第3話 重要な事とある意味重要な事 5/20

 そうこうしている内に荷も大方積めた様で明日に少々の荷と燃石を載せれば昼には出発できる、との事だ。

 とりあえず作業を切り上げて一息、といきたかったのだが問題が一つ脳裏によぎった。しかもかなり重要な問題だ。

 それは、

「旅の途中の風呂をどうするか」

 という極めて重要かつ難しいものである。風呂はとても大切だ。

 川を風呂代わりに出来ないでもないが禊でもあるまいし、冷たい水では疲れも取れない、何より人目があっては困る。

 私は人目などどうでも良いが彼女は別だ、大問題である。それに行く先々に川があるという保証すらない。


 この大問題を彼女に伝えるとハッとした様子で、一日ならなんとかなるが七日間は無理だと困ってしまった。

 流石に私もなんとか出来ないか、何かないかと辺りを見回し、ドラム缶でもあればなんとかなるのにと思った矢先、目が大樽を捉えた。

 この大樽、ドラム缶よりも遥かに快適な風呂になりそうだったが見た目通り木製であり風呂にするには少々大きな設備が必要そうだった。これでは荷馬車が重くなりすぎてしまう。

 どうしようかと考えていると先の燃石がとても熱かったのを思い出し、燃石を水に入れ湯に出来れば大掛かりな設備は不要だと思いついた。

 これを彼女に聞いてみると、その手があったかと返ってきた。私が言うまで思いつかなかったらしい。

「今日の夜、試してみましょう。上手くいったら大樽を持っていく、という事で」

 と、少し楽しげにしていた。

 大変な旅になるかもしれないがこういう楽しみがあるのもまた事実だろう。

 とにかく樽風呂の準備をする事にした。準備は至ってシンプルで大樽を綺麗に洗い、目隠しの幕を作るだけなのですぐに終わった。

 この幕は金属の支柱を三角形の頂点になるように三本地面に刺し、三角形の内側に大樽を置き、支柱を繋ぐように幕を渡すだけの単純構造である。

 複雑な物は片付けるのも組み立てるのも骨なのだ。


 大樽の準備も終わり、日が西の方へ行き始めたあたりで彼女と一息ついていると、当然ではあるが突然にその質問が飛んできた。

「ところで貴方は何処からいらしたのですか?」

 これを今の今で聞いてくるか。

 確かに昨日の事を考えれば聞き忘れていても仕方がない、とは言えるがそれにしても聞いてくるのが遅すぎる。

 このまま聞かずに旅の同行を許したというなら彼女は相当なお人好しか疑う事を知らないのではないのか。

 今の今まで言うのを忘れていた私は更にどうかと思うが。

 ともかくもどう応えるか迷った挙句、阿呆な私はここに来てから感じた事、つまりここが私にとって知らぬ世界、つまり「異世界」である、という事を正直に伝えた。

 こんな事をするあたり私も人の事が言えたものではない。それもその筈、目の前の人間が「異世界から来た」などと言えばそれは余りにも荒唐無稽な話であって、怪しさしかないのである。

 私は彼女に怪しまれ突き放されても文句は言わないし食い下がるつもりもない。私は彼女に恩は有れども私が彼女に恩を売った覚えはないので文句も食い下がりも無い、それだけである。

「すみません。こんな話は信じられないでしょう。すぐに立ち去りますから」

 そう言って彼女の元を去ろうとしたのだが、信じられない言葉が彼女から出た。

「貴方の世界はどんな世界なのですか? きっと素敵な世界なのでしょう? 貴方の様な人がいらっしゃるのですから」

 彼女の顔には優しい笑顔があった。呆気にとられた私は間をおいて、

「怪しくは思わないのですか? 私の言った事は」

 と、言いかけた所で、

「だって貴方からは嘘を言っている気配がしないのです。それに怪しい人が自分を怪しく思わないかなんて聞かないでしょう?」

 と、遮る様に言われた。

「嘘の気配を感じない」というのは疑問だが後者に関しては納得出来る節もある。

「貴方が何処からいらしたのかはわかりました。そろそろ夕食の時間帯です。ご飯にしましょうか」

 彼女は人が良すぎないか。その人の良さに半ば呆れて少々頭を抱えていると、

「考え事や細かい事は夕食の後にしましょう。先ずは貴方のお腹の虫の文句を聞いてあげませんと」

 と、言われてしまった。見事に一本取られてしまった様である。

 彼女に肩透かしを食らわされた私は言われるままに夕食にする事にした。

 彼女の言う通り腹の虫はこんな時でも文句を言ってくる。


 今晩の夕食は彼女が作ってくれると言うのでお任せする事にした。どんな形であれ人に作って貰った食事というのは大概美味しく感じるものである。

 何か手伝えるかと聞くと、

「お疲れでしょうから休憩なさって下さい。その間、貴方の世界の事、それからこの世界について分からない事があれば食事の時に言って下さいね」

 そうにこやかに返してくれた。

 彼女がキッチンに向かった後、私は玄関口のソファに腰掛けて色々と考えた。 

 先ず持ってこの世界については分からない事が多すぎる。いや分かる事はほぼ無いと言っていい。

 暦、時間、何かしらのモノを測る単位などもそうだが、何よりも文字が全く読めなかった。現状は言葉が伝わる、ここの缶切りは向こうとほぼ同じ、物の名称が向こうと被る物がそれなりにある、と言った事くらいか。

