第119話 武器は多いほうがいい……のかな?(「ようこそ、異世界へ」 出張版)
休職中に考えたことがある。
私も(平均的日本人の)人生の半分は終わった。
しかし、二十代の私とさほど変化はない。
(人が言うには『隅田さんは自分のことに関して鈍感すぎる』)
しかし、四十代。
職場の中ではもう、最年長だ。
(最年長だった人が辞めたので)
ふと、思い出した。
池波正太郎の言葉で「万年筆とは武士における刀みたいなものだからもって大切にしなさい」(例によって凄く雑)というのがあった。
幸い、文具の卸問屋がやっている直営店に行く機会があった。
そこで万年筆をコーナーがあった。
Amazonなどである程度値段を把握していたつもりだが……
『お高ーい‼』
中には十三万円もするものもある。
硬直した笑みしか浮かばない。
店員さんが話しかけてきた。
「何をお求めでしょうか?」
「万年筆が欲しいのですが、なまじ初めてで……」
「失礼ですが、ご予算は……?」
指で示す。
店員さんは頷いてくれた。
「でしたら、プラチナ製のは如何でしょう?」
試し書きや手触りなのですぐ決まった。
さて、いくら払ったかというか、諭吉が飛んで漱石が数枚になった。
店を出ると渋滞にはまった。
進まない車。
流石県内有数の渋滞の名所。
ふと、思った。
――池波先生は、万年筆を『武器』と言ったけど、私オリジナルの武器は何だろう?
思い出したのは靴である。
私は歩く。
帰り道をぶらぶらするのが大好きだ。
これも、武器ではないか?
だとすれば、ちゃんと調整すれば長く持つのではないか?
とは言っても私の靴磨きはかなり雑だ。
世の中、便利になった。
ただ、同時に判別しにくくなったのも事実だろう。
個性の時代と言いながら同調圧力が凄まじい。
戦うということは、武器を持つということは生きることである。
便利な世の中だら肉体を生かすことは簡単だ。
でも、精神を強くするには理不尽や我慢が強いられる。
例えば、一作品書くにも私は多くの時間を要することがある。
しかし、今は簡単に手軽にゴールできるものに人が集まる。
そのゴールが蜃気楼であるにも関わずだ。
「その行程を楽しみなさい」
好きな言葉である。
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