キスの味

 何かしていた方が気もまぎれるだろうと、その日の夕飯から台所を手伝うことになった。味覚が分らなくても食材を切ることは出来るし、食器を洗うのに味覚はそもそも関係ない。

 食後に食器を洗い始めると、真理奈さんが手伝ってくれた。普段から手伝っているようで、拭きあげて仕舞っていくのに戸惑いはないから、洗いながら場所を覚えていくのは大変だった。

「たく、使えないんだから! 料理をしなくたって、お皿の場所ぐらい覚えておきなさいよ」

 最初は刀弥君が手伝うと言い出し、私は居候なのだからと断ったのだけれど、二人で始めた。でも彼がお皿の場所をまったく覚えていなかったせいで、端から聞かれるのに業を煮やした真理奈さんが手伝ってくれることになってしまった。


 そして今日も真理佳さんとお風呂に入っている。

 なんでそうなったかと言えば、美羽さんの一言が発端となり、刀弥君が乗り気だったからだ。

「奈緒ちゃん、最近は髪の手入れとかしていなかったでしょう。パサパサで痛んでいるわよ。うちのお風呂は広いから、真理ちゃんと入ってきなさいな」

「いえ、独りで入れますから」

「刀弥君だって奈緒ちゃんが綺麗な方が良いでしょ?」

「そりゃぁね。預かっている以上は親類の方に陰口を叩かれたくはないし、僕が手入れして上げられるわけでも無いから。姉貴に任せても良い?」

「じゃ、一緒に入ろう。奈緒ちゃん、嫌は無いからね」


 この家の風呂場は確かに広い。

 私の家も最近のマンションだから広めのユニットバスだけど、この家は更に広くて二人で入っても余裕の浴槽が備わっている。独りで入るには贅沢すぎる広さにチョット引いてしまった。

「口数が少ないけど、展開についていけている? それとも元から人見知りとか?」

「戸惑っています。突然一人になって、刀弥君に誘われるがまま温かく受け入れてもらって」

「よくあんな奴の言葉を信じたよね。ホテルに連れ込まれてヤリ逃げされるとか考えなかったの?」

「優しい人ですよ。学校でも人気在りますし」

「前から好きだったの?」

「はい。でも諦めて……。まだ夢の中にいるようです」

「そんな夢、覚めちゃいなさい」

「え?」

「現実は苦しいこともあるけど、もっとドキドキやワクワクがあるんだから。だから夢だと言うなら目覚めて、ちゃんといろいろな物を受け止めさない。挫けそうになったら言いなさい。私たちが寄り添うから、真っ先に刀弥が手を差し伸べるはずだから。ね」

 なにが夢でどれが現実なのか。なにが願望でどれが希望なのか。

 本当に私は、彼に食べられて消えてしまいたいのだろうか。

 もしお願いしたら、糧としてでも良いから、そばにずっと置いてもらえるのだろうか。


「ところで、キスはもうしたの?」

 思考が内側に入っていると、いきなりそんな事を聞かれて顔が赤らんでしまう。

「あ、あの。はい」

「へーーー。気持ち良かった? 感じた? それとも下手だった?」

「あの。温かくて安心できました」

「そっか、なら良かった」

 そんな感じで徐々に殻を剥がされていく私は、これらは死ぬ時の未練としてご馳走に変わるのだからと、強く言い聞かせて敢えて受け入れることにした。


 翌日からも学校ではちょこちょこと追及される事があった。

 一緒に登校しているしお昼も一緒に食べていて、下校も揃ってなのだから女子からのやっかみが物凄く、刀弥君から離れると質問攻めにあってしまうので離れる事ができない。

 だから、クラスの中ではやはり浮いた存在のままでいる。

 彼が気にかけてくれて一緒にいてくれるのは嬉しいけれど、私に掛かるストレスと彼の求める負の感情は同じではないのだろうか。こう庇われていると、彼が欲する糧をあげられないのではと少し心配になってしまう。

 それでも彼は、ちゃんと悲しい現実も突きつけてくれた。


「奈緒さん、寄り道して帰ろう。母さんにも話してあるから、少し遅くなっても大丈夫だよ」

「うん、わかった」

 そして連れて行かれたのは私の家。荷物を取りに来てから一週間と経っていない。

 美羽さんに預けたままになっていた鍵を使った刀弥君は、扉を開けたまま私の顔をじっと見てくる。

「入る勇気が無い顔をしているね。でも、入って。僕も一緒に入るから勇気を出して」

「それが必要な事なら」

 寒々とした家の中は先週まで毎日感じていたものと同じで、嫌が追うにも両親の死を突き付けてくる。それは、毎日手を合わせるお位牌と向かい合った時に感じるものより強く、自分で血の気が引くのが分るくらいだった。

「僕は常にそばに居る。君は独りじゃない。だから、ゆっくりで良いからご両親の死を受け入れて」


 手を握ってもらって踏み入れたリビングは、美羽さんが片付けてくれた様で整然としていた。刀弥君にゴミを片付けてもらったキッチンも、綺麗に磨かれていて異臭も無い。

 両親の部屋はあの日出て行った時のままで、そこだけが生活感を感じさせる乱雑さを維持していて、堆積した埃が時間を感じさせる。

「どうする? 少し独りになるかい? それとも手伝うから掃除をしてあげる?」

「少し独りにして」

 ベッドに腰掛け、ゆっくりと部屋を見回す。ぼやける視界に三人で写った写真を見つけ、そっと抱きしめて声を殺して暫らく泣いた。

 そんな事を毎週のように繰り返し、その度に刀弥君の唇を求めて心を温めてもらった。それは毎日するキスより激しく求め合うもので、いつしか涙の味を感じなくなっていた。

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