第48話 美術館
向かった美術館は、堂嶋さんのアトリエから歩いてすぐの場所にある小さな美術館だった。商業ビルの6階にある。美術館と言うよりは画廊と言った規模だったが、こんなに近くにあるなんて知りもしなかった。おそらくこの場所にしたのはきっとその日、そこで開催されたイベントが料理をテーマにした絵画展だったからだろう。その日は料理をテーマにした新進気鋭の作家たちの作品と、ゴヤの贋作展だった。。展示されているものはほとんどが油彩画で、あたしは油彩画と言うものを間近でちゃんと見るのは初めてだった。思えばよく行く病院のロビーだったり、ちょっと高級なレストランの壁であったりと、あるにはあったはずなのに、わざわざ近づいてじっくり見ることを今までしなかったのはなぜだろうと思い知らされた。油彩画と言うものは、近くで見ると意外と立体なのだ。絵は二次元だと思っていたのは美術の教科書の中の絵しか見たことがなかったせいで、近づいてみるとこれが意外と立体的だ。確かに飛び出してきそうと言えば飛び出してきそう。
中でもあたしの興味を一番に引きつけた絵は、写実的な技法で描かれた絵画で、横幅150㎝くらいある大きな絵で、右下にいる翼の生えた子供、おそらく天使だろうが、彼の放つ弓矢が次々と逃げ惑う人間たちを射抜いている姿が描かれ、その背面では悪魔たちが、天使の仕留めた人間を鍋で茹でたり、燃え盛る炎であぶったり、巨大なナイフとフォーク(いや、これはきっと鉈だ)で食べたりしているという絵だ。その凄惨な絵に思わず見惚れてしまったが、しばらく見ているうちにいくつかどうしても気になる部分が出てきた。隣で見ていた堂嶋さんも、おおよそあたしと同じ意見を持っていたようだ。
「この悪魔、人肉調理の資格は持っていないな」
「はい。いくらなんでも調理法が雑すぎです。この、悪魔が食べている肉だって、明らかに焼きがあまい色ですよ。それに、人間を下茹で無しで煮るなんて、きっと灰汁がすごいです」
「そうだな、それにこの炎であぶっている人間だが、こんな激しい炎であぶったところで、表面が真っ黒に焦げるだけでほとんど熱が入らないな。もっと食材は大切に扱うべきだ」と、堂島さんも少しばかり怒っている様子だった。
「よし、せっかくだからこっちも見て行こう」
堂嶋さんはあたしより、少しだけ浮かれ気味で隣の展示室の方へと移動する。ゴヤの贋作展が開かれている。
「贋作展って、ニセモノ……ってことですよね?」
「レプリカ、と言った方がいいのかな。絵の構図を考え、最初に描いたのはゴヤかもしれないが、その絵を見て、その絵そっくりに描いた、本物の贋作だ。モチーフだけを真似たオマージュと言うものもあるけれど、贋作の方がオリジナルの書き手であるゴヤに対する敬意はより強く感じるかもしれないな」
「でも、ニセモノなんですよね?」
「それを言えば、料理のほとんどはニセモノってことになるんじゃないか? 今ある料理のほとんどは先人である誰かが考案したもので、僕達料理人はそのレプリカやオマージュをつくり続けているに過ぎない。それら先人のすべてが料理の世界における偉大な芸術家だと言っていい。アントナン・カレームの言った『新たな料理法を見つけることは、新たな星を見つけることより有意義だ』と言う言葉にはうなずける」
「そう言われてみれば、たしかに料理は芸術の一つと言えるかもしれませんね。欧米なんかでは有名な料理人はそれなりに芸術家として優遇を受けているみたいですけど、有名なコックの名前ってそれほど残っているわけでもないし、料理を作って受け取る金額は他の芸術家のようにとんでもない金額になったりしないんですよね。料理に著作権があるわけでもないし……」
「まあ、すべての芸術家に対しても言えることかもしれないけれど、料理人の発明はお金を儲けることが目的じゃないよ。より多くの人にその味を知ってもらうということだ。小説家が多くの印税を受け取ることを目的で書いているのではなく、より多くの人に読んでもらいたいと思っているのと同じようにね。結果として、その料理が高額で取引されないのは、料理と言う存在が後に残せない、その場限りの芸術だからだよ。一度つくり、一度食べてしまえばそれで終わり、楽譜も原稿も、その作品さえも後の世代へ残すことはできない。だから料理人は同じ作品を何度も何度も繰り返し作り続けなくてはならない。そのために技術が必要だ」
「……はい。身につまされます」
くだらない会話をなるべく小さな声で囁き合いながら、ゴヤの贋作を見て回る行為は、その作者に対して少しばかり失礼なことなのかもしれない。コックがつくった料理が、冷めていくのを気にせずにおしゃべりばかりに華を咲かせる人たちと同じ行為かもしれないと考えれば、少し心が痛む。
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