帰り道

 香苗の荷物は大きめのボストンバッグ一つだった。

樫井さんが車に積もうとするのを手伝っていると突然、貯金は全て罰金や入院費の自己負担分に消えたと話し出し、今日帰る家すらないと言う。

「えー!香苗、電話では親戚が世田谷に居るから大丈夫って言ってたよね?」

樫井さんは酷く混乱した様子で車の前に立ち尽くしている。

香苗はショートになった黒髪の毛先を首に撫でつけ、ジーンズの上に着ている緑のサマーニットの裾をソワソワと弄りながらバツの悪そうな表情を見せた。


「だって、そういわないと刑事さん退院させてくれなそうだったしー・・・まぁ、何とかなるわよ!とりあえずそうねー・・・南千住か山谷辺りの簡易宿泊所までお願いしようかなっ!すぐお金貯まるだろうから、・・・そしたら住み慣れた世田谷まで戻るつもりだよ!」

香苗が明るくそう願い出ると、樫井さんはあからさまに嫌な顔をする。

「おまえ・・・それって・・・だめだ。そんな事許可できない。」

杏花さんは不思議そうに首を傾げ、朱莉も『なんで樫井さん怒ってるの?』と俺の袖を掴んで見つめてくる。

香苗は優しく気遣われることに未だ拒絶反応が強いようで、急に苛立ちを隠せなくなっていった。

「はぁー・・・何もさ、刑事のあんたに女衒ぜげんになれとか言ってないじゃん。

きちんと職安通って交通整理のバイトでもするだろうって思っとけばいいでしょ?

勝手に変な想像しないでよ。・・・本当にお節介な男。」

杏花さんは話の流れに気付いた様で、チラッと樫井さんの顔を見てから俯いた。

朱莉は『ぜげんってなにかな?』とまた俺の腰を指で突いて質問してくる。


「香苗、朱莉が聞いてるからやめてくれないかな。今日は家に来てくれて構わないから。」

俺がそう話すと、香苗は小悪魔のような表情に変わり『あらあらーそういえば、

この王子さまはもーっとお節介だったわね!ピンクのプリンセスが怖い顔してるのに小汚いマッチ売りが行けるわけないじゃなーい。』と断ると自嘲気味に笑った。

心の傷は本人にしか深さは分からないし、急に友達が出来たところですぐに治るものでもないのだろう。

何より彼女が『これ以上自分に関わるな』と、あからさまに虚勢を張って牽制してくるのを見れば、また離れていかれる事への恐怖を感じているのは明白だった。

どう説得すれば、これ以上自分を傷付けずに香苗は生きていけるのだろうか?

様々な感情が頭の中で巡って、俺は次の言葉も出せずに固まっていた。


「あ、あぁーーー!そういえば、ちょうど我が家はルームシェアの相手を探してたんですー!奇遇ですねー!ということで、香苗さん今日から宜しくねー♪」

その場にいた全員が驚く大声でいきなり叫び、杏花さんは笑顔でそう宣言する。

「はぁ?あんたいきなり何言ってんの?・・・ゆ、幽霊屋敷にオタクと住むなんて嫌に決まってるでしょー!?」

香苗はかなり慌てた様子で杏花さんの傍から離れようとするが、杏花さんはガッシリと肩を掴んで放そうとしない。

「いいですか?霊感のある状態で吉原の近くに住んだりしたら・・・想い人に添い遂げることも出来ずに、若くして梅毒で亡くなった遊女の怨念が夜な夜な・・・」

「わ、わ、わかったって・・・マジで怖いあんた。」

「そうですか!ではルールはこれから決めるとして、とりあえず今日は香苗さんの

引っ越しパーティをしまーす!みんなで我が家にレッツゴーですっ!

