エスティノラの正体

 心地よい風の中、ゆっくりと歩く馬に引かれ飛鳥たちの乗る馬車は一定のリズムで音を刻む。飛鳥はその音に耳を傾け荷台で横になるのが好きだった。


 だが今現在、旅の途中で出くわした二人の女性によって、その安らぎの空間は侵されてしまっていた。


 飛鳥はヘレナとシリュカール王国の第二王女と名乗るエスティノラ、そしてその従者のミーシャがたわいもない話をしている所を横目で眺めていた。


 荷台の隅でおとなしく縮こまっている飛鳥は外に出て馬車を操るシェリアの下へ行きたかったのだが、ヘレナに第三者の意見が聴きたいと言われれば断ることは出来なかった。かくいうシェリアも馬を操りながら荷台の中の会話は聞いているので、実際のところ飛鳥はその空間から逃げ出したいだけだったりする。


 飛鳥は馬車の窓から入る風に髪をなびかせながら馬車に乗り込む前にヘレナに言われたことを思い出していた。




 ―――――




 飛鳥とヘレナは馬車から少し離れた草陰の中を進んでいた。


「ヘレナさん、話ってのは……。場所を変えたってことは、あの猫耳……、ミーシャさんに聞かれたくない内容ってことですよね?」

「察しが良くて助かります」


 ヘレナはある程度、馬車から離れた位置で足を止めると飛鳥に目を向けた。


「私はあまりこの国に足を運ぶことはありませんが知識としてある程度のことは知っています。ですが……」


 そこまで言うとヘレナは顎に手を当て眉間にシワを寄せながら続ける。


「……私の記憶ではシリュカールの第二王女の名は『エスティノラ』ではなく『ピューレ』だったと記憶しております」

「偽名、と言うことですか?」

「エスティノラ様が本当に第二王女であれば……そういうことになりますね」


 ヘレナは初めからあの二人が怪しいと疑っていたのだ。


 ならば、なぜヘレナはあのお姫様の頼みごとを聞こうと思ったのか。それは偏にシリュカール王国に目を付けられないためであった。


 このままエスティノラとミーシャを放置し、その後、彼女たちの身に何かあった場合、飛鳥たちも飛び火を喰らう恐れがあるからだ。王族だけが使う道にいたのだから疑われても仕方がない。


 ならば、彼女たちの願いを叶えることが出来なくとも、どこか安全を保障できる場所まで送り届けることが今の状況を乗り越える最も適した選択だとヘレナは判断したのだ。


「今晩、寝静まった時にでも店長にシリュカールの情勢を聞いてみますね」

「お願いします」

「では戻りましょう。あまり待たせるのもよくありませんから……」


 話が終わり飛鳥とヘレナは馬車の下へ戻り、エスティノラとミーシャを加えた計五人で馬車に乗り込みその場を後にした。




 ―――――



 女性三人の雑談によりその場の空気が和むことで、ようやくエスティノラたちの頼みごとを聞く場が整った。


 飛鳥はエスティノラの姿を視界の端で捉え、疑いの目で眺めていた。王族が偽名を使うことに飛鳥は別に不信感を抱くことはない。その立場が立場なのだ。偽名を使うことで回避できるイザコザがあるのなら使った方がいいに決まっている。


 だが、偽名のまま人に頼みごとをする時は話は別だ。


 依頼人と請負人の間に信頼関係が築かれていなければ依頼はどこかで必ず破綻する。


 第二王女エスティノラが偽名を使っているのか、もしかしたらエスティノラという人物が勝手に王家の名を名乗っている可能性も考えられるが、飛鳥たちはすでに彼女が嘘を付いているということを知っている以上、その依頼の内容を一文字も逃すことなく精査しなければならない。


 ミーシャが「では」と口を開くとエスティノラがそれを静止し、代わりに話し始めた。


「私たちの願いは一つ……」


 ミーシャが不安げな表情を見せ、エスティノラは彼女に優しく微笑んだ。


「……私たちをこのシリュカール王国、そして隣国のガルマイン王国から遠く離れた地へ連れて行ってもらいたい」


 正直な所、飛鳥はどんな無理難題を押し付けられるのかと内心怯えていたが、思った以上に容易な内容に肩透かしを食らう。これならヘレナの思惑通り安全を保障できる国外まで連れて行けば問題は無いだろうと飛鳥は楽観視する。


