3.コンタクト 2

 勇吾は、真琴と勉強会を始めてから、なんとなく彼女を昼飯に誘うのが習慣になっていた。

 最初こそ、何度か断られたが、最近は誘ったら素直についてくるし、向こうから声をかけられることもあった。しかも、一緒にジュースを買いに行ってから、彼女との距離が近くなったように感じていた。


 だから、勇吾は、四時間目の授業が終わって、もたもたしている真琴に声をかけた。いつも通り眼鏡の奥の瞳をくりくりさせて、ちょっと待ってと慌てて立ち上がるのを期待して。


「マコト、食堂、行くぞ」

「……何言ってんの?」


 眼鏡の奥の瞳は、くりっと言うより、キョトンとしていた。


 …………。


 ……ん?今は何月だ?勉強会前に、タイムスリップでもしたか。


 そのはっきりきっぱりした真琴の返答に、勇吾の思考が現実逃避を始める。だが、


「さっきの授業終わりに、当番は荷物かたしとけって先生言ってたじゃん。ユーゴ、今日、当番でしょ?ちゃんと話聞いてた?」


 と、真琴にさらっと笑いながら言われて、ホッとする勇吾。良かった。仲良くなったのは、勇吾の妄想ではなかったらしい。


「……そうだったか?」

「も〜。しっかりしてよ」


 そう言って、真琴が指差した先には、地図やら宿題やらが積まれた教卓があった。

 ……そう言われれば、先生が最後に何か言っていたような気がする。しかし、今日はここまで、と言われた瞬間に、気持ちは昼飯に飛んでいたから、よく聞いていなかった。


「社会科準備室だろ?ちゃっと寄って行こうぜ」

 二人のやりとりを横で聞いていた和也が、当然のように地図を持つ。


「あのセンコー、午前中使った教材、全部置いて行ったんじゃね?」

 長谷川は、提出された宿題のノートを、半分春樹に押し付けた。


「こんなん、一人で運べないじゃんね」

 真琴がさっと立ち上がり、地球儀を抱えると、それで荷物は無くなってしまった。


「俺ら、先行っとくぞ」

 出番はなし、と判断したいつものメンツが、三々五々、食堂へ向かう。


「……俺も、何か持とう」

「俺のは軽いからいいよ」

「ふはっ、反応遅い。そんなにお腹空いてる?」


 勇吾が当番なので、何も持っていないのはおかしいと申し出たが、誰も荷物を手放そうとしなかった。それでも、申し訳ないからと、何も持っていないながら、皆とともに社会科準備室へ向かう。


「……ねぇ、柿崎くん」


「ヤだなぁ。俺のことも呼び捨てでいいよ。あ、でも、カズヤくん❤︎も捨てがたい」


「あのさぁ、カズヤ」


 和也のアホな主張を無視して、真琴が問いかけた。


「皆の数学の調子はどう?」

「う〜ん……」


 和也が勇吾を見て、言いにくそうに、それでもきっぱりと言った。


「ぶっちゃけ、ヤバい」

「あ、やっぱり?……長谷川くんは?」

「理系も、ヤバい」

「「「はぁ〜」」」


 と、教師役をしている三人のため息が重なる。「皆」とぼかして話してはいるが、ヤバい代表の勇吾はいたたまれなくなる。


「もう、期末まであんま時間ないからさ。……どうしよっか」

「……マコトちゃん、週末、暇?」


 急に和也が話題を変えた。それに、真琴がいぶかしげに質問で返した。


「……何で?」

「俺ら、週末に図書館で勉強しようと思ってんだよね。な、ユーゴ」


 そんな話は初めて聞いたが、特に用事もなかったので、勇吾は頷いた。

 勉強の話だとわかると、真琴は一気に安心したようだ。


「あ〜、それ、いいかも。でも、日曜はちょっと用事があるんだよね」

「じゃ、土曜日。どう?」

「土曜日なら、いいよ」

「よっしゃ。じゃ、決まり。ハセ、お前らはどうする?」

「俺は行ける。ハルキは?」

「僕も大丈夫。他のメンバーにも声、掛ける?」

「お〜、頼むわ」


 と、あれよあれよと言ううちに、土曜日の予定が決まった。こういう和也の話のうまさコミュ力の高さには、いつも感心する。


 しかも、図書館で集まって勉強するなんて、高校生っぽくてウキウキする行事ではないか。これで勉強がなければ、最高なのに、なんて、本末転倒なことを考えてしまう勇吾だった。


◇◇◇


 勇吾が、自分の勉強が遅れているために集まるという事実を忘れ、ただ図書館で勉強するということに気分を上げているところに、水を差すような声がかけられた。


「――おい、そこの一年、ちょっとツラ貸せ」


 声をかけてきたのは、薄灰色のツナギを着た工業科の三年生達だった。その数、ざっと十人。

 その男達の中に、以前、喧嘩した顔があるのを見て、勇吾達が一気に臨戦体制に入る。


「ユーゴ、あれ」

「あぁ」


 和也が目線で示した先の顔を見て、気がついていると返す。そいつらは、気が弱そうな普通科の生徒からカツアゲをしていた奴らだった。以前、情けなく許しをうた顔は、今日、己の優位を確信して、ニヤニヤしていた。その様子があまりにも小物過ぎて、げんなりする。


