実は運動音痴
飛鳥とシェリアはシートンと魔族が戦った森の入り口の前に立っていた。戦いの衝撃や爆音により動物たちは逃げ出したのか、異様なほどの静けさが広がっていた。だが、森の奥からは生木が焦げたような臭いが飛鳥の鼻につく。
この森のどこかに魔族がいる。飛鳥はその事実に恐怖するも震えてはいなかった。ふと隣に並ぶシェリアへ目を向けると、その視線に気づいたシェリアがニコッと笑う。
笑っていられる状況ではないのだが飛鳥もそんなシェリアを見ると自然と笑みがこぼれる。
「じゃあ、行こうか……」
「ん」
飛鳥はそういうと静かな森へと足を踏み入れた。
森に均された道などはなく森の奥深くへ進みにつれ、わずかにあったけもの道も見えなくなり、先ほどの熱風のためか木の裏側が焦げてしまっていた。
飛鳥が先頭に立ち草木を手に持つ『魔女の神杖』で払い除けながら進む。
「のわっべしっ!」
しかし、視界の悪い森の中、飛鳥は足元に伸びていたツタに足を取られ、なんともマヌケな声を上げる。
飛鳥は立ち上がり付いた土を払うと、
「ふぅ」
と、息を吐き何事もなかったかのように振る舞う。
「アスカって、実は運動音痴?」
しかし、そんなことを無視するシェリアではない。情けない飛鳥の姿を見て幻滅することはないのだが、無意識のうちに飛鳥の内情を掻き乱す。
「ばっか! シェリア、お前あれだよ? ……これは運動音痴とかじゃなくて、足場が……、そう! 視界が悪かったから! 足元がよく見えてなかっただけだから!」
シェリアは飛鳥の言っていることもよく分かる。自分も足元が覚束ないとき何かに引っ掛けてしまうことはよくあることだ。だから、そこは別に問題ではない。
シェリアが飛鳥を運動音痴だと判断したきっかけは足を取られたとき、無事な方の足が出なかったことだ。普通は前に倒れそうになった時、人はそれを防ぐために更に一歩を踏み出し体を支える。
飛鳥にはその動作が見られずなす術なく地面に突っ伏した。これを運動音痴と言わず何というのであろうか。
だがシェリアはそれを今ここで言ってしまうと飛鳥が拗ねてしまうのではないかと判断し、口にすることはなかった。
シェリアは森に入ったばかりの頃、よく転んでいたことを思い出す。今にして思えばそれは当然のことだった。シェリアは自分に『賢者の
そして、いつも想像するのは元気に外の世界を走り回る自分の姿。
だが、現実はそんな想像通り行くはずもなかった。
「
シェリアは飛鳥から少し離れた位置から手を伸ばすとそう唱え、
「
と、続けて二つの法術を強めに掛けた。
飛鳥は突然法術を発動したシェリアに何事かと疑問の顔をぶつけるが本人は気にするなと何も話してくれない。
仕方なく気を引き締めなおし再び道無き道を進む。そこで飛鳥は自分の体の異変に気付く。今までと違う妙に歩きやすいのだ。足がスムーズに前に出る。倒れた丸太を片手を突き飛び越える際、体が軽く感じる。
飛鳥はこれがシェリアの法術によるものだとすぐに理解した。
シェリアのかけた法術はもちろん、運動音痴を治すものではない。ただ単に筋力と、それを動かすための伝達速度、つまり反射神経の向上であった。
飛鳥はある症状にかかっていた。言うまでもなく体を蝕む類の病気ではない。それは自分のイメージと自分の身体能力の違いである。
『俺はもっと俊敏に動ける』
『俺はもっと細かな動きもできる』
その自分のイメージした動きに飛鳥の本来の体が追いついてこないのだ。足を取られた時、反射神経の遅さから足が出てこないように。
そんな動きのズレをシェリアの法術で強制的にカバーする。
すると、そのズレが無くなり飛鳥の動きに滑らかさが増し、その運動音痴を克服したのだ。もちろん、込めた
それでもこの先、何が起きるか分からないのなら飛鳥の身体能力を上げて損はない。
進む先は森、森、そして森——の筈だった。飛鳥たちとシートンが別れたのはもっと深い場所のはずだ。
だが、今飛鳥とシェリアの眼前に広がるのは薙ぎ倒され、燃え上がる木々。隆起し、又は陥没した大地。
そこにシートン、そして魔族の姿も見当たらない。声を出しシートンの名を呼べたら楽なのだが、もしも魔族が生きていた場合のことを考えると、そんなリスクを犯すことはできない。
