キセレの言う日本②

「それで二千年前ってどう言う事だ?お前一体何歳なんだよ」


 先程は、はぐらかされたが今度はそうはいかない。飛鳥はキセレに直球をぶち込む。


「だから大した事じゃないって。単純に今まで、だいたい三千年くらい生きてきて、そのうちの約二千年を地球で過ごしただけ……」

「なっ……⁉︎」


 キセレの言葉に、飛鳥だけではなくシェリアも驚きの表情を見せる。二千年でさえ人間の寿命をはるかに上回っているのだが、実年齢はそれをさらに千年も上回っているとキセレは言った。


 二千年前の日本が何をしていたのか。弥生中期だとしたら稲作が定着したあたりだろうか。飛鳥の頭の中はそんなことで溢れかえっている。しかし、今重要なのはそこではない。


「三千年生きてるってお前、本当に、人間、なのか……?」


 言葉が詰まる。今までただの汚い知識マニアのおっさんだった目の前の男が急に得体の知れない何かに思えてくる。


「……僕は、魔族だよ」

 ——さっき話しただろ?


 俯き顔に手を当てながらそう言ったキセレの顔が歪んでいく。まだ昼前にも関わらずキセレを中心とし、光が瞬く間に飲み込まれていくような、辺りの空間までもが歪んで見える。キセレが顔を上げ飛鳥に笑いかける。キセレがどす黒い塊が人の形を成しているような、そんな風に感じられた。


「……っっ!」


 飛鳥の視線がキセレのそれと重なった。その怪奇じみた雰囲気を放つキセレを前に飛鳥から汗が噴き出した。


筋力強化アウドーラ!」


 突然、飛鳥の後方からそう発せられ、はっと我に返る。飛鳥は咄嗟に声のした背後を振り向くと、その瞬間、真横をシェリアが猛スピードで通り過ぎた。そして凄まじい金属音がそこら一体を響かせた。飛鳥は再び振り向くと、すでにシェリアの蹴りがヘレナの手に持つ金属の棒で受け止められていた。


 飛鳥の目ではシェリアのスピードを捉えることが出来なかったが状況から見るに、シェリアがキセレに蹴りを入れようとしたのをヘレナが庇ったのだろう。


 蹴りの勢いは殺したものの、今尚金属棒に掛かる力は強まり、ヘレナの額に冷や汗が垂れる。例え本来の力ではなくとも賢者の力には変わりない。シェリアの蹴りを金属の棒一本で防ぐのはそう容易いはずがない。


「店長! 悪ふざけはそこまでです!!」


 ヘレナがそう言うとニヤニヤと笑うキセレからすっとどす黒い気配が消える。


 飛鳥は未だに臨戦態勢を解かないシェリアに制止を呼びかける。


「アスカ、あいつはやばい。あんなの初めて。森でもあんなの、いない……」


 興奮覚めやらぬシェリアを飛鳥は押さえつけ、キセレの方を向く。


「お前、一体何なんだよ。……魔族とか、ふざけてんのか?」

「ふざけてないよ。僕は正真正銘、純度百パーセントの魔族だよ」

「お前は……、俺たちと協力したいんじゃなかったのか?」

「まぁそうなんだけどね。いきなり僕が魔族とか言ってもすんなり信じられないだろ? だから手っ取り早くね」


 確かにキセレの放つ人ならざる気配は魔族と思わせるには十分なものだった。だが、キセレのケタケタと笑うそのふざけた態度が飛鳥を一層熱くする。


 が、それでは話が進まない。先ほどのシェリアの蹴りの衝撃なのか、キセレのあの気配によってなのかは不明だが周囲に人がぼちぼち集まり出した。


「歩きながら話の続きをしようか」


 そう何事もなかったかのようにキセレは歩き出す。飛鳥はなぜか急に大人しくなったシェリアを離すとその後を追いかける。そして、


「シェリア、お前さっきまであんなに暴れてただろ」


 再び飛鳥の背中にしがみつくシェリアに話しかける。


 キセレは薄暗く人の気配は一切感じない。そして店を出てからここまでも人の気配は皆無に等しい。シェリアがここまで飛鳥に寄生していなくても無事だった理由は、単にそういうわけだったのだ。


 歩きづらさに慣れつつある自分が末恐ろしい。飛鳥は今日何度目かも分からぬ溜息をついた。


「それで、お前が魔族ってのは本当か?」

「あぁ、本当だよ。魔族はこの世界唯一の無機生物って言っただろ? だから寿命という概念がないんだよ。敢えて寿命って概念に結びつけるなら世界から聖術気マグリアを取り入れられなくなったり、魔核からそれを生成できなかった時が僕らの寿命かな」


