正式な初依頼

 空気が凍る。そんな体験を飛鳥は初めて味わった。その場にいる人々の顔が一瞬で青ざめ、全身に鳥肌が立つ。


 それはたった一人の登場によって引き起こされた。ナウラの冒険者ギルド、ギルドマスタージザル。


 彼の体から放たれるまさに極寒とも言える聖術気がその場にいた全ての人を縮こまらせた。


「それで、何があったか説明してくれるんだよね?」


 そして飛鳥は今、以前来たギルドの応接間に通されている。ジザルが手を組みながら机に肘をつき飛鳥に笑みを向けてくる。


 そのあまりにも迫力のある笑みにシェリアが「ひっ!」と、声を上げる。


「はっきり言いますけど俺にも訳わからないんですよ」


 飛鳥は後ろめたいことが何もないので、あったことをそのまま話す。シェリアが相手に攻撃を仕掛けたのも十分正当防衛の範疇であることを主張した。


「ふむ。つまり君たちからカインに攻撃を仕掛けたわけじゃないんだね」


 ジザルが口にしたカインという名の男性。飛鳥とシェリアに絡んできたナウラ一の剣士である。現在は医務室に運ばれ治療を受けているのだがシェリアが法術をかけていたおかげで外傷はなく、ぐっすりと眠っていた。


「はい、ずいぶん酔っていましたし。床を壊してしまったのは申し訳ないですけど……」

「ごめんなさい」


 素直に頭を下げるシェリア。飛鳥も同じように頭を下げジザルに許しを乞う。


 ジザルは「はぁ」と溜息をつき口を開く。


「頭を上げてくれ。どうやら非があるのは彼のようだ。彼が目を覚ましたら彼からも話を聞き、その後謝罪をさせよう」

「えっ、いや結構ですよ! なかったことにしてもらった方がありがたいです!」


 飛鳥は焦った。よくあるテンプレ通りに飛鳥がチンピラを倒すことはなかったが、その代わりにシェリアが彼をボコボコにしてしまった。このことで逆恨みを買ってしまっている可能性も考えられる。できるだけ騒ぎを立てたくなかった飛鳥にとって不安要素は極力取り除きたい思いが強い。


「うむ。……君がそれでいいならいいけど、本当にいいのかい?」

「はい、大丈夫です。シェリアも問題ないよな?」

「ん。問題ない」


 ジザルは安堵の微笑をもらした。今でこそ身分を偽ったことで飛鳥は依頼を引き受けてくれているが、ギルドの監督不行き届きでそれを帳消しにされるかも、と考えていた。キセレもナウラを離れている現在、そうなれば麻薬調査が進まなくなる。


