殺人を正当化するために用いられるカルト用語

雪村穂高

殺人を正当化するために用いられるカルト用語

 ある晩秋の深更。まだ硬さの残る制服に身を包んだ若い刑務官の男は、拘置所内に1つだけ存在する野ざらしの檻へと近寄った。その中に収容されているひとりの死刑囚に会うためだった。




***




 20XX年。A国では数年ぶりに死刑が執行されようとしていた。


 その死刑囚は新興宗教団体の教祖だったが、本人は医師を名乗っていた。罪状は数百件の殺人事件への関与。いずれも幼い子どもばかりが犠牲になった。


 逮捕当初から国民はその残虐極まりない事件に関心を寄せ、世論はその男を早々と葬り去ることを望んだ。だが実際には、その殺人犯が逮捕されてから死刑が決定されるまでには5年以上の歳月がかかった。その間には何度も裁判が行われ、男はその度に整合の取れない供述を繰り返した。検察や弁護士、裁判官らには、彼が無罪を主張しているのか、容疑を認めているのかすら理解することができなかった。


 結局、裁判によって十分な収穫は得られないまま、当然のように死刑は確定した。世論がこれ以上の死刑執行の引き延ばしを許さなかった。彼の精神状態を正常であると認めた精神鑑定の結果は、実は世論が彼を死刑にするために作り出した結果なのかもしれない。そもそも数百件の殺人を行ったカルト団体の長が、正常な精神を持っているはずがないのだ。


 死刑が確定したことを受けた男は「最期の一夜は空の下で過ごしたい」と歎願し、拘置所長の一存によりそれが叶えられえた。こうしてその男は普段は使われていない野外の檻へと移送させられたのだった。




***




 時刻は零時を回っていた。所内に灯りはない。濁った色の弦月だけが檻へと続く砂利道をぼんやりと浮かび上がらせている。


 しかしその日、刑務官である若い男を夜闇へ誘ったのは月ではない。犯人は彼の内に潜む純粋な好奇心と高慢な自己顕示欲だった。


 その刑務官は数年前まで優秀な法学部生であり、一時期は弁護士を志していた。その道からは少しそれたものの、彼は2年前に公務員試験を突破し、今は拘置所内を職場としている。


 それなりに苦労して手に入れた安定した職だ。だが刑務官の単調な仕事では、彼の知識欲と自己顕示欲を満たすには不十分だった。彼は自身の能力を顕す機会に飢えていた。そうした彼のストレスを発散させるのに適した人物がこの日、野外の檻にいた。


 足を踏み出すたびに腰に付けた鍵がじゃらじゃらと音をたてる。その音にも構わず、彼は大股で歩いた。常軌を逸した大量殺人者との対話。そしてその者を口で言い負かすことが適度なスリルを与えてくれるだろう。若い刑務官は期待に胸を膨らまていた。


 堂々と檻の正面に立つ。それは動物園でライオンを入れとくような檻だった。だが、中に入っているものはライオンよりも遥かに未知で、興味をそそる動物だ。


 濃い闇の向こうにいる死刑囚が目に入った。橙色のつなぎを着た50歳前後の男だ。彼はパイプ椅子に座り、後ろに回されている手には手錠が嵌められているはずだ。檻と手錠の鍵は刑務官の腰についている。明日、刑場にこいつを連行するのは、この若い職員の役目なのだ。


 刑務官が足音を立てて近づいても、男は身動き一つしない。寝ているのだろうか?


