彼との同居 1

 すると突然、お姉さんが私の顔をその胸に埋めさせるように、力強く抱き寄せてきた。抗おうとするけれど、力は緩めてもらえず抜け出す事ができない。

「元が良さ気なのに台無しだよ。ちゃんと寝てないでしょ。ちゃんと食べてないでしょ。ちゃんと泣いてないんでしょ」

 そこまで言うと少し力を抜いて、背中を優しく叩いてくれた。

「誰でも良いからすがって泣きなさい。モヤモヤしているものを吐き出しなさい。そんな事をしても何も変わらないと思っているかもしれないけど、少なくとも自分だけは顔を上げられるでしょ。少しでも前を向けたなら、必ずなにかは変わるからね」

 そう優しい声で言われて、返事をすることは出来なくなってしまった。

 すがり付いて声を上げて泣きじゃくる事しか、この時の私に出来る事はなかったのだから。


 どのくらい泣いていたのだろう。気持ちが落ち着いてきて、泣きはらした顔を上げると刀弥君が不機嫌そうに私を見ている。

 そうだ、刀弥君にとってはご馳走だったに違いない負の感情を、いないときに吐き出してしまって怒らせてしまった。取り返しのつかない事をしてしまった。

「あの、刀弥君……」

「なに、もう名前で呼ばせてるの? 独占欲が強すぎじゃない? ごめんね、横取りしちゃってー」

「まったくだよ! なにしてくれてるんだ、本当に! 腹立つ事しかしないんだから!」

 かなり怒った様子の刀弥君は、ソファーの私の正面に当たる位置に深く座り、お姉さんを激しく睨み付けるけれど、お姉さんは懲りた様子も無くニヤニヤしていた。


「さて奈緒ちゃん。刀弥君から聞いたけど、奈緒ちゃんはどうしたいの? うちは余っている部屋があるから、ここに住むのでも全然かまわないわよ。いえ奈緒ちゃんさえよければ、ここで一緒に住まないかしら」

 刀弥君がどこまで話したのか判らないけど、不幸体質の事は聞いていないのかもしれない。聞いていれば、そんな提案なんてするはず無いのだから。

「あの私、不幸体質で……」

「えぇ、いろいろ聞いているわよ。でも、刀弥君と二人で暮らすなんてね。間違いが起きてからじゃ遅いし」

「えっと、その……」

 間違いも何も餌としてそばに居るわけで、いつ食べられても良いように、これ以上この状況を知る人を作るべきでないと思ったのに、窺うように見てしまった彼は優しい表情で軽く頷いてくれた。

「あの、お世話になります」


「まだ名前言ってなかったね、真理奈よ。奈緒ちゃんの三つ上で、大学生。そこの愚弟より頼りになるから、遠慮しないで何でも言ってね」

「美羽さんでいいわ、主人の名は耕介ね。刀弥君が女の子なんて連れて来るからビックリしたけど、事情はだいたい聞いているわ。まだまだ気持ちの整理なんてつかないでしょうけど、少しでもお役に立てれば嬉しいかな」

「はい。よろしくお願いします」

 そう挨拶はしたけれど、彼に食べられてしまえばそれで終わり。その日が早く来る事だけを、今は願わずにはいられない。

 未練など残らない様に、早い内にバッサリと奪って欲しい。


 案内された部屋は八畳ほどの広さがあって、可愛らしいカーテンが揺れる大きめの窓と、シンプルな柄の寝具が乗るセミダブルのベッドが印象的だった。クローゼットの扉も大きく広そうで、造り付の本棚や学習机まである。

「僕の部屋は右隣りで、その向かいは姉貴の部屋。この部屋の向かいは両親の部屋で、ここの左隣は納戸とトイレになっている。疲れていない様だったら、奈緒さんの家に洋服を取りに行こうか」

「ごめんなさい。せっかくのご馳走を……」

「ん? まぁ、じっくり味わいたいから今度に期待だな。ところでさ、今は好きな人とかいないの? 僕、嫌われる様な事した?」

「それは……」


 恥ずかしい事だけどそれっぽい事は言ってしまっているので、正直に全てを語って早く食べてもらうのが良いかもしれない。包み隠さず素直に話すことにした。

「刀弥君と付き合えたらって思っていたけど、迷惑かけたくなくって諦めたの。だからあの時は刀弥君に化けた妖怪なのかと思ったし、そんなだから食べられても惜しくないと思った」

「そっか、よかった。それじゃぁ、キスしていい?」

 突然そんな事を言われても嫌だとは思わなくて、むしろ私なんかとしてしまって大丈夫なのかと気遣ってしまう。もっとも、拒否なんて答えは餌である私のどこにも有りはしない。


 それがどんな行為なのかは判らない。

 負の感情を吸い出すための行為かもしれないし、私が幸せを感じた時に突き放す事でご馳走にありつけるのかもしれない。だからどうぞ、好きなように好きなだけ味わって欲しい。

「私は全てを捧げるためにここにいる。だから、好きなだけどうぞ」

 私から近づくと、そっと抱きしめてくれてチュッと唇を合わせてくる。何度かそうしてキスを交わすと、満足できたのかギュッと抱きしめる腕に力を込めてくれた。

 温かくて、なんだか気持ちが安らぐのは、不幸を吸い取ってくれたからなのだろうか。

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