第2話 「魔王様、追撃部隊と戦闘する」
蒼雷の軌跡が迸り、狼魔獣から鮮血が吹き上がった。
どうと倒れた狼魔獣はもはや息も絶え絶えの様子で、しかし敵意に満ちた視線だけは私に突き刺して来る。
そんな狼魔獣へと、子供の狼魔獣が寄り添い、まるで守るように私の前に立ちはだかっていた。
「……ふう」
私は溜め息ひとつ。
弱体化したとはいっても、分類すれば
多少傷は追ってしまったが、軽微なので無視する私は剣を鞘に収め、傷付いて倒れている狼魔獣へとゆっくりと近づいていく。
敵意を露わにする子供魔獣が「がうっ」と鳴いて私に噛みついてくるも、この際、仕方ないだろう。
「っ……安心しろ。お前の親を殺す気はない」
左腕に噛みつかれたままで私は、倒れ伏す狼魔獣に近づき、治療魔法を施してやった。
私がつけた傷跡がみるみるうちに治っていく。
痛みがなくなっていくことに不思議に思ったのか、狼魔獣が警戒色が薄れた目で私を見てきた。
「もとはと言えば、私の不始末だからな」
私は無駄な殺生は好まない。
しかも私が原因なのだから、殺す理由すら見当たらないのだ。
それでも襲ってくるのならば、容赦はしないが。
そもそもが。
魔王は絶対悪でいて邪悪だなどというのは、人族が勝手に作り上げた虚像に過ぎないのである。
まあ、魔族と人族は敵対関係にあるので、プロパガンダ的なものだろうが。
魔王とは、ただの魔族の王という意味しかないのだ。
とはいえ。
もはや私には関係ないことであるが。
「ペロペロペロ」
いつしか、私に噛みついていた子供魔獣が私の左腕を舐めている。
どうやら、私に敵意がないことをわかってくれたようである。
完治した狼魔獣が私をゆっくりと一瞥した後、おもむろに背を向けて、街道脇の草むらへと姿を消していく。
子供魔獣も急いでその後を追っていった。
「……やれやれ。前途多難だな」
これからどうしたものだろうか。
魔王城を追放されたいま、私には行き先もなく、目的も何もなかった。
ふと脳裏によぎるは、№3に嫁いだ妹。
私が失脚したといっても、さすがに新魔王とはいえ、№2に昇格した男相手に下手にケンカは売らないとは思うが……
とはいえ、新魔王の不興を買っている私が妹宅に厄介になっては、無用な難癖をつけられて面倒くさい展開になってしまうかもしれない。
だから、妹の厄介になるという選択肢はなかった。
「どうしたものか……」
途方に暮れる。
まあ、魔王城から逃げる際に、あらかたの私財を道具袋に突っ込んできたので、当面は心配いらないだろうが……資金が尽きたら、それまでである。
街道を歩きながら、私は考えを巡らせる。
行くアテもないので、とりあえず街道を進んでいるというだけだ。
魔王城から少しでも離れるという意味もあったが。
元魔王という肩書は使えない。
そんなものは、何の意味もないからだ。
──過去の栄光に縋るのか?──
忌々しいあの男の言葉が甦ってくる。
いちいち言われなくても、そんな無様なことをする気はないのだ。
と、道端で息絶えている亡骸を発見した。
まだ新しいようで腐敗もしておらず、地面に血の華が咲いていた。
進行方向にあったということもあり、とりあえず私はその遺体へと近づく。
「……ふむ。冒険者、か」
身なりから、そう判断する。
恐らくはソロで活動中、魔獣か何か知らないが怪我を負い、ここまで来たところで力尽きたといったところだろう。
街道の警邏隊が通ればきちんと遺体を処理してくれるだろうが、あいにくと、ここを通る気配がない。
「仕方ないな」
私は火炎魔法でその遺体を焼却してやることにした。
このまま放置すれば腐って虫がたかることになるし、最悪の場合、アンデット化する恐れもあるからだ。
元がつく魔王とはいえ、これまで国民のために動いてきた私は、国民に害成す恐れがあることを、さすがに放置できなかったのだ。
自分でも甘いとは思うが……別に大した労力でもないのだから、よしとしておく。
燃えていく遺体を前に、私はふと思う。
「冒険者として生計を立てるしかない、か」
妥当なところだろうか。
というか、それ以外、何も思いつかない。
妹に迷惑をかけるなど、もってのほかなのだから。
しかし……
頂点を極めた私が、一介の冒険者風情に身を落とす……
悔しさを通り越して、もはや笑い種である。
人生、何が起きるかわからない。
誰がいった言葉だったか。
覚えていないが、まさにその通りだったと痛感だ。
そんなことを思いながらしばらく街道を歩いていると、その場に、何やら物騒な連中が姿を現した。
私は、隠すことなく嘆息ひとつ。
(おとなしく街道を歩くことすら許されないのか、私は)
この街道……イベントが多過ぎる……!
