巻き髪を片手で掴み、無理矢理に横に引っ張った。
ブチッという音と共にウイッグが床に落ちて、黒いショートの髪が現れる。
留めピンで引っ掻いたのか、汗でクタクタになった額の横髪に血が滲んでいく。
朱莉は口を両手で押さえて目を逸らしたが、杏花さんはテーブルの淵をギュッと握りしめて唇を噛んでいた。
「あれぇ・・・変態紳士はソッチの方がお気に入りだと思ったんだけど。
まぁー暑苦しかったから良いかな。それで?・・・わざわざ起こしてくれたって事は、私に何かお願いがあるのかしら?」
香苗は蔑む様な目で三上を見ると、床のウイッグを壁際に蹴り飛ばした。
「・・・君の出番は後だよ。」
そう短く呟きながら、三上は香苗の前に立つようにしてカメラの前に割り込むと、
黒いマントと怪人の仮面を外した。
「やぁ・・・ボクの可愛いシンデレラ。
君は天使と話せる以外にも素晴らしい才能があったよね。・・・相手の顔を見れば強く思っている事が分かるんだっけ・・・?あぁー・・・なんて素晴らしい力なんだろう!まさに天与の資とでも言うべきかな・・・。君は奇跡だよ!!」
素顔の男は40歳位に見えた。ボサボサの癖毛に蒼白で痩せ細った顔、酷く落ち窪んだ生気の無い目はまさに死神のようだ。
急に杏花さんの息が荒くなり、その場に倒れそうになる。
『もう見るの止めてください!俺が見て状況を教えますから!』そう言って彼女をソファまで連れて行こうとした俺の手を、思いっきり振り払って椅子に座った。
「ボクは君だけに分かる様に・・・この場所を今から強く、思い浮かべるからね!
いいアイディアでしょー?ノロマな邪魔者たちには決して分からない、ボクたちだけの秘密のサインって感じだよねぇ!それじゃあ行くよー・・・。」
三上はそう言って画面の前でゆっくりと目を閉じる。
時間は2分程度だっただろうか?それでも・・・瞬き1つせずに画面を見つめ続ける杏花さんの震える背中を見守るのは、永遠とも言っていい程の時間に感じた。
再び三上は瞼を開けると、無表情で手を振りカメラへ視線を投げかける。
「今日が終わるまでに来てくれないと、偽物の魔法が解けてしまうよ。
君ならきっと来れるって信じてるよーボクの天使・・・シンデレラ。」
そう言った彼は撮影を終えようとしてカメラに手を伸ばす。
「あー・・・待って!別れの言葉くらい言わせた方が、ドラマチックになるんじゃないのー?私どうせここ何処か知らないし、ちょっと話すことあるだけだし。」
彼の行動を遮る様に呼び止めると、香苗は気怠そう言った。
カメラは再び香苗にピントが合わせられ、画面に大きく顔が映し出される。
杏花さんは祈る様に両手を組んで胸の前に押し付け、震えを止めようとしていた。
「よぉーアピコ!また吐きそうになってんじゃないでしょーね?
私は二日酔いなのにさー、あんたの作ったシジミ汁飲めなくて死にそーだよ!
・・・まぁー、あれだね突然消えて悪かったよ。ごめんね・・・。
本当はもっと早くあんたの事、安心させてあげられる予定だったんだけどさー。
私って、警察が助けてあげたくなるタイプじゃなかったみたいでね。まぁーそれも全部私の過去の行いが悪かったせいだし?こうなったのも、あんたのせいとかじゃ絶対にないから!またグズグズと根暗な勘違いしてヤケ酒飲まないでよねー?
・・・お人好しのバカで不器用なイケメンと、良い人拗らせすぎてる根暗青年と、お花畑の癖に妙な根性あるお姫様と会えたのは本当に楽しかったわー!
