第6章 出会いと別れ

イタコのよっちゃん

 誰かの実家に泊まる。仲の良い友達が大勢いる小学生時代を過ごしたのなら、

経験のある者は少なくないだろう。

しかし、どんなに記憶の引き出しをひっくり返しても、俺にはそんな思い出は見当たらなかった。

どんな服装や荷物で出発すれば良いのかもわからなかったが、適当なバイト用のジーンズは避け、紺のチノパンやジャケットなど、大学生の様な服をクローゼットの奥から引っ張り出して着ている。


――― 4月10日 土曜日 薄暗い花曇りの朝



 藤岡ICを降りてからどれくらいたっただろうか。

街並みは遠退き、美しい竹林や田園風景が続く国道をグレーのセダンが走る。

運転席の樫井さんは、バックミラーで俺の顔を時折見ながら話し続けていた。


「こっちの方はまだ結構寒いんだよなぁー!東京の桜はだいぶ散ってたけどよー、

桜山はこれからが見頃っぽいな!・・・あ、朱莉あかりちゃん達は車で酔ってない?

松宮君、その服寒くないの?もし寒かったら、俺のジャンパー着ていいよ!」


「朱莉は朝早かったから寝てます。本当に気温全然違いますね!

風が強いというか・・・。」

先程から彼はドライブに誘った女子を気遣い、楽しませるが如く後ろの席を気にしてくれている。

しかし残念なことに俺は樫井さんの彼女ではないし、朱莉は生霊なので彼には見えない。


(行動が全てイケメンなんだよなー・・・。羨ましい。)


(お前だって良い男なのだから自信持てば良いものを・・・まったく。

なんでいつも目が隠れそうな前髪をしているのか、私には理解できんな!)


(そこそこ・・・。)


窓ガラスにもたれ掛かる様に寝ている朱莉の、膝の上で丸まっている化け猫みかげが、

俺が物思いに耽る度、心の声にテレパシーで乱入してくる。

高身長、ミドル級ボクサーの様な身体、明るい性格で責任感のある職業に従事。

何ひとつ勝てる要素なんてないのだから、ひそかに羨ましがるくらいは許して欲しいものである。


「もうすぐ着くぜー!遠かったなー!」

樫井さんが片手で伸びをして言った。

「早くから迎えに来てくれて運転まで・・・本当にありがとうございます!」

俺は感謝の言葉を伝え、ペットボトルや携帯をショルダーバッグに詰める。

 

 ふと横を見ると、朱莉が寝違えそうに首を曲げたままガラスに額をつけていた。

背もたれに戻してあげようと思い、うなだれている小さな頭に触れる。

サラサラとした黒髪が耳の横に流れ、スヤスヤと眠る顔があらわになった。

幼さが残るが、整った顔立ちに桃色の小さな唇。彼女の姿を見れる者が殆ど居ないのが勿体ない美しさだ。


(そういう事を直接言えばいいのではないか?)

『・・・。』


 御影の薄緑色の瞳がじっとりと視線を向けてくるのを受け流し、窓の外を見ていると、広々としたキャベツ畑と数軒の民家が見えてきた。

大きな日本家屋を囲む塀の前に樫井さんは車を停める。


「とぉーちゃーく!ここが俺の実家だよー!」


「お疲れ様です!・・・朱莉ーー起きて!着いたよーー!」

「うにゃ・・・お昼ご飯?」

寝ぼける朱莉を無理矢理揺り起こし、樫井さんに案内されて塀の中へ進む。

古い平屋でとても広いのに手入れが行き届いていて、縁側の前の庭も京都の寺の庭園の様に造り込まれていた。

「綺麗なお宅ですねー。」


「んぁ?あー・・・家の親父、大工だからかなー?変にこだわりがあるんだよ!」

樫井さんがそう言いながら玄関のりガラスの引戸の前に立つ。

――ガラガラッ!

