第7話 彼女の痛み、一日の終わり 5/21
ガタゴトと暫く行くとミーナは荷馬車を左へ折れさせた。真っ直ぐ行けばあの村を通る事になる。
ここでミーナの心の内が分からない訳がなかったので、左に折れた事には一切触れず、五十音表の事やら何やらと取り留めのない話を続けた。
「ごめんなさい」
そう呟いてミーナは私の懐にゆっくりと倒れ込んできた。
何に対して、誰に対して「ごめんなさい」なのか、そんなものは考えるまでもない。複雑に入り混じって分からないというものなのだ。
多分ミーナの事だから私に対しても幾許かの「ごめんなさい」を入れているのかもしれない。
「私の事は気にしなくていい。ミーナが精一杯やってるって事はみんな分かってくれてるよ。きっと、ね」
そう言ってあげるより他に私にはなかった。
ミーナは何も言わないまま、眠りについた。荷馬車も止まったが気にしなかった。
ミーナの心の内を考えれば首都まで幾日かかろうがそんなものは些末な問題である。
私は小さな身体を受け止め支える事しか出来なかった。
暫くすると日が陰り、そして今までの陽気には似つかわしくない冷風が吹き込んできた。
ミーナの心の内を表しているのだろうか。せめて天気くらい暖かくしてやってくれ。そうでなくともミーナは限界だろうに。
現に悪夢でも見ているのだろうか少しうなされている。
とにかく冷えてはいけないのでミーナを懐に抱えてブランケットで包んだ。
焼け石に水かもしれないがこれで少しは暖まるといいのだが。
これで少しはマシになったのかうなされ方は落ち着いた。
が、安心したのも束の間、ミーナの呼吸が荒くなり始め、うなされ方も何やらおかしい。とにかく呼び戻してあげないとまずい。私は慌てて、
「ミーナ、どうしたんだ、ミーナ」と呼びかけ、中々起きないミーナに呼びかけ続けた。
暫くしてミーナは目を覚まし、
「私は一体?」と呟いた。
なんとか最悪の事態は免れたらしい。
「目が覚めて良かった。いきなりうなされ始めてね。慌てて呼びかけてたんだ」
うなされていた理由に想像がついていた私はそこに触れない様にして声をかけた。
「あ、私眠ってしまっていたんですね。今動かしますから」
と、言って立ち上がろうとしたのだが身体に力が入っておらず、動けない様子だ。
それでも無理に立ち上がろうとするので、見るに見かねた私は、
「暫く安静にしてる方がいいよ」
と声をかけた。
怪我でもすればそれこそ一大事である。
「でも、これでは時間が」
と、言うので、
「無理をして身体を壊せばもっと時間がかかるだろうし、最悪私が引けばなんとかなるだろうよ」
と、返した。
もちろん私の力ではこの荷馬車を引くなど到底無理である。それでも気休め程度にはなるだろう。
「ルカワさん一人の力ではとても引けませんよ。でも言われてる事はもっともです。少し休ませてもらいますね」
少しばかり明るさが戻った様だ。これで安心である。
「ところで……」
とミーナは切り出し、
「あの、これは一体……」
と恥ずかしそうに言ってきた。
ああ、しまった、うっかりしていた。
今は私がミーナを後ろから懐に抱きかかえてブランケットでくるんでいる状態だ。
「ああ、いや、ミーナが眠った後冷たい風が吹いてきてね。眠ってる姿勢を崩すのも悪いかと思って抱きかかえる形になってしまったんだ。離れた方がいいかな?」
私は阿呆なので素直にこう言った。変に取り繕おうとすればそれはミーナの不安のタネになりかねない。
「そういう事だったんですね。眠っている時も暖かかったのはルカワさんのお陰、でしたか。ありがとうございます」
ミーナはこう言ってくれた。私は本当に厚意でやっているつもりだから感謝されるのは有り難いが、それにしてもミーナの心の闇の大きさを感じてしまう。大丈夫なのか心配だ。
「あの……暫くこうしていてもらえませんか?」
ミーナから頼まれてしまった。断る訳にもいくまい。
私はミーナを抱き直してのんびりと時間の流れに身を任せた。
日から陰りは消え、暖かな日差しが降ってきた。これだけで十分だろう。
暫くすると座りなおす事くらいはできる程度に回復したようで、
「ありがとうございました。そうだ、霊術について簡単なところをお教えしましょう。もしかしたらルカワさんも使えるかもしれません」
そう切り出してきた。確かに霊術については気になる事も多く聞いてみると、
霊術とは簡易に言えば体内または体外の霊気を用いて火、水、風の三属性の内いずれかでも発するというものの様だ。
それから霊術が使えるかどうかは先天的要素が強いらしく、訓練して後天的に習得出来ないでもないがハイコストローリターンなので訓練する人は少ないという。