※ ※ ※
一見すると、野盗然とした恰好の男たちだった。
冒険者もこういったボロボロの恰好をしているのが多いが、私は冒険者だと判断はしなかった。
なぜならば、そいつらが私を見ながら、イヤらしくニヤニヤした笑みを見せていたからだ。
まあ、冒険者の中にも野盗まがいのことをする奴らはいるので、一概に判断はできないだろうが。
「金目のものを置いて行ってもらおうか」
リーダーらしい男が宣言してくるが、その隣にいる別の男が下卑た目を私に向けてくる。
「よく見たらべっぴんじゃないか。お頭、金目のものだけじゃなく、
男たちがニヤニヤ笑ってくる中、頭と呼ばれた男が「ふむ」と頷いた。
「女、訂正しよう。
「……別に訂正しなくてもかまわんよ。もとより、何も置いていく気がないんだからな」
私が抜刀すると、見るからに低俗だった男たちの表情が、がらりと変わる。
頭の表情も鋭いものになっており、片手で指示を出すや、男たちが抜刀して私を取り囲んできた。
(なるほど。野盗を演じていただけということか)
私を取り囲んだ男たちの動きは、訓練された現役兵士のそれだった。
野盗風情や冒険者が身に着けられるような動きではなく。
もちろん、兵士崩れという可能性もないだろう。
完全に統制が取れているのだから。
自分では何もしないことで私の女としてのプライドを傷つけさせ、そしてトドメとばかりに、複数の男たちによって私を嬲る計画ということだろうか。
(つくづくクズだな、あいつは)
だからこそ、私は心底あいつが嫌いだったのだが。
「女。悪いが、お前の全てを頂くぞ」
「臭い芝居はもういい。くるなら、早くこい。ただし、死にたいのなら、だがな」
リーダー各の男はにやり笑い、片手を上げた。
その途端、私を取り囲む男たちが一斉に動きを見せる。
無駄のない統率のとれた連携でもって、私の四方から襲い掛かってきた。
数に差がある劣悪な状況なれども、私には何ら気負いはなかった。
戦闘力こそ落ちていたとしても、これまでに培った経験値はそのままなのだからだ。
すなわち。
四方を囲まれた時は、相手の意表を突けば容易に抜け出せるのである。
私は慌てることなく、魔法を発動させた。
いまの私では下級レベルしか扱うことはできないが、それでも十分。
私を中心とした地面が一瞬で氷漬けに。
踏めば簡単に割れる程度に薄い氷なれど、突然の地面の変化に対応できない何人かが足を滑らせ、態勢を崩す。
「まずひとり!」
バランスを崩している敵に肉迫しざまに蒼刃を一閃。
血風を巻き上げ、絶命したその敵に回し蹴りを叩き込み、切っ先を送り込んできていた別の敵へとぶつけて、回避できずにもんどりうったところへ、死体の背中越しに蒼の剣を突き刺してトドメを刺す。
ふたりの仲間があっと言う間に倒されたというのに、男たちには何ら動揺が見受けられず。
表情を一切変えずに、黙々と私へと攻撃を叩き込んでくる。
「……ちっ」
横薙ぎの斬撃を受け止め、私は舌打ちひとつ。
さすがに訓練を受けている正規兵ということなのだろう。
戦闘中には、無駄な感情を持ち込まない。
ただただ一心に、目の前の敵を滅するのみ。
両側面から男たちが斬りかかってくるので、私は正面の男に蹴りを入れ、その反動で距離をとるが。
「背中ががら空きだな!」
「っ……」
リーダー格の男がいつの間にか回り込んでおり、回避が遅れた私の背中が撫で切られてしまう。
追撃しようとしてくるリーダー格だが、私が牽制の一撃を放っていたので、中断される。