 リーダー格なのだろう。一番前にいる、どう見ても高校生には見えない髭面ひげづらの男が勇吾に絡む。


「お前ら、ズイブン、チョーシに乗ってるみたいじゃねーか。ガキがイキってるだけだと思って、見逃してやってたら、よくもやってくれたな」

「そいつらが、カツアゲをしていたから、止めただけだ」

「はぁ〜?カツアゲ?人聞きの悪いこと言ってんじゃねーよ。ただ、ダチに金借りてただけじゃねーか」

「本当に、友達か?」

「友達だっつーの。普通科の田中君だよな」


 何がおもしろいのか、そう言ってゲラゲラと笑う。

 それを見て、勇吾の中にほのかな怒りが生まれる。勇吾はこういう、暴力で道理を捻じ曲げようとする奴らが嫌いだった。


「……お前らも同罪か」


 勇吾がやる気になったのを感じて、三年が顎をしゃくる。


「おう、ついてこいや」


 その声に、無言で続く勇吾。もう、彼の頭の中には戦うことしかなかった。


 だが。

 その勇吾の服を摘んで止めるものがあった。


「ユーゴ……!」


 不安そうな声で、勇吾の名前を呼んだのは真琴だった。だが、振り返った勇吾の顔が怖かったのか、彼から立ち上る殺気のせいか、その表情に一瞬、おびえが浮かぶ。


 彼女の表情を見て、怖がらせてしまったことに心が痛んだ。その一方で、どうして怯えるのだ、と理不尽な怒りが湧いてくる。


 勇吾は、怯えている彼女を慰める気にもなれずに、ただ、大丈夫だ、と言って歩みを再開する。服を摘んでいた手は、力なく外れていった。


「悪い。これ、お願い」


 真琴が怯えているのを見て、和也が殊更ことさら明るく、何でもないことのように地図を手渡した。


「ハルキ。は頼む。食堂行っとけ」


 長谷川は春樹に宿題を手渡しながら言ったが、実際に頼んでいるのは真琴のことだった。それを汲み取った春樹が、任せて、と返事をする。


「笹原さん、行こ」

「でも……」


 春樹が三年に聞こえないように小声で真琴を促す。


 二人の足音が何事もなく遠ざかっていくのを感じて、勇吾は二人のことを頭の中から締め出した。


◇◇◇


 勇吾は、売られた喧嘩はきっちり買うが、別に喧嘩が好きというわけではない。ただ、理不尽に抗う手段として力を求めた結果、喧嘩三昧の生活こんなことになっているのだ。


 勇吾は力が欲しかったが、武道や格闘技は学校の授業でかじった程度しか知らなかった。

 一度、近所の空手道場に体験入門したことがあったが、体育会系のやり方に馴染めず、本当に体験だけで終わってしまった。理不尽に抗うために強くなりたかったのに、強くなるために体育会特有の上下関係理不尽なことに耐えなければならないという矛盾が馬鹿馬鹿しくなったのだ。


 それで、喧嘩のやり方は実戦で、あとはもっぱら体を鍛えることで強くなってきた。ストイックに身体を鍛えるというやり方が、勇吾の性格にあっていたのだろう。

 身体を鍛えたことにより生まれた自信と、倒されてもなお立ち上がれるスタミナ。それが勇吾の不動の強さを支えていた。

 だから、身体を鍛え始めた頃ならいざ知らず、今では大抵の奴に負ける気はなかった。



 三年生に連れて来られたのは、校舎の隅の誰も来ないような、死角になっているところだった。彼らはいつもここで、気に入らない奴をボコっているのだろう。


「三人で勝てると思ってんのか。泣いて謝るなら、今のうちだぜ」

 三年のリーダー格の男がそういうと、周りも追従するように笑った。


「そう言いながら、ビビってんじゃねーっすか、先輩方」

 和也が軽いノリであおり返す。


 不良とはおもしろいもので、なぜか最初にこうやって口喧嘩から始める。不思議なことに、まれにではあるが、口喧嘩だけで終わってしまうこともあった。

 メンツや周りからの圧力がなければ、喧嘩なんて本当はしたくないのかもしれない。なら、最初からやらなければいいのに、と思うが、そうもいかないのだろう。


 だが、勇吾はこの口での応酬が苦手だった。逆に和也は煽るのが得意で、相手の地雷を的確に、だが無造作に踏み抜いていく。


「来んの、おっせーっすよ。もう卒業まで、息殺してるもんだと思ってました」

「はぁ!?誰がビビってるっつーんだよ。見逃してやってただけだよ」

「はいはい、そういうことにしておきましょ」


 和也のその明らかに舐めきった態度に、三年は激昂する。


「てめぇ!」

「ははっ」


 わめきながら、三年のリーダー格の男が和也に殴りかかってきた。それを合図に、残った三年も一気に勇吾達に向かってきた。


 勇吾は脇を通り過ぎて、和也に殴りかかろうとしたリーダーの襟首をつかむと、ただ力任せに地面に叩きつけた。ぐえっと、呻き声が上がる。

 和也はそれに構わず、近くにやってきた男の鳩尾に拳をめり込ませる。長谷川も飛びかかってきた二人の攻撃をかわしながら、別の一人に蹴りを入れた。


 十対三と、人数的には劣勢だったが、三人はそんなことに少しも怯んでいなかった。こんなたるんだ身体をしている男達に、万が一にも負ける気がしなかったからだ。


 流石に人数差があったため、無傷の完全勝利というわけにはいかなかったが、軽いのを一、二発もらっただけで、次々と相手をノックダウンしていった。


「くそっ!」


 相手のリーダー格の男は、さすがトップにいるだけあって、倒れても何度も立ち上がってきた。別の男を相手していた勇吾の頬に、リーダーが渾身こんしんの一撃を入れる。

 手応えを感じて、にやっとリーダーが笑った。だが、勇吾はその笑顔を一瞥すると、190cmからの頭突きを喰らわせた。

 それが決定打となり、ヘナヘナと腰から崩れ落ちるリーダー。

 頭をやられて、勢いの消えた三年は、そこから五分とかからず白旗を揚げたのだった。

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