「それで、今日はなぜギルドに?」

「定期報告ですよ。昨日教会に行って来ましたから」

「もうかい? 正直昨日お願いしたばかりだから定期報告はもう少し後でもよかったんだけどね」

「そ、そうだったんですか。まぁ確かにあまり情報は得られませんでしたが……」


 そう言うと飛鳥は昨日、教会に訪れた話をした。


「なるほどね。やはり表立って薬物を生産するようなことはしない、か。だが、何かに金が吸われていることは確信した、と……」

「はい。子供達の痩せ方は普通ではありませんでした。今でこそ元気ですが、いつかそれも限界がくると思います」


 それに……、


「あのハーマイネと名乗った修道女が実は黒だった、なんてことがあれば軽く人間不信になりますよ」


 軽く冗談を交えつつ笑う飛鳥だが、ジザルは深く安心しきった表情になる。


「ハーマイネは白、かね?」

「え? いや、断言はまだできませんが今のところは……」


 露骨に雰囲気の変わったジザルに飛鳥は疑問を抱くがそれを口に出すようなことはしなかった。


「そうか、じゃあ引き続き頼むよ。そうそう、別に進展がなかったら、わざわざ来なくても大丈夫だよ。カインに会いたくないのなら時間をずらしてもらってもいい」

「はい、ありがとうございます。あ、それと一つ大事なことを聞きたいんですけど……、いいですか?」


 飛鳥はどうしても聞かなければならないことがある。それを聞くのなら今、ここしかない。ここを逃せばきっともうそのチャンスは訪れないだろう。


「『夕刻の鐘』、そして『日の鐘』の時刻とは一体いつですか?」

「『夕刻の鐘』は日没から大体一時間、『日の鐘』は日が真上に来た時だね」


 やけにあっさり、本当にさっぱり回答を得られた飛鳥は今までの悩みと焦りがバカバカしく思え、がっくりと肩を落とした。




 —————




「やっぱ読めんな」


 ギルドの冒険者が必ず訪れる場所。依頼の書かれた紙が大量に貼り付けられている依頼ボードの前で飛鳥は自分の無力さを感じていた。


「アスカ、字の勉強する?」

「大学受験で死ぬほど英語をやって、入ってからもプラスドイツ語やってんのにまだ外国語やんのかよ、しんど」


 依頼書にはこの異世界に来てからよく見る文字と簡素な絵が描かれていた。何の絵かわからないが草の絵は採取系、動物の絵なら討伐系ということが見て取れた。


「シェリア、これはなんて書いてる?」

「……エレキ、ラプトルって書いてる」


 飛鳥の指差した依頼書の絵には二足歩行で小さな手を携える生き物の絵が描かれていた。


「ラプトル? 何か聞き覚えがあるな。恐竜にそんな名前のやつがいたっけ?」

「こっちはゴブリン、こっちはコボルト」

「おっ、やっと異世界っぽいやつがきたな」

「どれにするの?」


 深く考える必要もないのかもしれないが記念すべき最初の依頼だ。金額も大事だが何か記念になるものがいい。


「シェリアはどれがいい?」


 しかし、考えつかない飛鳥はシェリアに丸投げする。シェリアは一通り依頼ボードを眺めると一枚の紙に手を伸ばす。


「それか?」


 シェリアが手を伸ばした紙、それは飛鳥が最初に見たラプトルの依頼書だ。


「ん。かわいい」


 依頼書に描かれたラプトルの絵。確かに可愛く書かれているがそれはあくまで『絵』である。可愛くデフォルメされていても実際の見た目はいかついかもしれない。


「まぁいいか」

「ん」


 飛鳥とシェリアは依頼書を持ち受付に持っていく。今はネイラが他の冒険者の相手をしていて忙しそうなのでその隣の受付嬢へ渡す。


「はい、では冒険者プレートをこちらに当ててください」


 大きさ縦一センチ、横三センチほどの冒険者プレート。冒険者としての身分を示すもので、そのランクが色で表される。それは低い方から、


 赤 黄 紫 緑 橙 金 白 黒


 の順でランクが高くなる。

 初めは色の並びを覚えるのに苦労しそうかと思ったがすぐに覚える事が出来た。


 プレートは二枚の染鋼せんこうと呼ばれる色の変わる金属板を重ねたものでその内側に術式が刻まれている。その術式と登録時の血判の情報を組み合わせることで個人情報を完全に管理できるというわけだ。


 飛鳥とシェリアはプレートを細い鎖でブレスレットにしてもらっており今日、ギルドを訪れて初めてそれぞれの左手首につけた。


 飛鳥はプレート内部に刻まれた術式を読み取る板、『選定板』に触れさせると、受付の手元にある水晶に個人情報が浮かぶ。


「ランク赤、アスカさんとシェリアさんですね。『ラプトルの捕獲依頼』承りました。キャンセル料は銀貨五枚となっております。ではお気をつけて」


 にっこりと笑う受付嬢に見送られ、飛鳥とシェリアはギルドの外に出た。


(思ってたのと違う……)


 飛鳥は心の中でそう呟く。討伐ではなくラプトルの捕獲。


「また、ちゃんと確認しなかった……」


 あの時、シェリアは「ラプトル」としか言わなかった。これは捕獲の可能性を頭の中から完全に消し去っていた飛鳥の落ち度である。


 しかし、初依頼ということで隣にを目をやるとシェリアが張り切っているのが伝わってくる。


 仕方がない。飛鳥は自分にそう言い聞かせ歩き出す。


「行こうか」

「ん」


 ギルドの前はすでに人が履けており、来たばかりに見えた賑わいはもうどこにもない。


 わいわい騒いでいても誰もが立派な冒険者である。切り替え、そして稼ぐ。そしてまた騒ぐ。


 誰もがそんな何でもない日常を求めるために街の外へと足を向ける。


 飛鳥やシェリアもまた、そんな冒険者の一員になったのだ。いつ死ぬかも分からない街の外。油断できぬその環境の中でも飛鳥は安心できる……、ような気がする。もちろん、どこにもそんな保証などないのだけれど。

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