「おい」


 刑務官がぞんざいに声を放る。


「起きろ」


 声に反応し、死刑囚が顔を上げた。


 目はうつろだ。口の回りに髭が伸び放題になっており、その髭によだれがかかっていた。刑務官は汚らしいと思うと同時に、その汚らしさにどこか満足した。


「お前、明日死刑になるんだってな」


 死刑囚は言葉を返さない。だが、無反応というわけでもなかった。目を瞑り、口を半開きにしたまま頭を前後に振り始めたのだ。念仏を唱えるかのような小さな声で、教団内で殺人を正当化するために用いられていたカルト用語を何度も呟いている。


 刑務官はそれに得も言われぬ高揚感を感じた。間違いなくこの目の前の不潔な男は、自分がこれまでに出会ったこともない狂人なのだと確信を得たのだ。


「自分がなんで死刑になるか、わかってるか?」


 死刑囚は変わらず頭を振り続ける。栄養の足りていない細い髪がばさばさと翻り、大量のフケが散った。


「おい、死刑になる理由がわかってるのか?」


 根気強く、刑務官は同じ質問を重ねた。死刑囚はなおもそれに答えず、頭を前後に振り続けている。


「おい!」


 怒号が響いた。


 死刑囚はびくりと体を震わせ、やかましい頭の動きを制止させた。


「お前、いったい今までに何百人殺したんだ?」


 田舎の拘置所は静かだ。夏は虫がうるさいが、今の季節はたまに遠くで鳥の声が聞こえるだけだ。


「……私は人を殺していない」


 再び死刑囚が顔を上げた。先ほどのような混濁した瞳ではない。この期に及んで、にわかに理性が戻ってきたようだ。


「へえ」


 刑務官は、やっぱりここへ来て正解だと感じた。こんな面白い経験は普段の仕事では得られない。


「だが実際にお前が殺人を行った証拠はそろっている。だからお前は再三の裁判で負け続け、世論はお前をこの世から消し去ることを望んでいるんだ」


「違う。私のやったことは殺人ではない。望まれない命を神様のもとへお返しするのを手伝っただけだ」


 刑務官はそこでついに我慢ができなくなった。大きな笑い声が夜のしじまに響く。


「それそれ。それが聞きたかったんだよ」


 刑務官はもう愉快でたまらなかった。それでいて殺人を己の責務としたハムレットを気取ったような、この卑劣なシリアルキラーのことを心の底から蔑んだ。


「望まれない命を神様のもとへお返しする」という文句は目の前の死刑囚が教祖を務めるカルト団体の中で頻出する言い回しだった。テレビのニュース番組でも何度も取り上げられた。そして「望まれない命を神様のもとへお返しする」一連の行為を、カルト内ではある用語を使って表現していた。


「そうやってこの世に生を授かったばかりの子どもばかり、数百人の命をお前は平気な顔をして奪ってきたんだ。いくら違う言葉を使ってその行為を正当化しようとしたって殺人は殺人だよ。人間の命を奪ったんだ。それも老人ではなく、まだほんの幼い子どもをだ。金具で小さな身体をずたずたに殴り殺したんだ。残虐な手口だ。反吐が出る。殺人という言葉の代わりにカルト用語を使ったところでお前のやったことは何一つ変わらないんだよ」


「カルト用語ではない。医学用語であり、救いのための行為だ」


 そこで刑務官は、この汚らしい新興宗教の教祖が医師を自称していたことを思い出した。


「人を殺すことが医学なのか?」


「ある意味では、そうだ」


 刑務官は笑顔のまま首を振った。


「すげーな。本当に理解できないや」


「私には、君たちの論理が理解できない」


 若い刑務官から笑顔が消えた。


「なんだって?」


「百歩譲って私が人を殺したのだとしよう。すべて周りから頼まれて、やむを得ず行ったことだ。そして君たちは、それを実行した本人である私だけを非難する。殺人を私に依頼してきた者たちは、すべて私に騙されていたと見做して」


「そうとしか考えられないだろう。自分の子どもを殺してくれなんて、どこの親が頼むんだ。それも殺してもらうために高い金まで払っているらしいじゃないか。これは宗教的な洗脳としか思えない」


「洗脳ではない。親にとってのメリットがあったから、彼らは自分の子どもを私に殺させたんだ」


 メリット?