 寿命の概念がない。にわかには信じられないが、もしキセレが本当に三千年という長い時を生きているのなら認めざるを得ない。


「それで……、お前は……」


 そこまで聞いて飛鳥の頭に一つの疑問が浮かぶ。そして、そんな飛鳥の不安がる目を見て飛鳥の疑問を理解した。


「僕が安全かって聞きたいの? これも言っただろ? 八割の魔族は人間を本能的に殺す。……僕は残りの二割ってだけだよ」


 その言葉を素直に信じていいのか。この男は言った。ほとんどの魔族が人を本能的に殺すと。ならば、明確な意思を持って人間を殺す魔族だっているかもしれない。


 飛鳥はキセレの後ろを歩くセレナに目線を向ける。その目線に気づきヘレナは口を開く。


「私は人間ですよ。今年で二十になります」

「えっ、マジで⁉︎」


 その落ち着いた雰囲気と、どことは言わないが魅力溢れる膨らみ故に、もう少し上かと思った飛鳥はつい声を上げてしまう。


「失礼ですね。確かによく童顔とか言われますが、これでも立派なレディです。大人の女性です」


 そっちじゃねえよ、と飛鳥は胸の中でツッコミを入れる。


 確かにヘレナは童顔だ。だが飛鳥はその落ち着いた雰囲気や醸し出す色気で初めから歳が低いとは思っていなかった。


「……大人の、女性」


 何を思ったのか、背中に引っ付くシェリアはその言葉に反応する。そのまま離れてくれ、頼むから。


 そして、飛鳥は再び問いかける。


「キセレ。お前が魔族だってことは分かった。残りの二割だってことも分かった。……でも俺は、俺たちはそれだけで、お前が敵でないと思うことが……、できない」


 キセレはまぁ当然かと頭を掻きながら呟く。


「こればっかりは、信じてもらうしかないんだけどね……」


 キセレは足を止め、飛鳥に体を向ける。


「僕は人間が、もっというなら地球、そして日本が大好きなんだ。もちろんそこに住む人々も……」


 そう言うキセレの顔は出会った時の不気味な顔や、先程の歪んだ笑顔とは全く違った。


 昔を思い出すように、穏やかで安らかなそんな笑顔。飛鳥はその笑顔に嘘偽りがないとすぐに分かった。本心で日本が、人間が好きなんだとひしひしと伝わってくる。


 キセレはまた歩き出した。


「この世界もそんな風になれたらいいね。……僕は心からそう願ってるよ」


 安直なのかもしれない。その言葉だけで彼を信じるのは。だが、なかなか割り切ることができないのが人間である。


(こいつは信じてもいいのか、な……)


 飛鳥は考える。考え続ける。今までも、これからもきっと飛鳥は悩み続けるのであろう。


 決して切ることのできない人との縁を……。




 —————




 飛鳥、シェリア、キセレ、ヘレナの四人は途中、キセレのおふざけというハプニングが起こりはするも無事ギルドに到着した。


「あ、これ金ね。まぁ今回は色々迷惑かけただろうし、別に返さなくていいよ」

「……えっ? あー、えーと……。あ、ありがと」


 先程は返せと言っていたキセレだが別にいいのなら遠慮なく貰っておこう。

 飛鳥は渡された四枚の銀色の硬貨を見る。


「なぁシェリア」

「………」


 背中のシェリアに声をかけるが案の定反応がない。


「さっきから思ってたけど賢者ちゃん、どうしたの?」

「人見知りなんだよ。ずっと引きこもってたから……」

「あー、なるほど。ナウデラードか」

「あぁ。……ところでさ、この金の相場がわからないんだけど」


 飛鳥はシェリアの了承を得ぬまま彼女の話をするのも悪いと思い話を逸らす。


「えっとね。銅貨一枚が大体十円ぐらいの価値と思ってくれていいよ。それで……」


 キセレが言うには銅貨十枚で銀貨一枚の価値。大銀貨が銀貨の百倍。金貨が大銀貨の十倍。大金貨が金貨の百倍。そして最後に大金貨の十倍が白金貨。


 十倍、百倍がややこしかったが銅、銀、金、白金とランクが上がる時は十倍。銀、金に『大』が付くと百倍ということだ。


「なるほど。ってことは白金貨って、十、百、千……」

「日本でなら大体一億ってところじゃない?」

「……いっ、ちお……!?」


 飛鳥は心臓が飛び出そうになる。日本でなら百万円の束を山のように積んでようやく一億である。それをこの世界では硬貨一枚で済ませてしまうのだ。驚いて当然だ。


「……そ、そそそれで、も、大銀貨四枚、って多すぎ、ない?」

「落ち着けよ。君も最初会った時からだいぶキャラ変わったね」


 ほっとけ!と飛鳥は口に出してそう言おうと思ったが、それが喉を通ろうとはしなかった。まだ幾分、一億の影響が残っているのだろうか。


「まぁ一応多く渡してあるよ。この街の滞在費で大銀貨一枚するし、どうせ身分証の登録費払うんだろ? このタイミングだし。後の残りは入り用にとっときな。で、それが二人分」


 案外ちゃんと考えているキセレに飛鳥は驚きつつも今は有難く大銀貨四枚を頂くことにした。


「では、参りましょう」


 そうヘレナが言うと真っ先にギルド内に入っていく。


 それに続き飛鳥とシェリアが。シェリアは相変わらず背中から離れようとはせず、しがみついたままだ。


 しかし、中に入ると元々騒がしかったギルドがより一層騒がしくなる。


 中にいる人間はまた飛鳥たちに視線を向ける……と、思いきや、それは二人の後ろにいるキセレに向けられたものだった。


「おい! あれ『情報屋キセレ』じゃねえのか⁉︎」

「ほ、ほんとだ! なんでギルドに⁉︎」


「やばい! 俺、金払うのばっくれたんだよ!」

「バカと思っていたがお前ほんとにバカだったんだな! よりにもよってキセレからばっくれるとか……」


 口々に聞こえる声はそのほとんどがキセレに対し恐れ、怯えるものだった。


「お前、一体何やったんだよ……」


 唖然とする飛鳥とは別に視線が自分に向いていないことに気づいたシェリアは飛鳥にしがみ付く手を少しだけ緩めるのであった。

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