外伝:初恋

第1話 避暑地

(これは本編第1章1話より遡ること、3年前。ローズマリーはクロードのことをただの自分の護衛役もしくは武芸馬鹿としか認識していない頃のお話)


――ポメラニア帝国歴253年 8月2日 水の国:アクエリーズ 森の湖畔にて――


「ううむ……。今年の夏は例年と比べて、少し暑い。オルタンシア。きみは暑さにめっぽう弱いから、体調は大丈夫なのかね?」


「うふふっ。お気遣い感謝なのですわ、カルくん。こちらの避暑地にやってきてからというモノ、食欲はすっかり回復したのですわ」


 水の国:アクエリーズでは農閑期を迎え、農民を管理する役目を背負った男爵位の貴族たちはこぞって、各々の避暑地へと小旅行をしていた。同じく男爵位であるオベール家の面々もまた、その慣例に従い、オベール家の屋敷から20キロメートルほど離れた高原地帯に差し掛かる辺りの森の湖畔へと、1週間ばかりの小旅行にやってきていたのである。


 オベール家の家長であるカルドリア=オベールは奥方であるオルタンシアと、彼女との間に出来た娘であるローズマリーと共に避暑地にあるコテージにと3日前から寝泊まりをしていた。


 そんな彼らの世話をするのは特にカルドリア=オベールが信用している従者たち数名である。


 その内のひとり、チワ=ワコールはせっかく避暑地へとやってきたというのに、屋敷にいるのと変わらないくらいに仕事に精を出していた。


「ガハハッ! チワ殿はよく働くでもうすな? せっかく避暑地にやってきたのだから、クロード辺りにでも仕事を押し付けておけば良いともうすのに」


「いいえ、ヌレバさま。お言葉ですが、クロードは今年で22歳です。性欲が股間の袋でパンパンになっているような彼に、オルタンシアやローズマリーさまの下着を洗濯させるわけにはいきません。彼ならきっと彼女たちのショーツをくんかくんかはあはあとしてしまい、オカズ代わりにしてしまうでしょうから」


 そうである。チワ=ワコールが現在おこなっている仕事は【衣類や下着の洗濯】であった。オベール家の従者連中の下着類を洗濯する程度なら、チワ=ワコールはクロードに任せたであろう。


 だが、如何せん。御年35歳の人妻エルフと12歳になり初潮を迎えたハーフエルフの下着を、クロードの溢れんばかりの性欲の塊で汚させるわけにはいかないのである。


 チワ=ワコールは直径1メートル半ほどある木製のたらいに水を張り、洗濯板と洗濯用の石鹸を用いて、丁寧にオルタンシアとローズマリーの下着類を洗うのであった。


 しかしだ。洗濯物はそれだけではない。洗濯をする彼女の背中のほうには竹籠いっぱいに汚れ物が積み重なっていたのである。


 いくら避暑地と言えども、暑いことは暑い。チワ=ワコールは文字通り額から汗を流して、懸命に汚れ物と格闘をし続けていたのである。


「ガハハッ……。チワ殿には感心するのでもうす。どれ、我輩も洗濯を手伝うのもうす」


 ヌレバ=スオーは汗だらけのチワを見て、自分も手伝おうと思い、竹籠に積まれた汚れ物をいくつか右手に取り、予備の洗濯板の1枚を左手に持って膝を折り曲げて、チワと同じように洗濯を開始するのであった。


「ヌレバさま。わかっているかと思いますが、力加減には十分に注意してください」


「し、失礼でもうすな!? まるで我輩がこの身の筋肉を躍動させて、洗濯板ごと衣類をボロボロにするかのように言うのはやめてほしいのでもうす!」


 ヌレバはチワの失礼な言いに公然と非難するが、彼は汚れ物をボロぞうきんにしてきた前科がいくつもあった。


 彼はクロードの修行と称して、クロードに洗濯のイロハを1から叩きこもうとした際に、カルドリア=オベールのワイシャツを洗濯してみせたのだが、その高級ワイシャツはヌレバが洗濯を開始してから3分後には、これは見事な穴だらけのボロボロのワイシャツとは呼べぬ何かへと生まれ変わったのである。


 それからというもの、カルドリア=オベールはヌレバに自分の衣類を洗濯しないように禁止させたのである。というわけで、ヌレバが今、洗濯をしているのはクロードの修行用の袖が短めである作務衣さむえであった。


 チワはヌレバが何を洗濯しているのかを、ひと目で察したが、クロードの作務衣さむえがボロぞうきんになっても、ヌレバの手荒い修行に彼が付き合わされている以上、すでにかなりボロボロだったので、それほど気にも止めなかったのであった。


「あっ。ビリッ! とかいう音がしたのでもうす。おかしいのでもうす。いつもの1割程度の力で洗濯板にこすり付けているというのに、衣服が破れる道理などないのでもうす!」


「それは元からボロボロだったからです。たぶんきっとヌレバさまが直接的には悪いわけではないです。間接的に悪いだけですので気にしなくて良いです」


「ガハハッ! チワ殿は優しいのでもうす! 我輩、チワ殿に惚れこんでしまいそうになるのでもうす!」


 ヌレバの軽口に、ふうううとやや長めに嘆息をするチワである。チワはオルタンシアと同じくエルフであった。しかもだ。仕事の邪魔になりかねないほどの胸の大きさで、さらにはその胸にかかりそうなほどの赤褐色のストレートの髪が特徴的であった。


 彼女は仕事中はその長い赤褐色の髪を紐で束ねて、ポニーテールとしている。そのため、うなじが露出してしまい、殿方連中はそのなまめかしいうなじに欲情してしまう。そんなやらしい気持ちの殿方から声をかけられるのは、チワにとっては存外に気持ちが悪いの一言であった。


「ヌレバさま……。『セクシャルハラスメント』と言う言葉を知っていますか?」


「うん? セクシャル? ハラスメント? すまん。我輩、チワ殿とは違って、学が足りぬ身なのでもうす。しかしながら、チワ殿の気分を害したのは何となくわかるのでもうす。我輩は武骨モノゆえに女性の扱いは慣れていなくて、申し訳ないのでもうす……」


 素直に謝ってくるヌレバに対して、チワは言い過ぎたと自覚してしまう。ヌレバは巨人族とのハーフだ。巨人族は自分の思ったことを率直に言葉にしてしまう悪癖がある。


 ヌレバはただ単純にチワのことを『惚れてしまいそうな良い女』だと言ってくれただけなのだ。だが、ここで問題がある。


「ヌレバさま。非常に言いにくいことなのですが……」


「ん? なんでもうす?」


「惚れてしまいそうというような言葉が効果を発揮するのは、女性側がその男性に少なからず好意があるかないかでかなり違ってくるんです……」

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