しかし、氷の地面を踏み砕いてきた男たちが、一気呵成に私へと群がってくる。
息つく暇もなく。
数の利を生かした堅実な戦術。
個々の戦闘力は、弱体化している私と比べても低いだろう。
しかし攻防一体の連携が、私を苦しめてくるのだ。
一対多勢による斬撃の応酬。
私は地面を凍らせながら足止めしつつ、剣術と体術で迎え撃ち。
男たちは攻撃役と防御役を決めているのか、自分の役割を忠実に守りながら、着実に私を追い詰めてくる。
身体が……重い。
思うように……動けない。
思わぬ劣勢に、私は歯噛みする。
私はここまで弱くなってしまったのか、と。
蓄積された経験値がなかったら、とっくに勝負は決まっていたことだろう。
(これは予想以上か……認識を改める必要があるか)
私は、少し現状を甘く見ていたらしい。
真摯に反省しなければならないだろう。
私はもはや最強魔王ではない、ということを……
「あの最強魔王を相手に押しているのか……っ?」
「いける……いけるぞこれ!」
「一介のおれたちが……!」
思わずといった様子で、冷静さを保っていた男たちが口々に呟いてくる。
さしもの訓練を受けている兵士たちとはいえ、この事態に興奮を隠せないようだった。
前言撤回といったところだろうか。
彼らと切り結びながら、私は苦笑いを見せてしまう。
「おいおいおい……身分を隠してたんじゃなかったのか?」
「すでにバレているんだ。だったら、いまさら隠す必要もないだろう?」
リーダー格は部下たちの軽挙に叱咤するどころか、むしろ容認しているようだった。
「そもそも正体を隠す意味がわからないがな」
私の呆れ交じりの指摘に、リーダー格が苦い顔に。
「……魔王城を追放した上に、追撃部隊まで出したとなれば……さすがに体面が傷つく」
そう述べてから、初めてリーダー格がイヤらしい笑みを向けてきた。
「仮にも正規兵が、前魔王を蹂躙するなど、それこそ体面が崩壊する」
その言葉が意味する卑劣性を受けて、私を取り囲む男たちも下卑た視線で私を舐めまわして来る。
「……クズに従う者も、またクズということか」
私の呟きを負け惜しみと捕らえているようで、男たちは余裕の態度を崩さなかったが。
「この辺でいいだろう。終わりだ、ゲス共」
私の意図する言葉がわからないようで、男たちが訝しむような顔に。
彼らに説明する道理もないので、私は行動で示すことにした。
びしょびしょとなっている地面に蒼の剣を突き立てるや、ひょいっとその柄に飛び乗る。
そこで初めて、男たちが顔色を変えた。私の意図に気付いたのだろうが、もう遅い。
蒼の雷が切っ先から迸る。
それらは濡れきった大地を縦横に奔り、足元が濡れている男たちへと襲い掛かっていた。
──感電である。
私の視界が蒼一色に染まり。
色が消えると、たった一瞬でもってその場の戦闘は終了していたのだった。
※ ※ ※
※ ※ ※
「えぇっ!? お姉さまが失脚って……本当なのですの!!!?」
素っ頓狂な声を上げたのは、見目麗しい女性だった。
前魔王クレアナードの妹である、ラーミアである。
自宅にて優雅な午後ティーを楽しんでいた彼女は、可愛らしい両目をまん丸にする。
「残念だけど、本当らしい」
好青年然とした男──彼女の夫であるマイアスは、沈痛な面持ちで告げる。
「しかも、すでに義姉さんは魔王城を追放されたようだ」
「うそ!? なんで追放なのですの……!? 意味がわかりませんわ!!?」
「勇者との戦いで、義姉さんが最強の魔族じゃなくなったから、という理由らしい」