「メリットだと?」


 教祖がこっくりと頷いた。夜にみる彼のこけた頬は何よりも不気味に映った。


「そうだ」


「それは――」


 若い刑務官の声音は怒りと恐怖に震えた。


「それは自分の子どもをお前に殺させることによって、自分の子どもよりも価値のある対価を得られると、その親たちは考えていたってことか?」


 死刑囚は鷹揚に頷く。


「ふざけるな! 自分の子どもの命以上に価値のあるものが、この世にあってたまるか!」


「君は幸せな家庭に育ったんだね。だから君には一生理解できないかもしれない。でもそれは真実だ」


 若い刑務官は、飲み込めないサイズのものを無理やり飲み込もうと努めた。無論、それは無謀な試みだった。死刑囚の言った通りそれは刑務官には一生理解できない類の思想だった。


「私のことを殺人者と呼ぶのはわかる。もちろんこれまでに説明した通り、私にはそれが正しい行いであったと認識しているがね。必要悪だ」


 若い刑務官に言葉を挟む余裕はなかった。現在の彼の脳内にはこれまで入ったことのないタイプの思想が入り込み、これまで彼の培ってきた常識とクラッシュしている最中であった。


「人殺しが憎いのは、私にも理解できる。しかし、なぜ君たちは私を殺したがるのだ? 他人の願いを受け入れて人を殺した私と、世論を受けて私を殺す君たちの間に、いったいどんな違いがあるというんだ? それは君たちが何よりも憎む人殺しに、自らもなろうとしているのではないか?」


「……法律がこちらにあるからだ」


 なんとか踏みとどまるように、青年は言葉を返した。


「法律は正義か?」


 若い刑務官は答えに窮した。法律は正義のためではなく、国家の秩序のために存在すると学んでいたからだ。


「正義がどちらにあるにせよ、お前を殺すのは俺たちではない。法律だ」


「違う。法律は文章だ。私を殺すのは人だ。……君だ」


 一陣の風が駆け抜けた。刑務官は寒さにぶるりと震えた。


「人を殺すのには、覚悟がいる」


 そこで刑務官は気づいた。この薄汚い死刑囚だって人なのだ。明日、自分は人を殺すのだ。


「だから通例、殺人をする者はその行為に別の名前を付ける。そうすると罪悪感が薄れるからだ。君たちは私の使う医学用語を”殺人を正当化するために用いられるカルト用語"って呼んだね。でもそれは私だけじゃないはずだ。そうやって"殺人"を別の言葉に置き換えて呼ぶのは、私だけではない。君たちも同じことをしている。心当たりはないかい?」


 法を学んだ刑務官は、もちろんその答えを持っていた。


「死刑……」


 囚人は無表情を刑務官を向けている。宵闇よりも一層深い黒い瞳が、刑務官を縛り上げた。


「死刑こそ、”殺人を正当化するために用いられるカルト用語"ではないのかね?」


 若い刑務官は何も答えることができなかった。沈黙が降る。


 そのうち薬の効き目が切れたように死刑囚の目はうつろになっていき、また頭を前後に振る運動を開始した。そしてぼそぼそと、”殺人を正当化するために用いられるカルト用語"を念仏のように呟く。


「……中絶手術は殺人ではない……中絶手術は殺人ではない――」


 自分の発した言葉に頷くように体を揺すり続ける死刑囚を見つめながら、若い刑務官は考える。明日の自分が行うことになっている法律に則った殺人について。人を殺すことの正当性について。


 刑務官は無意識に自分の腰元に手をやった。指の先にひやりとした金属が当たった。そうだ、この鍵を使えば、死刑囚を檻と手錠から解放することができるのだ。死刑囚がここからいなくなれば、死刑の執行はできない。自分はその務めから解放される。


 だがもし死刑囚を恣意的に逃がしたことが世間に知れたらどうなるだろう。死刑囚に手を貸したとみなされた自分は、この国で生きていくことはできないだろう。社会的な死がそこで待ちかまえている。


 また北からの鋭い風が一陣通り過ぎ、刑務官はたまらず身震いした。いつの間にか鍵束を握りしめていた手に、じっとりとした汗が滲んだ。刑務官の長い夜が始まった。

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