286:言い忘れていた、すまぬ
「それでは、こちらの呪符を差し上げます。
姫巫女様のお住まいの、玄関とでも呼べよう馬鹿に広い建物の入り口で、使用人の方から手渡されたのは、何とも言えない怪しい雰囲気むんむんの、お札……
そこには朱色の字で《
……なんだよ、弾呪って。
生まれて此の方……、いや、前世の記憶も含めて、初めて見る熟語だぞ。
字面だけを見れば、呪いを弾くんだろうな、と分かるけども……
本当に効果あるのこれ?
筆で書かれたのか、かなりおどろおどろしく見えるのだけど……
逆に呪われたりしない??
とまぁ、かなり疑心暗鬼にならざるを得ないその気味の悪いお札を、拒否するわけにもいかない俺とグレコは、一応お礼を言って受け取った。
何か怪しい事が起きればすぐ捨てられるように、俺もグレコも、そのお札を服の一番外側にあるポケットにしまい込んだ。
ぺこりと頭を下げる使用人の方に別れを告げて、姫巫女様のお住まいである神社風の建物から出た俺とグレコは、だだっ広い庭を歩く。
岩と砂利で整えられたこの庭は、まだ姫巫女様のお住まいの敷地内である。
神社風のどでかい建物をぐるりと取り囲む木製の外塀との間にあるのだが、ほんと、無駄に広い。
それに、岩や砂利は妙に苔むしていて、地面は緑がかっている。
火山島と呼ばれるコトコ島には、かなり不似合いな光景だ。
この場所といい、姫巫女様の正体といい……、まだまだ謎が多いなぁ。
「モッモ、あそこ見て。ほらさっきの……」
グレコが指差す先、俺たちの前方斜め右にいるのは、二羽ニワトリがい……、違うっ!
庭には二羽ニワトリはいませんっ!!
そこにいるのは、あの巨大なアンテロープだ。
白くて艶のない毛並みに、古木のような猛々しく立派な角を持つその年老いたアンテロープは、庭の一角にある、こちらも馬鹿にでかい馬小屋のような場所で、長い足を折って寛いでいる。
なるほど、こいつの為のこの広い庭か! と思えるほどに、そのアンテロープの巨体は、このだだっ広い庭にフィットしていた。
でっかいなぁ~、と思いながら、外塀の敷地外へと続く扉に向かって歩いていると、その巨大アンテロープの老いた目と俺の目が、バッチリ合ってしまった。
「うっ……?」
別に、睨まれているわけでもないし、恐怖を感じたわけでもないが、自然と声が出て歩みを止めてしまう俺。
「ん? どうしたのモッモ??」
「あ、な、何でもないっ!」
必死に取り繕う俺。
ビビリな気質と臆病な言動は全て、最弱種族故の条件反射である。
仕方がないっ!
俺は内心ビクビクしながらも、視線を巨大アンテロープから外し、再び歩き始めた……、のだが……
「待たれよ」
んんんっ!?
なんと! 巨大アンテロープの方から話しかけてきたではないかっ!!
てか、声渋っ!!!
もっとヘロヘロのヨレヨレの声かと思いきや、めちゃダンディーなお声っ!!!!
これにはさすがのグレコも驚いて歩みを止めた。
「そなたらは、真実を知る勇気を、持ち合わせておるか?」
突然の問い掛けに、俺は体も思考も固まる。
「真実を……? あなたは、何か知っているのですか?? もし何か知っているのなら、教えてください!!」
……ほんと、君はすごいよグレコ。
こんっなに大きな生き物に急に話し掛けられても、普通に返事しちゃうんだものね。
俺なんて、おっかなびっくりしちゃってまぁ……、立ってるだけで精一杯よ。
「二十年前、
巨大アンテロープは、静かにそういった。
「南の村より? その……、彼の化け物というのは、異形な怪物の事ですよね?? 南の村って、どうして……???」
グレコの問い掛けに、巨大アンテロープはゆっくりと瞬きをする。
「真実は、憶測を越える。わしが言えるのはそれだけじゃ。それが何を意味するのか……。考えよ、若きエルフの子。そして、小さく尊い者よ」
……お? 尊い者って、俺のことかい??
小さいとは言われたものの、ちょっぴり気分が良いね、その言い方だとさ。
「南の村から現れた……? 南の村から……??」
グレコはぶつぶつと独り言を言いながら歩き出す。
珍しく礼儀を忘れてしまっているようなので、俺は一人、ぺこりと巨大アンテロープに向かって頭を下げた。
「教えて頂き、ありがとうございます!」
アンテロープは俺に向かって、その大きな瞳を細めて笑ったような顔をすると、持ち上げていた頭を地面に下ろして、静かに居眠りを始めるのだった。
「グレコ! モッモ!!」
「良かった。普通に帰らせてもらえたんだな!」
姫巫女様のお住まいを出て、外塀の一部にある木戸から外に出た俺たちを、ネフェとオマルが迎えてくれた。
普通にって……、オマル、他にどんなのを想像してたのさ?