まだ扉を叩いてもいないのに、急に内側から勢いよく引戸が開けられた。


「おおぉー!よぉけえってきだなー!おめぇー正月いれー、えれーえきやしねーんだから。おーーいかぁちゃん!良太郎けぇーちきたべぇーーー!」

白髪混じりの体格の良いおじさんが、俺の知らない言語で何やら叫びながら飛び出してくる。

いぶし銀と言う表現がピッタリの格好良さだ。

「そーに言うなってぇーえれぇ忙しかったんだってー!」

樫井さんはボリボリ頭を掻きながら、うんざりした様に答えた。


「お帰りー良太郎!・・・ねぇーーー!おとーさん!たいへーん!」

玄関内の上がりかまちの奥でも、綺麗な女性が叫んでいる(標準語)


「おーー母ちゃん!ただいまー!どしたん?」


(・・・母親だって!!?親戚のお姉さんかと・・・)

どうやら樫井さんの美形は母親譲りの物らしく、ジーンズにセーターと言う格好は女子大生かと思う程だ。エプロン姿が全然似合わない美人は年齢不詳だった。


「お隣の芳子ばーちゃんよっちゃん、まーたいなくなっちまったんだって!

・・・いつも息子のたっちゃんが探してすぐ見つかるんだけど・・・たっちゃんトラクターの事故で足折ってんの!でも、うちのおとーさんも今、腰こわいのよね・・・。おとーさんどーする?」


「俺が探すよー!親父ねてろー?あ、こちらお客さんの松宮君だがら!」

樫井さんがそう言って車に戻ろうとしながら、俺を自分の両親へ紹介した。

「・・・は、初めまして!松宮誠士です。東京で色々お世話になってます。

今日は・・・お忙しい時にお邪魔してすみません。宜しくお願い致します。」


「はーい、わしは良治です。よろしくー!

遠くからよーきたねぇー!家上がって良太郎待っとく?」

お父さんの良治さんは腰を擦りながら、家の中へ案内しようとしてくれている。


「いえ・・・僕も樫井さんと一緒に探してきます。」

俺はそう言って樫井さんが開けた車へ戻った。

朱莉も慌てた様子で御影を抱いて後部座席へ乗り込む。


「良太郎!芳子さんはたぶんよー浅葱山あさぎやまのコンコンさまっとこだー!

すっころぶまえにめっけて来てくれぇー!」

良治さんの大きな声に運転席の窓を半分開けて『わーがったよ!』と答えた樫井さんは、すぐに車を走らせ始めた。


 おばあさんが迷い込んだとされる山までは、車で5分もしなかった。

山道の入口には、【私有地につき立入禁止】と看板が立てかけられている。

朱莉は先ほどの方言が分からなかったのか、『ねぇーなんて言ってたの?』と御影に聞いていた。


「樫井さん、そのおばあちゃんって、痴呆なんですか?なぜ一人で山に・・・?」


「芳子さんはなー、自称イタコなんだ。俺が子供の時から色々と幽霊の話ばかりしてたっけなぁー。近所じゃ子供を怖がらせる変わり者って感じで通ってる。

この先のお稲荷さんに何かある度に、一人で来ちまうらしい。

・・・なかなか戻らないからいつも家族が探してるんだ。」


(うわー・・・キャラ濃い人また来たなー。)


ツタの絡まったような木々がうっそうと生い茂る山道を進むと、少し開けた土地に

小さな祠が見えてきた。

――そしてその前には一心不乱に祈りを捧げる、白髪の巫女の姿がある。

訳の分からない呪文を唱えながら、ヨタヨタと歩き回っていた。


「ヤバいやつですね・・・。」

俺がそう言って固まっている横をすり抜けて、樫井さんは老女を保護しに向かう。

「ミカゲちゃん・・・あの人の感じって・・・。」

「あぁ・・・よく気付いたな・・・朱莉。」

御影と朱莉は、なぜかボソボソ話し合って木の陰に隠れようとしている。


「ばぁちゃん!せっちゃんがしんぺーしとるけ、けぇーるぞー!」

「なんだぁー?良治んとこの・・・がきんちょけ?せわねー。一人でけーる。

・・・!!おめー!そこん人誰か??」

「俺の友達の松宮君だけんど?」


「そこん人!若いのにおやげねーなぁ・・・生霊に、化け猫の物の怪まで憑いてるべぇ?えらいこっちゃ・・・平気な顔して何しとるん!?」

老女は白髪を振り乱しながら捲し立てる。

俺と樫井さんは目を見合わせて同時に口を開いた。


『・・・この人芳子さん・・・本物だったんだ!!』


「あーに言ってんだ?おめえら?」


 その場にいる全員の長い沈黙を、強い風の音が際立たせる。

自称ではなかったイタコは風の音に合わせる様に、ブツブツと念仏を唱え始めた。

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