第74話 寿命は呪命か?

 自然界に置いて、天寿を全うすることはかなり珍しい。

 何故なら、体が弱ることは捕食者に狙われて食われること意味する。

 人間の平均寿命、特に日本人は現在、世界でもトップクラスの長寿大国になっているが、ここまで長生きできるようになったのは極最近の話。

 例えば、私の好きな小説のジャンルである時代劇小説の主な舞台である江戸時代の平均寿命は二十歳前後。(そうなると、お爺ちゃんたちが活躍する時代劇小説って……)

 ただし、それは全国平均であり比較的衣食住に恵まれた将軍家の平均年齢は五十歳前後である。

 一般庶民の平均年齢が五十歳をを超えたのは大正時代からだ。

 そして、現在に至る。


 これは日本に限った話ではないが、長寿は人類の願望でありめでたい事であった。

 これ、自然界に置き換えた場合、実に不自然だ。

 足が弱り判断能力の欠けたものがいることは集団にとっては、その分危険因子になる可能性がある。

 雌にしても生殖能力がなくなってしまえばいる意味すらない。

 しかし、人類には言葉があった。

 自分の人生経験から学んだこと、それこそ原始の頃は傷を癒すための薬草や飲み水の在処などを後の世代に教えることが出来た。

 これが出来る動物は早々はない。

 長寿は経験や知識を後の世代に残す生きた辞書や百科事典のようなものであった。

 だから、集団での長は老人が多く尊敬を集めていた。


 ここまでが一般論。


 ここからが本番。


 なのだが、最近、どうも「うん?」と首をかしげたくなることが多い。

 先にも書いたように自然界に置いて、また人間社会において長寿を全うするものは上がれば上がるほど少なくなっていた。

 しかし、今、先進国などでおかしな現象が起こっている。

 俗に『超高齢化社会』『少子化』である。

 老人のほうが若者より多くなってしまった。

 こんなことは人類史でも稀な出来事である。

 これを『科学の勝利』とか『平和の証』などと喜ぶ人もいるだろうが私は苦い顔になる。

 別にご高齢の人に対して差別するわけではないが、今の老人は元気がいい。

 というか、良過ぎる。

 仕事がないのに元気を持て余し政治や若者に対して平気で馬鹿にし嘲笑う。

 やっていることと言えばパチンコやテレビで文句の垂れ流し、反政府運動。

 彼らはまだいい。

 その気になって仕事をすれば仕事をする。(でも、これが若者も仕事を奪っている事実)

 中には体に複数のチューブや針を入れて文字通り単に「生きているだけ」の老人たちも多い。

 彼らのために多くの税金が使われている。

 念のために書いておくが、ご高齢でも素晴らしい能力や努力で活躍されてる人も多いし、そういう方々には尊敬の念を持っている。


 最後に。

『寿命』という言葉がある。

『寿』とはコトブキとも言いめでたい言葉である。

 でも、今、『寿命』はめでたいものではない。

 むしろ、呪いさえ背負っている。

『呪命』

 呪われた命。

 これこそ、今の日本社会そのものではないのだろうか?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る