隙間を埋めるもの
第25話 彼の過去、懐かしき香り 6/6
今日も天気なようで朝日で目が覚めた。時計を見てみると八時を指している。眠りに着いた時間を考えれば早起きな方だ。帰って来てから着替えずに寝た為、少々眠りの質は良くなかったが。
ミーナを見てみるとまだ私の横で夢の世界の中のようである。あれだけ飲んだのだからそうなるだろう。幸いにもミーナに掴まれてはいなかったので、起こさない様にベッドから下り、部屋を出て玄関先で煙草でも呑むとした。
よくよく考えればこちらへ来てから一本も呑んでいない。ヘビースモーカーでも無いので気にしていなかったが、とりあえず自室へ行き煙草缶と灰皿、ライター、ミントガムを持って玄関先へ来た。
なんとも清々しい朝である。この清浄な空気がロムナスという都会で味わえるなら、他の山や高地ではどれほど良いものなのだろうか。
そんな空気を少々汚してしまうのは残念だが、美味な空気があってこそ煙草の煙はその本来の旨みを引き出せるというのも事実だ。この清浄な空気に感謝だ、一服といこう。
煙草の煙を吐き出しながら空に消えて行くのを見ていると、私があちらに居た時の事が頭を過った。売れぬ物書きとして筆を執り、売れぬが故、定職にも就か無いようなろくでもない奴だったと思えてくる。
借金こそなかったが、甲斐性もなく、付き合っていた気立ての良い女性とも別れ、両親とも連絡を付けずにいたのだ。私は結局のところ何も出来なかったし、三十年近く生きてきて方向性すら見いだせなかったのだ。
私の心の内を知らない、知ろうともしない他人がなんと言おうがそんな発言など私には空虚な物でしか無く、そんな他人の発言は生きる活力になるどころか活力を奪う物に他ならなかった。そして好きで呑んでいた煙草が旨くなくなり、同時にこの世に生きる事への執着が段々と薄れていった
そしてある日、散歩先でうたた寝をしていたらこちらへ来た。その時はもう生きることや、文字通りにあちらでの「この世」に未練は無かった故に戻ろうと考えることもしなかった。だから元々の呑気さが出てきてぶらりと「こちら」を歩き始めた。
別に異世界だろうがどこだろうが死んでも構うものではなかった。むしろ変な
まああちらのことを考えても仕方ないのだ、こうなったならこちらで出来る限りの事をしよう、異世界なのだからむこうのことは考えなくていい。
そうやって阿呆な私は呑気に煙草を灰へと変え、あちらでの事は煙になっていった。こちらでの煙草は大層美味かった。
煙草を二、三本程吸い終わってもう一本いこうかと思い煙草を手に取った時、玄関の内側から足音が聞こえてきた。恐らくミーナが起きて下へと下りてきたのだろう。
それにしても何やらバタバタとミーナらしからぬ足音であったので不思議に思い立ち上がると、少し青ざめた顔のミーナが玄関から出てきた。
「おはよう、ミーナ。どうした、こんな朝から?顔色が悪いぞ?」
私はミーナに質問したのだが、
「良かったぁ、何もなかったんですね。眠っていたら変な伝達が入って来て、目覚めたらルカワさんがいないので心配だったのですが杞憂でした」
との返事があった。
何でもミーナが眠っている時に突如として私からの伝達が入ったそうだ。その伝達の内容を詳しくは覚えていないが暗く冷たい独り言のようなもので、死すら暗示する雰囲気であったらしい。そのためミーナは飛び起きて、横を見れば私がいない、もしやと思って玄関先まで急いで来たのだという。
私は伝達を飛ばした覚えはないし、昨日の話から伝達は基本的に切ってある。そんな状態で私からミーナに伝達が飛ぶはずもない。その旨をミーナに伝えると、
「悪い夢でも見たのだと思います。昨日『あの子』に飲ませすぎたかなぁ」
と、タジタジとした答えが返ってきた。
まあ昨日あれだけ飲んでいれば多少なりとも影響は出るだろう。というか二日酔いにすらなっていないというのが驚きだ。だがミーナの言葉に疑問が残る。
「あはは、確かによく飲んでたもんなあ。しかし『あの子』っていうのはどういうことだ?」
あの時のミーナは確かに性格こそ変わっていたが間違いなくミーナだった。二重人格なのだろうか。そんな疑問が浮かんで来たのである。
「あぁっと、それはですね。ちょっとお話が長くなるので朝食中にお話します。立ち話もなんですし」
と、ミーナは答えた。確かに複雑な事情であるのは間違いないだろう。
私は煙草をしまい、ミントガムを口にして家の中に戻る事にした。
「そう言えば先程ルカワさんから父上と同じような匂いがしました。今もほのかに香っていますが一体何をされていたのです?」
朝食の準備中にミーナから質問があった。私はこの世界にももしや煙草に準ずるものがあるのかと思ったのだが、とりあえずミーナの質問に答えるべくポケットから煙草缶を出し一本の煙草を手に取り、
「コレを吸ってたんだよ。先端に火を付けてそこから出る煙を味わうってものだ。匂いも独特だし元いた世界では嫌う人も多かったから肩身が狭かったなあ」
と、嘆息混じりに教えてあげた。
全く最近の向こうの嫌煙ブームは一体何なのだろうか。もちろん今までの喫煙者のマナーが悪かったのは大問題で同じ喫煙者を名乗って欲しくは無いし、人に気を使うのは独特な匂いのするものを嗜む者にとって非常に重要なことである。
自身の好きなものが必ずしも皆が好きではないのなら、それに配慮するのは当然であろう。だが今の嫌煙ブームは喫煙者の迫害に近い。
喫煙者を全て悪とし共通の敵にしたいのか。このまま行って喫煙者を排除した先は酒やその他の嗜好品へ迫害が及びかねない。なぜそのものを良くないのか、なぜ批判されるのかを考えてから行動しなくてはただ煽られる者になってしまう。
「私はその香り、好きですよ。父上と同じ香りですから。それにルカワさんが外で吸っていたのは肩身の狭さ故の気遣いだったのではないですか」
私のそんな考えが顔に出ていたのかミーナも何かを察したようでこんな風に言ってくれた。
向こうでのことはどうでもいいと思っていても変に気にしてしまうものである。
全く困ったものだ。
私が煙草をしまおうとすると、
「よかったらここで吸ってみて貰えませんか。その香りをもう少し嗅いでみたいんです」
と、ミーナが頼んできた。
好きな香りだと言われた手前、断るのも忍びなかったのでガムを包み紙に吐き出して煙草に火を付ける事にした。
煙を吸い一口優しく、ふうと吐くと、煙は煙草の先から出る紫煙と共に部屋をその重厚でありながら優しげな香り部屋を満たした。私の呑んでいる煙草はいわゆる「重い」煙草である。それ故一口で十分に小さい部屋ならその香りで満たせるのだ。
「ちょっと甘い感じはしますけど父上の香りと似ています。なんだか懐かしいなぁ」
そうミーナはにこやかに、しかし悲しいようにしていた。
自分の好きなものを好きと言ってくれるのは悪い気分ではないし、しばらくこの香りを出して留まらせる事にした。
この香りがミーナの救い、煙が心の隙間を多少なりとも満たすのなら、それは喫煙者冥利につきる。
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