飛鳥とシェリアは顔を見合わせ一度頷くとその荒れた大地に足を踏み入れる。
「……すごい、ね」
「あぁ、ナウラ一ってのは伊達じゃないな」
シートンの安らぐ声から与えられる印象からは想像もできない有様だ。そして、そのシートンと戦った魔族もまた賞賛に値するとしか言いようがない。
この荒れた大地は遠くに無事に残った森がわずかに見えることから、かなりの範囲に広がっていることがわかる。
もしシートンが無事でもこの木々や焼けた土に埋もれているのだとしたら探し出すことはできるのだろうか。
「あ、……そういえばあれ使えるんじゃないのか? 『結界』使えば見つけれるかも」
「あれは地中に埋もれていたら、見つけることは無理だとおもう。……でもやってみる価値はある」
そういうと、シェリアは手を軽く広げ向かいあわせる。そこから白っぽい光が瞬く間に広がって行く。
「ダメ、見つからない」
シェリアはそう言った。
だが、この『結界』、基『レーダーのようなもの』の有効範囲は半径約四十メートル。この荒涼とした大地に比べればずっと狭い。
シートンが地中に身を潜めていれば見つけることが出来ないかもしれないが、シートンがその範囲内に居なければ、そもそもこの『結界』に意味はない。
「移動してもう一回頼むぞ」
「ん」
その前に、と飛鳥はポケットからスマホを取り出すとあたりの写真を撮る。
そこから飛鳥たちは一時間ほどその大地を探し続けた。
シェリアが『結界』で探してくれている間、飛鳥はスマホで撮ったあたりの風景を眺めていた。もしかしたらシートンが目印を残しているかもしれないからだ。
しかし、飛鳥はその写真から何か手がかりとなるものを見つけることができない。
そして、
「またダメ」
シェリアの方も成果がないままであった。
飛鳥はどっこいしょと立ち上がり次の場所へ向かう。探し出した当初は前向きになっていたがここまで何もないと悪い方へと考えてしまうのは必然である。
だが、その変化のない状況がようやく動いた。
「……っ! アスカ!」
シェリアの呼びかけによって。飛鳥はすぐにシェリアに駆け寄りシェリアがまっすぐ見つめるその方向へと視線を向ける。
「見つけた。誰かいる。……でも、何かおかしい」
シェリアのその発言で飛鳥の心臓がドカンと大きく脈打つのを感じた。
「何か、変。なんて言ったらいいか分からないけど、……聖術気が、おかしい」
嫌な予感しかしない。
「何がいるか分からない」
やはりシートンは殺されてしまったのか。だが、悩んで立ち止まるわけにはいかない。
「行こう、シェリア。物音を立てないように慎重にな」
「ん」
二人はアイコンタクトを取ると緩慢な動きで足を進める。
歩みは遅いが着実に近づいている。そして、それに合わせ鼓動が早くなるのがわかる。
少し前に竜の元へたどり着く手前に似たような経験があった。そのことを思い出し竜の存在に比べれば魔族など大したことはないと自分に言い聞かせる。
二人はシェリアが捉えた場所から少し離れた場所に倒れた木の陰に身を潜める。その奥に何がいるのか……。
飛鳥は目を凝らすとそこに人影が一つ。
そして、その姿を見た飛鳥は驚愕の一言でしか表すことができなかった。
飛鳥とシェリアが見たのは三人目の子供『カウ』を抱きかかえたシートンの姿。だが、そこに『嬉しい』という感情は全く湧いてこなかった。
魔族の存在など忘れ飛鳥は思わず飛び出しシートンの元へ向かい、その後をシェリアが追う。
「何、やってん、ですか……。シートンさん……」
二人が目にしたのは口元を真っ赤に濡らしカウの腕にかぶりつくシートンの姿であった。
「やぁ、何でここにいるの? 街に戻ったんじゃなかったの?」
シートンは今までと何ら変わらぬ口調、笑顔で答えた。それが、飛鳥の怒りと恐怖心をいっそう駆り立てた。思わず身震いをするが飛鳥の足はシートンへと向かう。そして、
「何やってんだって聞いてんだよ」
静まり返ったその空間に飛鳥の怒号が響き渡った。
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