そして先天的に使えたとしても基本的に一属性しか使えないのだそうだ。
「私は見ての通り先天的に霊術を使える者なのですが、その中でも三属性全てと特殊霊術を使える変わり者なんです。私の家系は代々その傾向にあるのですが特に私は強くそれが出ていて、『霊人』と呼ばれる部類に入るんです」
先程の話で「一属性のみ」というのを聞いてミーナの霊術に疑問があったが、なるほどそういう事情があるのか。
だから光球を浮べたり、真空水球を作れたのかと言うと、その通りだという。
しかし霊人は体外、体内の霊気を自在に操り、三属性を組み合わせ、特殊霊術まで使えるという特性から大昔は争い事にその人の意に反してよく使われたり、或いは破壊的な霊人が猛威をふるった事も多々あったのだという。
「私は争い事が苦手なので霊術はなるべく攻撃的ではない使い方をしているんです」
ミーナはこう言ったが確かに攻撃的ではなく優しいものが多かった。
「さて、ではルカワさんの霊気を調べてみましょうか。ちょっと恥ずかしいですけどこれが一番正確に割り出せるんです」
そう言って私の額にミーナが額を当ててきた。言ってみれば熱を測る時のあれである。
数分間その姿勢でいて、何やら恥ずかしくなってきたところで計測は終わった。
「凄い量の体内霊気です。完璧な計量ではありませんが霊術士の中でもこれは珍しい部類ですね。ただ出口が狭いです」
エネルギーだけが有り余っていて少しずつしか出せない状態ということか。
「属性は風傾向にあります。それと先天的に使えたはずが使っていなかったので使えないという状態です。これもかなり珍しいですね。異世界から来たからかな?」
つまり天賦の才を使わずに腐らせていたということか。
それを聞いて半ば嬉しいやら悲しいやらと思って溜息をつくと、簡単な術なら使えるかもしれないと言われて意表を突かれた。
聞くに「風踏」という術らしく手足の先に風の塊を作り、その塊で地面か空中を押すか蹴るかして、通常より高く跳びあるいは早く走れるというものだそうだ。
ミーナには風属性である事も踏まえて、風にさすらう旅人の様な私にはぴったりだと言ってくれたが、言い換えれば浪人であるし緑色の厭世家ほど知識もなければ格好もよくない私である。
そんな事を考えている内にふと思いついた事があってミーナに聞いてみた。
「なあ、私の霊気をミーナに渡すことはできないのか?」
何せ荷馬車を動かしているのはミーナであって、私はそこにタダ乗りしている訳だから運賃代わりにでもと思ったのである。
「うーん、出来ないことはないですし出口を開くきっかけにもなるので悪くはないのですが」
そう前置きして、
「ルカワさんは今まで霊気を使った事がないようですし、私の方へ霊気を引っ張り込むと霊気圧の差の影響で慣れるまで変な気分になりますよ」
と、言った。
私はどっちにしろ出口を開くつもりでいたし変な気分になるのは仕方がない、それになによりも力になれるのにタダ乗りという方が色々と気分が悪いので、それでもやってみてほしいと言うと、
「それでは手を出して下さい。私が手を繋ぐとそれが霊気渡しになります。では、いきますよ」
そう言われたと同時に身体の中の何かが急速にミーナの方へ流れていくのがわかった。妙にふんわりとした感覚に呆けていると、ミーナが慌てて、
「あっ、ごめんなさい。やっぱり最初は霊気圧の加減で多量に持っていってしまいました。ちょっと戻しますね」
と、言うのが聞こえて今度は何かが戻ってくるのを感じた。
少しだけミーナの霊気も入っているのか前とは違う感覚もあるが悪くはない。
「今から少しずつ調整しますね」
その声がして、荷馬車が進み始め霊気の受け渡しが行われていった。
悪い感覚ではない、むしろ心地よいくらいだ。
夜、私は猛烈な酔いに襲われた。二日酔いを異常なまでに引き上げた様な、車酔いに更なる回転を加えた様なそんな気持ち悪さだ。
吐き気が凄まじく夕食を食べる気すら起きないのである。胃腸風邪の時の吐き気よりも酷い。
実際キャンプの設置はミーナに全て任せてしまった。
本当に情けない限りであるが立ち上がろうものなら転げるし、そもそも座る事すら出来ず横になっているより他ないのだ。
ミーナ曰く、私の霊気量の多さの影響で霊気の出し入れのコントロールがうまく行かず出し入れ回数が多くなり結果としてこの酔いを引き起こった、との事だ。
ミーナは申し訳なさそうにしていたが私が言い出してやったことなので、
「とにかくミーナが元気ならそれでいい」
と、だけ言ったところで意識が切れた。
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