まさか、普通に帰してもらえないパターンもあるわけ??
……どんなパターンだよそれ???
「二人とも、迎えに来てくれたのね、ありがとう」
「なに、礼なぞ不要だ。それよりも、何か妙な事はされてないか?」
「大丈夫よ、ネフェ。ただちょっと……、状況が変わったわ」
そう言うとグレコは、姫巫女様から異形な怪物の討伐を命じられた事を、簡潔に二人に伝えた。
二人は驚きもせず、どちらかというと、やっぱりなって顔をしている。
「先程お前たちを迎えに来た巫女守りの志垣は、老齢会には属していないものの、今生きている紫族の中で最高齢の男なんだ。それ故に、老齢会の奴らからは一目置かれているし、何か村に異変があれば、志垣のいる姫巫女様のお住まいまで即時に通達がいく。お前たちを迎えに来た時点で、そんな予感はしていた」
……ならさオマル、俺たちがここへ来る前に、ほんの少しでいいから予告してくれたって良かったんじゃない?
なんて言うの、ほら……、心構えってやつが出来るじゃない?? 先に教えてもらっていればさ。
そんなんだから、ベンザに脇が甘いとか言われるのよ。
「とにかく、急ぎ勉坐の家へ戻ろう。姫巫女様から直々に命令が下されたのなら、外者であろうとも、従わぬわけにはいくまい」
……うん、そうなんだよネフェ。
異形な怪物の討伐だなんて恐ろしくって、本来ならば引き受けたりしないんだけどさ。
交換条件を出されたとなっちゃ、従わざるを得ないのさ。
「それで、討伐の事なんだけど……。私たちの仲間をここへ呼ぼうと思うの」
「なんだと? 外者をか!?」
「えぇ。そんな、怪物の討伐だなんて、私とモッモだけじゃ絶対無理だしね。姫巫女様の了承は既に得ているわ」
「しかし……。勉坐がなんと言うか……。それに、二人きりで戦わせなどしない。本当に異形な怪物が姿を現すのなら、俺たち紫族は一丸となってそいつを倒す。戦力に不足はねぇ」
「確かにそうかも知れないけれど……。でも、じゃあどうして、二十年前に南の村は滅んだの? そこにも勿論、強い紫族の方々が暮らしていたんでしょ??」
「無論そうだ。特に南の村は、外者との接触が多い故、手練れが好き好んで暮らしておった。なのに、そいつらはみんな、異形な怪物にやられてしまった……。未だにその理由はわかっておらん」
「そうなのね……。だったら尚の事、私の仲間をここへ呼ぶわ。これ以上、モッモを危険な目に合わせるわけにはいかないもの」
うむ、そうだよグレコ。
俺は見た目通りのひ弱なんだ。
だから……、これ以上、無理を強いないでっ!
「ん? モッモを危険な目に……?? え、あっ!?? まさか、時の神の使者というのは、グレコではなくモッモなのかっ!???」
目をまん丸に見開いて驚くオマル。
「あら? ネフェは……、知ってたわよね?? さっき、迎えに来たシガキさんの言葉を聞いていたから……。オマルに説明しなかったの???」
「あ~……、言い忘れていた、すまぬ」
全く悪びれる様子もなく、謝罪するネフェ。
「こりゃまた……。えれぇ~驚いたぁ~……。まさか、こんなに小さくて、一人じゃ何も出来ねぇ奴が、時の神の使者だなんてなぁ……。てっきり、グレコの下部獣だとばかり……」
俺を見て、呆気に取られた顔になるオマル。
……今さ、とってもとっても酷い事言わなかった?
一人じゃ何も出来ない奴って……、俺にだって出来る事、いろいろありますよぉっ!?
しかも、下部獣って言う設定は、あんたが思いついたんでしょうがぁっ!??
古臭い考えを持つベンザに怪しまれないようにって……
それを、設定した本人が信じ込むんじゃないよぉっ!!!!
「とにかくっ! 私一人でモッモを守り切るのは至難の技だわっ!! 早くベンザさんの所に戻って、真実を話して、仲間を呼ぶ事を許してもらわないとっ!!!」
「よし、ならば急ごう!」
そう言って、俺をヒョイと担いで肩に乗せるオマル。
「うわぁっ!?」
突然のことに驚いて声を上げる俺。
世界初! 肩乗りピグモルの出来上がりでっす!!
「祢笛、グレコ、走るぞっ!」
駆け出すオマル。
後を追うネフェとグレコ。
そして……
「ひゃあぁぁ~!? はやひぃいぃぃ~!??」
あまりのスピード、吹き付ける前方からの風に悲鳴を上げながらも、俺は全速力で走るオマルの肩に、必死にしがみついていた。
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