 だが、そんな飛鳥と反対に一瞬だけヘレナが切羽詰まった表情をしたことを飛鳥は見逃さなかった。


 エスティノラの依頼にそこまで焦る要因があるとは到底思えなかったが、飛鳥よりもこの世界をずっと熟知しているヘレナには飛鳥には見えぬ何かが見えているのだろう。


「連れ出してほしいというのは、『逃亡』ですか? それとも『亡命』ですか?」


 ヘレナのその言葉に空気が張り詰めるのを感じた飛鳥は冷や汗をかき固唾を飲んだ。


 エスティノラもミーシャも雑談していた時の和やかな雰囲気は消え去り、飛鳥は二人に対する警戒度を顔には出さないように最大限まで引き上げた。


「どうなんだろうな。『逃亡』、『亡命』。どちらも違うと言えるし、どちらもそうと言える」


 そう答えたのはエスティノラだった。


 エスティノラは飛鳥とヘレナ、そして手綱を握るシェリアの三人に順に目を向けると大きな溜息を付いた。


「お前たちは国外からの旅人だな……。まぁ、私のことを疑っている辺り当然と言えば当然か……」


 飛鳥はドキリとした。飛鳥は昔から顔に感情が出るのを抑えることが得意だった。そして、それを見抜かれたこともなかった。それを、会って間もない、ろくに会話も交わしていない女性に見抜かれたことが恐ろしく、嫌な汗が背中を伝う。


 飛鳥の視線がエスティノラのそれと交わった。すべてを見透かされているような、そんな雰囲気がその綺麗な瞳の奥から覗いている。


 そして、エスティノラはふっと笑うとミーシャに目を向けた。


「ミーシャ、もういいだろ。どうせ隠し通せるもんじゃない。なら、あらかじめ知ってもらっておいた方が都合がいい」

「だがな……」

「大丈夫だろ。こいつらは言いふらすようなことは多分ないだろうし。それに、このお兄さんの疑いようは尋常じゃないぞ……」


 エスティノラは飛鳥に目を向けニッと笑った。


 気持ちが悪い。飛鳥は誰もが振り返るような絶世の美女に初めてはっきりとそう感じた。


 再びエスティノラが真面目な顔つきに戻る。


「知っているだろうが、シリュカールの王女は全部で二人だった」

「だった……?」


 ヘレナがその言葉に思わずつっこみ、エスティノラはそれに頷く。


「第一王女のセレノア、第二王女のピューレ。だが、今から五日ほど前に王家が三人目の王女を公式に発表した。それが……、私だ」


 エスティノラは右手を自分の胸元に当てながら、歯噛みして悔しそうにそう言った。


 飛鳥はここで一つの疑問が浮かぶ。現第二王女であるエスティノラは元々どこの誰であるのか、ということだ。


 飛鳥やヘレナが予想した二つ、偽名を用いている、もしくは王家の名を偽っているのではないと判明したのだが、それが分からぬ以上彼女の対する不信感が払拭されることはない。


「年齢的に私が新第二王女に、旧第二王女であるピューレが第三王女となったわけだな」


 一向に確信を突く内容を話そうとしないエスティノラにだんだん苛立ちを覚え始めた飛鳥は、埒が明かぬと思い直球に問いかけた。


「あなたは、……あなたが王女になる前、いったいあなたは何をしていたのですか?」


 エスティノラは飛鳥の問いにふっと笑うと「笑ってくれるなよ」と、付け足した。


「私はシリュカール王国、元第二王子、ディノランテ・シリュカールだ」

「…………は? 王子……?」

「ん……。男の子?」


 第二王女エスティノラ、改め第二王子ディノランテの放った事実に飛鳥だけでなく、荷台の外で馬を操っていたシェリアでさえ驚きの声を上げた。


 そして、飛鳥は気づいてしまった。初めこそ目の前の美形女男に心を踊らされはしたものの、次第にそれは薄れ挙句の果てには気持ちが悪いとさえ思ってしまった。それは、ディノランテに見透かされたような目を向けられたからではなく、目の前にいる人物が女ではなく男であるということを本能的に感じ取り拒否反応を示していただけだということを……。

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