 となればこの世界で「XX」と呼ばれる物体が向こうで「YY」と呼ぶ物体と同一か酷似する場合に、「この『XX』は向こうで『YY』と呼ぶ」といった程度の事くらいしか出来ないか。

 柄にもなく考えを巡らせ、阿呆な結論に至ったり何だったりしていると頭が煮詰まってきてどうにも考えがまとまらない。

 もうこれ以上は考えられない、と思った所で彼女から食事の準備が出来たと声がかかった。考え事をしていた内は黙っていた腹の虫がまた文句を言い始めた。


 簡単な物しか用意出来なかった、と彼女は言ったがとてもこの短時間で用意したとは思えない程に美味しそうな食事が並んでいた。

 腹の虫の機嫌も相まっていきなりがっつきそうになったがそれは失礼なので一言礼を述べてから「いただきます」といつも通りに言って食事を始める事にした。

 食べ進めてからの結論を言うと、どれもこれも本当に美味しくて堪らなかった。そのせいかやはり半分無意識的に少々がっついた様でむせてしまった。そんな私を見て、

「急がなくても食事は逃げませんよ。でもそこまで美味しそうに食べて頂けると嬉しいです」

 と、嬉しそうに彼女は言ってくれた。なんだか恥ずかしくなった私は、

「いやあ、申し訳ない。でも本当に美味しいです」

 と、苦笑混じりに応えた。


 食事も一段落、と言った所で彼女から私の言う「いただきます」とはどういう意味なのかと質問された。

 朝から気になっていたらしい。向こうでもこんなやり取りはよくある事なのであまり驚きもせず、これには食物の命への感謝が大本であるとされ、作り手への感謝の意味も入っていると答えた。

 そうすると「ごちそうさま」というのも同じ様な意味なのかとも聞かれたので、まあそんな所だと答えると彼女は手帳に何やら書き込み始めた。

 私が訝しげにしていると彼女は手帳を見せて、

「この文字、読めますか」

 と、聞いてきた。

 勿論さっぱり読めない訳だが見た限り六文字であるという事と、先程の話からしてあの二言だと思い、文字は読めないが「いただきます」と「ごちそうさま」ではないかと答えた。

 そうすると彼女は意味ありげな笑みを浮べ、その通りです、と返してきた。

 私がその笑みに少し困惑していると、彼女は朝の時点で私が文字を読むことが出来ないというのは薄々分かっていたのだと言ってきた。私は驚きも感じて何故分かったのかと聞くと、

「文字が読めるのなら大抵あの缶詰に多少なりとも驚きますからね」

 と、返事があった。

 何でもあの缶詰はこの辺りでしか作られていない、言わばご当地限定品で、しかもちょっとしたゲテモノで有名なのだという。

 しかし私はそれに驚かなかったのだから文字が読めていないと感じたのだそうだ。

 確かにあの缶詰は独特の匂いはしたもののそこまで嫌なものでは無かったと思ったのだが、あの缶詰の匂いで嫌な顔一つしなかったあたり貴方もかなりの物好きなのかもしれない、と彼女はからかってきた。

 匂いは確かに独特だったが向こうの私がいた国ではそこまで嫌われるものではなかったと伝えると、

「ではお土産として持って帰って貰ってもご迷惑にはならないのですね。良かったです」

 そうおかしげに返されてしまった。

 彼女の観察眼の凄さには驚いたが真面目なだけでなく面白い事も言えるという方が驚きだ。平たく言えば真面目だが可愛げもあると言ったところか。

 そんな風に思っていると、とにかくも私が文字を読めない事はあの二単語ではっきりした、と言っても正直な貴方の事だから何を見せても読めないと言った筈、との事らしい。

 そしてもう一度手帳を見せてきた。

「この単語は左から読み、六文字で構成されています。上が『いただきます』、下が『ごちそうさま』を示しているので、これに合わせる様に貴方の世界の文字を当てはめればこの世界の文字が読める様になる筈です」

 なるほど確かにこれならば話が早い、文字の形こそ違うがひらがなをほぼそのまま当てはめられそうだ。

 それにこの方法なら彼女も私の世界の文字を知ることが出来ると彼女は付け加えた。

「全てを一度にというのは難しいですが、ゆっくりやっていけば大丈夫です。時間はたっぷりありますから」

 そう言って彼女は微笑んだ。

 どうやら私が考えていた事は考えるだけ無駄だった、というより一気にやる必要も無かったというべきか。

 どれだけ考えた所で所詮私程度の頭では一つずつしか出来ないのだから。

 彼女と話していればその内違いも分かって来るだろうし、言葉が通じるのだから物の名前や意味などその時々で擦り合わせればいいのだ。

 そう思うあたり私に呑気さが戻った様である。

 あれこれと難しい事に頭を使うのは骨だ。


 この後先程の、いただきます、ごちそうさまという単語は意味も言葉も使い方も向こうのそれとそっくりそのままである事を教えられた。つまり私はこの単語で彼女に試されたということだ。思い返せば朝も昼も夕も食事の前後に彼女は言っていたではないか。それに気が付かずまんまと彼女に踊らされたのである。

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