第84話 そのゴールに価値はあるのか?
昨今の世相を見ていると、文芸界を見ていると嫌な気持ちなる。
正直に書く。(自分のことは棚に上げる)
ライトノベルというか異世界転生ものや「ざまぁ」系に全く面白みを感じない。
いや、師匠(原幌平晴氏)の異世界転生ものだが、これは普通に読めた。
なぜ、嫌いなのか?
なぜ、師匠のが普通に読めたのか?
これを考えたい。
まず、なぜにライトノベルが苦手なのか?
たぶん、そこには敬意がない。
世界が狭い。
自分を褒め称え、自分を非難するものを排除する幼稚さに辟易するのだ。
そう考えると師匠のラベノが読めるのも理解できる。
彼の小説は様々な知識が詰まっている。
それを読者に押し付けるわけでも無敵でもない。
また、私が全く馬鹿馬鹿しい質問の中に「私の連載おもしろいでしょう? 続けさせたいなら何が面白いか教えてください」という正直、頭の悪いというか無責任なことを放言する人もいる。
『自分の作品の何が面白か分からないのに人の意見を求めるな!!』などと思う。
そこに見え隠れするのは過剰なまでの承認欲求だ。
適当に流行っているものをぶち込んで読者を感服させて己の欲求を満たそうとする性根だ。
それこそ、人が集まらなければ、連載途中だろうと放棄である。
そのくせ、テレビやドラマで少しでも書いたものと似通ったシーンでも「公式がパクった」などと騒ぐ。
その最たるものが、昨年多くのアニメーターを殺した「京都アニメーション放火事件」である。
昨今、投稿の壁は明らかに低くなった。
いや、世相を観れば様々なものの『境界線』があいまいになっている。
悪いことばかりではない。
異業種が入ることで、その業界が発展することもある。
だが、それは入ってくるものが、相手方に「敬意」があるかどうか?
某ホリエモンは他業種に手を伸ばしたが、正直、何も成していない。
彼は、ただ、人の注目さえ浴びていればいいのだ。
私が自分の好きな文庫紹介をして思ったことは、そして、師匠の好きなところは、『人を楽しませるために努力を惜しまない形跡がある事』だ。
自分が面白いと思っていることを愚直なまでに追及している。
孤独にさいなまれても書き続ける。
「何が面白いか?」なんて馬鹿な質問をする前に、書け。
書いて、書いて、書きまくって読んで読んで読みまくって自分を研究しろ。
そんなことを思った二千二十年夏の夜。
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