文句ばっかり言ってても優しい猫の姉御と、大食いのツンデレと、泣き虫の美少年と暮らせて・・・初めて家族って良いなって思った。
私のクソみたいな人生の中で・・・あんたと会えたのが一番良い事だった!
あっ!でもさーあのバカには、ハッキリ言わないと伝わらないと思うよー。
クローゼットのウェディングドレスが勿体無いし、さっさと幸せになってねー♪」
香苗はそう言い終わると、血が混じって滴る汗を頭を振って落とし、満面の笑みを浮かべた。
映像が途切れた後も、杏花さんは零れ落ちる涙を拭くこともせずにパソコンの奥を見つめている。
テーブルに水溜まりが出来ていくのを、俺達はただ見ているしか出来なかった。
誰かが声を掛ける間もなく、玄関のチャイムが鳴る。
俺が扉を開けに行くと、外には男女の警察官が立っていてパトカーが家の前に横付けされていた。
杏花さんは何も話さずに、御影のキャットフードと水を新しく継ぎ足して玄関に向かい、スニーカーを履いている。
俺も慌てて外に出て、身分証明をしながら友人だと説明したが一緒に付き添うことは許されず、そのまま自宅へ帰るよう促されてしまう。
泣きじゃくる朱莉と一緒に走り去るパトカーを見送り、玄関の方を振り返る。
「・・・御影。いつの間に出てきたの!?」
「このまま黙って家の中で大人しいペットになってたら、元化け猫の名がすたるというものだ。これからが反撃の時間だぞ・・・ヒーロー。」
御影は首を後ろ脚で掻いた後で、当たり前の様にそう言った。
「悪い人間に天罰を与えるのも神の仕事なの。
・・・あんたは良く知ってるはずでしょー?誠士!」
アメはそう言いながらフワッと宙に浮き、腕を組んで自慢げに笑った。
「で、でも・・・杏花さんは犯人から何を感じ取ったのか、教えてくれなかったよね・・・?これからどうすれば、香苗さんに辿り着けるんだろう・・・。」
朱莉は不安そうにワンピースの裾を握りしめて呟く。
「・・・こ、ここは僕たちの個性をフルに使うのが良いと思うんだのー。
僕とアメは動物たちや、鳥たち・・・街角の小さな祠の稲荷にも話を聞ける。
ある程度まで絞れたら、後は誠士さん達が地縛霊や浮遊霊と話して、何とか手がかりを見つける・・・ってのはどうかのぉー?」
ウカは緊張しながらも、そう言って提案を出した。
「すごーい!ウカ天才だよぉー!よぉーし少し怖いけど頑張るぞーー!」
急にハイテンションになった朱莉は、1人で拳を天に突きあげている。
「おい・・・。まずはどこから探せばいいか分かっているのか?
・・・都会には動物も幽霊も、腐る程いるんだぞ?」
「そりゃー新宿のカラスに決まってんだろー。あいつらは全てを見てるぜ!」
御影の声に被せる様に、空からガラガラの濁声が降ってきた。
矢ガラスは杏花さん宅の塀の柵に止まると、全員を見渡して黒い翼を広げる。
「矢ガラス・・・お前、成仏しなかったんだ。なんでそこまで助けてくれるの?」
俺の質問に彼は鼻を鳴らし、高く昇った太陽を見つめた。
「お前らには大きすぎる借りがある。・・・それにな、俺はあのオッパイちゃんが・・・大好きだ。」
「・・・。」
全員の冷ややかな視線を全身に受け、黒羽の天使・・・もといエロガラスは颯爽と大空へ飛び立って行く。
朱莉に鍵を開けてもらい、もう一度家の中に入った俺はペット用キャリーバッグに御影を入れた。
もう二度と行かないと誓った歌舞伎町へ、俺は二日連続で行く事になってしまう。
杏花さんが知ったら鼻血を吹き出して興奮しそうな・・・神様と生霊と動物霊との
合同探偵チームは、静かに反撃を開始した。
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