第34話 脱献孤児問題


――そういえば……帰っていないな。あたしの実家ともいえる場所……

今頃ママ(孤児院の寮母をそう呼んでいた)はどうしているだろうかと気にかかることはある。しかし、別れ際が別れ際だけに今更会いに帰るというのは少しばかり気まずい。元々血もつながっていなければ、自分の本籍がそこにあるわけでもない。だからその孤児院はただ単にあたしが子供のころに過ごした場所でしかない。書類の上では……


中学、高校と思春期の頃、あたしはやはり普通の家庭の子と同じように、ちょっとした反抗期を迎えてしまった。今になってみればいったい何が原因だったのかもよくわからないけれど、とにかくあたしはママと何かにつけて対立するようになっていた。最終的にはほとんど口もきかなくなり、高校を卒業すると同時に飛び出してきた。

今から考えてみれば自分は本当に子供だったんだと思う。つまらないことでいちいちママにあたって、暴言を繰り返していた……ように思う。今なら素直に謝ることができるかもしれない。けれど……やはりなんだか気まずいという気持ちもある……


「ごちそうさまでした」

 と、一人考え込んでいるあたしをよそに、菊池さんと斉藤さんはいつの間にかオムライスを平らげていた。

「さすがは人肉調理師ですね。やっぱわたしたちとはレベルが違います!」

「そんな、ほめ過ぎよ。このぐらいすぐにつくれるようになるわ」

「……じゃあ、また今度つくり方教えてください。きっとカレシに作ってあげると喜ぶと思うんですよね。わたしのカレシ、オムライス好きなんで!」

「そうね、きっと喜ぶと思うわ。きっと菊池さんがつくったら、あたしなんかよりもよっぽど喜ぶと思うわ。だって、料理は愛情っていうものね」

「ですよね。でも、それプロを目指すわたし達が言うのはずるいかもです。なんだか〝愛情〟という言葉に逃げて、努力を怠っているみたいですもん。

 あ、別に牧瀬せんぱいが努力してないっていう意味でゃないですよ。わたしたちなんかよりもすごい努力してきたの知ってますから! ただ、やっぱ好きな人のために料理を作る方がやる気でますけどね。美味しいものを食べてもらおうって思うからこそ努力も辞さないってキライはあります。そういう意味で、料理は愛情なのかもしれないです」

 そんなことを言いながら菊池さん達は部屋に戻って行った。午後からどこかに出かけるらしい。

 あたしも午後から出かけよう……

 せっかくだから、一度あの孤児院に帰ってみることにしようと思う。せっかくコックになったのだから、みんなにあたしの作った料理を食べてもらうというのもいいかもしれない。ともかく、帰るなら帰るで何らかの口実くらいは作っておかなければならなかった。


 昼過ぎに寮を出て、老舗の和菓子屋で手土産を買う。ちょっとした高級品だがそこは仕方がない。少なくとも今はお給料をもらったばかりで金銭的にはいくらか余裕がある。思えばこれが初任給で買ったはじめての品物かもしれない。世間一般で、初任給で親になにかをプレゼントするという話を聞いたことがあるが、自分のこの手土産こそが正にそれなのかもしれないと思い当たる。実際には血のつながった親ではないし、それが老舗和菓子屋のおやつというのもどうかと言いたいところではあるが、あたしの職業が〝食べ物〟にまつわる職業なだけに、これはこれでおあつらえ向きかもしれない。

 電車とバスを乗り継いで二時間とちょっと。乱立するビル群はもうどこにも見当たらず、代わりにあたり一面の田畑が広がる。わずかな市街地も今となっては随分と荒廃が進み、ほとんどゴーストタウンと化している。食人法以来、都市部を除いた地域は急激な人口減少に移行し、地方自治体の運営は立ちいかなくなっていった。関東平野大部分は替わりに人のいなくなった土地を農地化して、大規模農法で食料生産を開始し、食料自給率を上げることに成功した。かつて食糧生産国として国益をあげていたアジア諸国は世界規模の食糧価格の高騰で利益を上げるようになっており、この大規模農法が日本国内の台所事情を支えてくれたと言っていい。

 しかし、働き手の少ない現状での大規模農法はその作業の多くを機械に頼り、効率化するしかなかったため、作物の品質は低下させてしまった。

 バスを降りて幼少期を過ごした街並みを歩く。数年ぶりに訪れる町並みではあったが、自分が知っている町よりもまた更にすたれているのがわかる。そして街並みを少し外れたところに見えてくる建物〝家族庭園 橘〟。あたしが育った孤児院だ。

 孤児院とはいえ、正確に言うなら孤児院でも何でもない。本来孤児院とは、昭和7年に救護法において設立された孤児を預かる施設のことを指し、のちに児童福祉法によって児童養護施設となった。しかし、孤児のほとんどいなくなった近代で児童養護施設は実質として親の虐待や生活困窮を理由に一時的に児童を預かる場所としての役割が多くなった。そして食人法設立以来、子供の数は劇的に減り、その施設の必然的に閉鎖されていくようになった。しかしその一方で、別の問題が浮上し始めた。脱献孤児の問題だ。

 政府は人手が足りないことを理由にすぐにこれに対応することもせず、脱献孤児の数は増えていく一方だった。

 そんな中、日本のあちこちでそういった子供の里親を名乗り出てくる親もまた増えてきた。〝自分が産まなければ献体する必要もない〟里親制度は、また新たな家族の形でもあった。中でも特に多くの子供をまとめて里親になる者もおり、そういった施設を俗語で〝孤児院〟という言い方をするようになった。

 あたしの育った〝家族庭園 橘〟もそんなひとつで、あたしが小さいころには実に20人近くもの里親となっていた。

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