11.曰く、悩みは赤銅色の輝き。

 

「こちらに血を読み込ませていただいて、重複や偽装がないか検索、個人の登録を以て冒険者カード発行終了となります! あっ、書類の方確認させていただきますね!」


 人の頭ほどはありそうな大きな水晶玉に視線を持って行かれている間。あっさりと奪われた書類は、受付嬢の頷きを得てからしっかりと背後の棚に仕舞われた。


 蠢く光の粒子が渦となり、水晶玉の中で七色に光る。

 血の読み込みと言われたって、口もなければ皿もないのだが。


「ジ、ジークさん。つかぬことをお伺いしますが……血を読み込ませる、とは」

「ナイフなら借りられますよ。俺も持ってますからお貸ししますか?」


 ……彼は時々、私が記憶喪失だということを忘れている気がする。

 色々省かれ、会話になっていない会話だが十分だ。

 スパッと切るのね、オーケー、諒解りょうかいした。水晶玉に触ればいいのだろうか? それ以外に触る場所はないから、違ったらごめんなさいと謝ろう。


 そうしてシキミはごく自然に、一本のナイフをどこからともなく取り出し、手によく馴染むグリップを心地よく感じて──固まった。

 え、と思わず声が出る。


「どうかしました?」

「あっ、いや、なんでもないです」


 『

 その言葉が、やけにはっきりと脳裏を過る。

 私は今、何も考えずにスカートに仕込んだ武器を取り出した。


 まるでそれが、当たり前のように。


 ざあっと、血の引く音がした。

 私は一体、否、この身体はいったい今まで何をしていたのだろう──?


 最初から、少し考えていたことではあった。

 異世界は多く、元の世界の肉体でもって異世界に顕現する。

 一方、であれば字の如く。赤子や幼子、異世界に元々住んでいた人間の中に、云わば憑依するような形で顕現することが多い。それはまるで、前世ともいえるような形で。


 シキミの在り方は、アバターそっくりのこの身体うつわに、楓という人間が憑依した──つまり、あえてカテゴライズするならば異世界と言えるはずのもの。

 楓はこの器をアバターだと思っていたが、ここはゲームの世界ではないようだし。

 


 全て楓が、シキミがそう思い、信じていただけの根拠のない考え。

 一体誰が、この身体に過去がないなどと言った──?


 この身体が、異世界ここで暮らしていた「アバターに似た身体うつわ」に過ぎなかったのだとしたら。

 わたしという魂のせいで、この身体の持ち主の記憶が消えたのだと、そう考えたって何の不都合もない。


 ガラガラと足元が崩れるように、ありもしない浮遊感がシキミを襲う。

 この胸に渦巻く感情が、身体が持つ得体のしれない過去への恐怖なのか、身体を奪ったかもしれないという罪悪感なのか。それとも、他の何かなのか。


 怪訝そうにこちらを見つめるジークの視線を背に感じて、震える身体を抑えるようにナイフを引けば。刺すように走った痛みと共に、手のひらに赤い線が引かれた。


「怖がらなくても手は溶けたりしませんから」


 暫くそのまま躊躇っていれば、背後からそっと腕を取られ、水晶玉へと導かれる。

 触れればじんわりと暖かく、中で踊る粒子の中には一筋の赤色が混じりはじめる。

 オーロラのような光の帯はやがて一つ所に集まって、一際明るく輝くと「チンッ」とやけに電子的な音を響かせた。

 てっきりもっと神秘的な光景が見られると思っていた、というかこの流れは神秘的なそれだと思ったのだが。


「お疲れさまでしたァ! こちらが冒険者カードになります! 失くされた際は再発行に銀貨五枚が必要になりますから、取り扱いには気を付けてくださいねッ」


 どこから取り出したのか、どうぞと渡された小さなプレートにはどうやら異常も無いようで。手掛かりにはなりませんでしたがひとまず安心ですね、という彼の言葉に少しどきまぎする。

 足から力が抜けそうなのを、必死に抑え込んで苦笑する。いっそ何かとんでもない過去があったと分かった方が良かったかもしれない。

 そうしたらじくじくと膿むような、得体のしれないこの罪悪感に名前が付けられたかもしれないから。



 冒険者カードという名のプレートはまるでドックタグのようで、銅色あかがねいろの輝きがなんだか少し初々しい。

 どうやらランクごとに銅、銀、金、水晶、となっているらしく。カードを見せれば、お互いがどの程度の実力なのかすぐにわかるようになっているのだそうだ。

 ちなみに、DはすぐにCに上がれてしまうから同じ銅なんですよう、と受付嬢は言う。


「早くBに上がれるといいですね! 頑張ってくださいねッ」

「はい。あ、ありがとう……ございます」


 相変わらずの勢いに気圧されながら、新たな悩みの種の到来にシキミはそっと頭を抱えた。


 



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