逃避行

 その日は、久しぶりに父がドライブに誘ってくれた。

 急な話だったけど関西地区への栄転が決まり、単身赴任前に家族で出かけようとの誘いだった。それでもトラブルで幸先を悪くしたくなかった私は、笑って二人を送り出した。

 その時はそれが最善だと思ったから……。


 しばらくすると、一本の電話が入る。

 聞いた事のない街の警察からで、両親が交通事故に巻き込まれて病院に搬送されたとの連絡だった。

 気が動転したものの詳細は分らず、搬送先の病院名と電話番号を聞かされたので、近所に住む叔母を頼って連絡を入れた。

 直ぐに来てくれた叔母と一緒に車で病院へと向かったけれど、着いた時には二人とも帰らぬ人となっていた。


 独りぼっちの高校生に何ができる訳もなく、葬儀の手配は叔母夫婦がやってくれたので火葬まで済ます事ができた。その後は、父の部下だったと言う女性の方が保険などの手続きを代行してくれて、銀行口座や公共料金なども滞りなく済ませてもらった。


 けれど叔母夫婦は里親として私を引き取る事には難色を示し、父の上司だったと言う人が名乗りを上げてくれたようだけど、独り暮らしが始まる事となった。

 叔母からは部屋が用意できないからと説明されたけれど、いくら親類でも要らぬ火の粉は被りたくないのが本音だったのだろう。それだけの前科があるのだから、納得するしかないし、見ず知らずの人に迷惑はかけるわけにはいかない。


 ついこの前までの明るい雰囲気は、家のどこを探しても見当たらないでいて、それでもそこに住む以上は思い出さずにはいられない。

 つい両親の影を追ってしまい涙し、食事を作る気力も無ければ食べたいとも思わないでいて、静かすぎる中で寝れない夜を過ごした。

 

 悲しい、苦しい、寂しい……。


 それでも耐えて学校にも行ったし、ボロボロだったけれどテストも受けた。出来るだけ教室では心配かけない様にしていて、一月半を乗り切って見せた。


 なんとか迎える事ができた四十九日は、澄んだ空と冷たい空気に包まれていた。

 タクシーで向かったお寺で親類と納骨を済ませた私は、両親に対する義務を果たせて安堵したんだと思う。心にはぽっかりと大きな穴が開いていたので、お寺を後にした時には自然と涙が流れたけれど、一月半ぶりに笑顔を浮かべる事ができた。

 叔母夫婦や従兄弟は、そんな私を気遣ってくれたのだろう。誘ってもらった食事を断っても嫌な顔もせず、最寄の駅まで送ってくれて別れた。


 丁寧に包んだお位牌の入る小さなバッグを胸に抱え、独りで電車に揺られた二時間はあっという間だったと思う。

 向かった先は、あの日に両親が向かった紅葉の美しい渓谷。

 すでに季節は移ってしまっているので、観光客など一人も居なくて寒々しいが、それが今の私にはちょうど良い。


 少し道を外れて川辺に下りると、靴と靴下を脱ぎ昨晩書いた遺書を置く。お位牌の入ったバッグをギュッと抱き締め、身を切る様な冷たい水の中を川の深みへ向かって進んで行く。

 こんな事をしても天国の二人のそばには行けないだろうけど、それでもここにはもう居たくなかった。もう、寂しさを我慢できなかった。


「君は本当に死にたいの?」

 突然聞こえた知った声に、反射的に振り返ってしまう。

「いや、どちらでもいい。死ぬつもりだったら、その命を僕にくれないか」

 居るはずのない人を捉えた瞳がそらせなくて、膝まで水に浸かったまま動けなくなってしまった。

「朝倉さん、聞こえている? 朝倉奈緒さん?」

「なんで、いるの? どうしてここに居るのが、分ったの?」

 ただのクラスメイトで、それでも一時期は密かに思いを寄せていた服部君が目の前にいて、動揺を隠せないまま問いかけてしまう。

「質問をしているのは僕だ。捨てる命なら、僕にくれないか?」

 彼に構わず深みまで走って、流れに飲まれてしまえば良かったのかもしれないなのに、諦めねばならなかった彼の、私を欲する声に心が揺らいでしまった。


「服部君も知っているでしょ? 私は不幸を呼ぶ女で、近寄る人も不幸にするの。もう、人を不幸にするのは嫌。もう一人は嫌なの!」

「だから死ぬの? それなら、僕がそばに居てあげる。不幸の全てを食らい尽くしてあげる」

「不幸を、食らう?」

 目の前の彼は、本当に私が知っている服部君なのだろうか?

 不幸を食らうなど、人の所業ではないだろう。ならば目の前にいるのは、見知った顔に化けた妖怪なのかもしれない。

「うん、そうだね。両親の所に行けないんだったら、何者かは知らないけれど、好きだった人の姿をした貴方に食べられるのも、悪くないのかもしれない。いいよ。私を食べてしまって、いいよ」

「なら、こっちにおいで。川から上がって、僕の所まで戻っておいで」

 ゆっくりと川から上がって彼の前に立つと、抱きしめられて首筋に彼の息づかいを感じ、耳元で囁かれた「間に合った」って言葉に、スッと意識を手放してしまった。

 パパ、ママ、ごめんね。そして、さようなら。

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