あ・・・さっきの話は嘘です。みなさん、安心して観光してくださいね。」

「いや・・・行く予定はないですけど。」

杏花さんは男二人を見てあっけらかんと話すので、俺は気まずくなって目を逸らす。

そのまま彼女の勢いに押し切られるように、樫井さんは荷物を無理矢理にトランクへ詰め、頭を掻きながら運転席へ乗り込んだ。


 帰宅の途につくグレーのセダンは、事故渋滞の中央道をノロノロ進んでいた。

それぞれコンビニで買った軽食で遅めのランチを済ませる。

朱莉はおにぎりを食べ終わっていたが物足りなかったのか、俺の買ったチョコスナックは少しずつ奪われていた。

「生霊のくせによく食べるわねーこのお姫様は・・・ねー刑事さーん!後ろ狭いんだけど、この子トランクに入れて良い?」

香苗はそう言って、後部座席の真ん中に座る朱莉の膝をポンと叩く。

「香苗、質問がおかしいだろ。刑事の車で誘拐の真似すんな!」

樫井さんが呆れてバックミラーを覗くと、香苗は『大丈夫だよ誰にも見えないし』

と言いながら手を叩いて笑った。

「えー!トランクは香苗さんの荷物で一杯じゃないですかぁー!」

「え?朱莉、突っ込むところそこ?空だったら入るつもりなの?」

朱莉の訳の分からない理屈に俺が呆れて聞き返した所で、杏花さんは飲んでいた

お茶を少し噴き出して咳込んだ。

「杏花さん大丈夫!?だ、ダッシュボードにティッシュ入ってるよ!

・・・あ、ここが事故現場か。作業終わってるけど結構酷そうだな。」

樫井さんは杏花さんを気遣いながら、ガラスの散らばった道路の横を警察官の指示に従ってゆっくりと通過した。


「ぎゃぁぁぁーーーー!な、な、なにあれっ!?」

突然車内に香苗の絶叫が響く。

慌てて彼女の指差す方向を見た俺は、道路に立ち尽くす人影をみてすぐに状況を理解した。

状況が何も分かっていない樫井さんは、困惑の表情を浮かべてハンドルを握る。

「香苗さん!目を合わせてはいけません。彼は突然の死に理解が追い付いていないので、見える人だと思われたら憑いてきてしまいます。」

杏花さんの警告は間に合わなかった。

バンッと音がして後ろを見ると、トランクの上に乗った若い男が血だらけの手でリアガラスを叩いている。

思わず『うぉっ!』と声を出してしまった俺は、慌てて前を向き直す。

彼のジーンズは真っ赤に染まってズタズタに裂け、めくれたパーカーの下の腹からは白い肋骨と一緒にが飛び出してしまっていた。

朱莉は絶叫して俺の胸にしがみつき、香苗は頭を抱えてうずくまる。

樫井さんはやっと状況を理解したのか、青白い顔で目を閉じ祈りを捧げている杏花さんの背中を左手で擦りつつ『なんていうか・・・みんな大変だね。』と呟いた。


 やっと事故死の男が諦めどこかに消えると、香苗は感慨深げに『それにしても、

あんなガチな奴じゃなくて普段の姿でいられる生霊でマシだったわー。』と話した。

俺は香苗を初めて見たコンビニでの出来事を思い出し、『いや・・・香苗もめちゃくちゃ怖かったけど・・・。樫井さん殺される!って本気で心配したもんね?』と隣の朱莉に話しかける。

朱莉は『うーん・・・。』と返答に困って苦笑いで誤魔化そうとしたが、耐え切れず大笑いしている樫井さんにつられ、クスクスと笑い出した。

「な、何よあんたらっ!あっ、あの時は・・・そのー、戦闘モードだったっていうか・・・。かっ、樫井!それ以上笑ったら・・・あんたが家で一人で何してたか、

杏花に全部話すけど良いのね!?」

樫井さんは大袈裟な咳払いをしてハンドルを握り直すと、冷や汗を拭っていた。

杏花さんは何も聞こえないフリをして、携帯で夕食のレシピを調べ始める。


 こうして少しずつ歯車がかみ合うように、絆は深まっていくのかも知れない。

首都高の早い流れに乗り始めた車は、住み慣れた街へと近付いていく。

遠くに見える大きなコーラの看板は、夕陽を浴びてオレンジ色に輝いていた。

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