第29話 これも親子丼
「ですが、まだもうひとつ、大きな問題が……」
「な、なにが……」
「彼女を引き取るにもあなたには定職というものがない。ちゃんと収入もないような方が子供を引き取ることは法律で認められません……」
「そ、それを言われるとな……」
「そこで……」と、堂嶋さんはさらに鞄から一枚のチラシを取り出した。カラーで印刷された華やかなチラシだ。どこかのレストランのものらしく、きらびやかな料理やケーキの写真が並んでいる。「こちらのお店で調理師を募集しています。私の知りあいが経営しているお店でとても信頼できるレストランです。どうでしょう? こちらで働いていただけるようなら、美沙ちゃんの身元引き受けの後見人にもなってくれるとのことですが……」
「まったく。あんたという人はどこまで…… まあ、いいさ。どうせ断る理由もない。俺がこうしてニートやる意味さえなくなっちまったんだし、ちゃんと仕事しなくちゃあな。それに、俺もあんたみたいになりたい……そう思ったよ。だから、コックになるというのもアリちゃあ、アリかな……」
「ありがとうございます……」
と、話は全て一件落着。まるで蚊帳の外だったあたしは最後に捨て台詞……くらいはさせてもらいたかった。
「あ、瓜生さん。ひとつだけいいですか?」
「うん? なに?」
「あたしは瓜生さんよりも年上なわけですし、瓜生さんがコックになるというのならあたしは先輩になるわけです。だから次に会う時は……敬語でお願いしますね」
「……はい。すいません」
そして一通りの片づけを終えて、あたしたちは玄関先に立つ。堂嶋さんが腰を折り、最後に別れの挨拶をする。
「――それでは、瓜生家にこれから先の、さらなる繁栄があらんことを」
帰り道の電車の中、あたしと堂嶋さんは並んで座り、空いた電車の中で静かにゆられていた。駅に着くなりちょうど到着した電車に飛び乗り、そういえば昼からろくに食べていなかったことを思いだしたが、今更もう遅い。すきっ腹にワインを流し込んだせいで少しばかり酔いが回り足取りも重く、あたしたちは倒れ込むように座席についたのだ。
窓の外はすっかり暗く、ながめてもあまり景色が見えない。窓に映るのはあたし達の電車の中の風景ばかりだ。窓に映るあたしたちの背景に、色とりどりの街のネオンが映りこむ。
窓の中のそんなあたしたちの姿を自分で見つめ、この二人の姿は周りから見てはたして恋人同士に見えるのだろうかなんてことを考えてみる。
――いや、やっぱりどうにもそうは見えないと結論づいた後、少しだけふたりの間の空間を詰めてみる。
そんなタイミングで、ぐうぅぅぅぅとお腹が鳴り、頬を赤く染めて隣に座る人の様子を見上げてみる。そんな時に気の利いた言葉の一つでもかけられるような男じゃないことくらい知っている。恥ずかしさを紛らわせるために急いで何か話題を捜す。
「そう言えば堂嶋さん……」せっかくのこんな機会だし、どうしても理解できないことを聞いてみることにした。「なんで亜由美さんはそうまでして、美沙ちゃんのことを隠し続けたんでしょうか? そりゃあたしかに旦那さんに内緒にしていたので、っていうのはわかるんですけど、旦那さんがなくなったのってもう、八年も前のことでしょ。どこかで照実さんに打ち明けてもよさそうなものなのに……」
「どうだろうな…… 僕には女心というものはよくわからない。そこにどういう意味合いがあったのか…… それは香里奈君の方がわかるんじゃないかな」
「うーん……女心……ですか……」
――正直、そうは言われてもあたしは女心だとか、愛だとか恋というものがよくわからない。それはもしかするとあたしに両親がいないということに原因があるのかもしれない。両親の愛を受けて育っていないからそういうことがわからない……のかもしれない。
瓜生さんは亜由美さんに対して、母親としてではなく、女性としての愛を感じていた。その二つの違いは一体何なのだろう。あたしにはそれがわからない……
と、そこであたしはふとしたことに気づいてしまう。
「堂嶋さん、よくよく考えてみればこれって、逆親子どんぶりですよね? 瓜生親子は二人して亜由美さんのことを愛していた……」
「そう言えなくもないかな……でも、実はそれだけじゃあない。あのスナックで僕が聞いた限りの話では、どうやら亜由美さんの方も照実さんに対して親子とは別の好意を持っていたらしい。もしかするとそれは成長するにつれて、愛する旦那さんの面影を見出すことに過ぎない代替行為なのかもしれないが、その気持ちが確かに存在し、照実さんとどう接していいのか戸惑っていたという話だ。あるいはその想いがあるからこそ、二人の生活の間に、娘の美沙ちゃんにはいってきてほしくなかったのかもしれない」
「なんですかそれは? それじゃあまるっきり親子どんぶり、ってことじゃないですか……
あ、もしかして瓜生さんが美沙ちゃんを引き取るなんて言い出したのも、もしかしてまだ幼い美沙ちゃんに亜由美さんの姿を見出していたのかも……親子どんぶりのお替りっていうことですね……」
「あ……お、親子……どんぶり……」
と、堂嶋さんは何かを思い出したようにつぶやいた。
「なんですか?」
「い、いや、そういえば……言い忘れていたなと思って……
昨日の親子どんぶりのことなんだけどね」
「あ、は、はい……」
「たとえばもう少し鶏肉を大きく切って、それに切れ目を入れておく。それを軽く煮ることでもう少し触感のメリハリが出せると思う……」
「あ、は、はい……」
「それ以外は……まあ、とても、いい出来だった……と、思う」
「あ、ありがとうございます……」
「そ、それと……」
「ま、まだ何かあるんですか?」
「い、いや、そういうわけではないんだが…… そ、その……悪かったな……せっかくの料理を冷めるまで食べてやれなかったこと……」
「……そんなこと……気にしなくていいですよ……」
「あ、ああ……」
そして、再び堂嶋さんは朴訥に黙り込んでしまった。揺れる電車の中で、無言のまま時間は過ぎていく。
すきっ腹に飲んだワインのせいか、少しばかり眠くなってきた。重くなった頭を少し傾けたら、ちょうどそこにいいかんじの枕代わりの何かがあった。こんなことをしたら堂嶋さんは怒るだろうか。まあ、その時はその時で酔ったせいにすればいい。
目を閉じて、少しだけ夢を見ることにする……
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