「そんなことって……お姉さまのこれまでの功績を考慮したら、たとえ魔王じゃなくなったとしても相応しい要職に就いて然るべきですわよ!!」
「……新魔王になったブレアは、義姉さんを快く思っていなかったからな……」
「ブレア……! あの筋肉ダルマ……っ!!」
童顔には似合わない怒りの表情を浮かべるラーミアに、マイアスは複雑そうな表情で言う。
「ただ、不幸中の幸いとでもいうべきか、義姉さんはブレアに
「当たり前ですわ! お姉さまがあんな筋肉ダルマに手籠めにされるなんて……在り得ないですわ!」
「ああ、そうだね。君の気持ちが痛いほどわかるから、その、少し紅茶を飲んで落ち着こう?」
やや引きつった顔で勧めてくることで気づいたのか、ラーミアは「こほん」と咳払いしてから、言われた通りに紅茶を一口。
「そもそも、おかしいと思うんですけど……警戒が厳重のはずの魔王城の、さらに奥深くに潜入されてしまうなんて。マイアス、貴方は何か不自然だと思いません?」
「……まさか、手引きしたものがいるって言いたいのかい……?」
「お姉さまが失脚して誰が一番得をしたのでしょう?」
「……ブレアだろうね。あいつは新魔王になったのだから」
その事実を口にしながら、マイアスの表情はだんだんと険しいものになっていく。
「あいつ、そこまでクズだったというのか……」
「こうしてはいられませんわ! いますぐにお姉さまを迎えに行かなくては!」
勢いよく立ち上がったラーミアを、マイナスは冷静に制止した。
「それは、いまはやめた方がいい」
「? どうしてですの?」
「義姉さんはブレアと折り合いが悪い。そして義姉さんは失脚し、ブレアは最高権力を手に入れた。いまこの状態で義姉さんを匿えば、あいつに下手に付け入られる隙となるだろう」
「……マイアス。貴方は、お姉さまを見捨てるというのですの……?」
ラーミアの双眸が鋭いものに変わる。
そんな彼女を前に、しかしマイアスは静かに首を振った。
「そうじゃない。時期を見て動かないと、取り返しのつかないことになりかねるってことさ」
「……でも。でも、苦境に立たされているお姉さまに、何も出来ないなんて……」
「義姉さんも、それが分かっているからこそ、僕たちの元に姿を見せなかったんだと思う」
「でも……。……じゃあ、これからわたしたちはどうしますの?」
「しばらくは静観するしかないだろうね。いまは、軽挙妄動は控えるべきだと思う」
わかってくれ、とマイアスは視線で彼女に語る。
「……わかりましたわ。でも、何かお姉さまとの連絡手段くらいは、確保しておきたいのですけれど」
「確かに、それは必要になってくるだろうね。いざという時に備えて」
とはいえ、通信機は使えないだろう。
傍受される恐れがあるからだ。
最高権力を手に入れた以上、いまのブレアには何でも出来るのだからだ。
「信頼のできる密偵かなんかを、早急に用意する必要があるね」
言うや否や、マイアスは足早にその場から出ていった。
その場にひとりとなったラーミアは、不安を隠せない足取りでバルコニーへ。
どこまで澄み切った青空。
小鳥たちが飛び交い。
城下町からは平和な喧騒が聞こえてくる。
しかし対照的に、ラーミアの内心は曇天である。
「お姉さま……どうか、ご無事で……」
いまは祈ることしかできないことに、彼女は苛立ちを隠せない様子だった。
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