第72話 ダイエットを成功させる秘訣教えます(個人的感想です)

 誰でも、何事にも『原風景』というものがある。

 例えば、「おふくろの味」などに代表される親から影響された味や食卓、音、気持ち……

 一言で「美味しい」というものでも、そこには多くの情報がある。

 その原点、つまり、幼少期にこそ実はダイエットを成功させる鍵がある。


 私の食べ物の原風景は小学校一年生になるかどうかの頃だ。

 その頃、私の祖父(母方)は牛を二匹、馬、鶏を数頭飼っていた。

 祖母は足に障害があり立つことすらままならない。

 だから、祖父は昔の人にしては珍しくよく台所に立つ人だった。

 ある日、遊びに行くと昼食にカレーが振舞われた。

「どうだ? 美味いか?」

 祖父が聞く。

「うん、美味しい」

 弟が言う。

「そりゃ、そうだ。その鶏肉、今朝捌いたばかりだからなぁ」

「おじいちゃん、そんなこと言わないの!」

 母と祖母がいさめ、弟が泣き出した。

 私は、カレーにまみれた鶏肉を口の中に入れたまま考えた。

――戻す?

――いや、死んだ者は生き返らない

――殺しちゃったんだもんなぁ

――じゃあ、食べるか

 そんなことを脳で考え、私はよく咀嚼して飲み込んだ。

 

 この時に朧気ながらこんなことを考えるようになった。

『食べたいものを食べたいときに美味しく食べる』


 さて、その後私は太った。

 いじめなどのストレスが原因だ。

 そして、私は糖尿病になった。

 病院で精密検査を受けているとき、私は子供の時に考えた『食べたいものを食べたいときに美味しく食べる』ことを忘れていたのに気が付いた。

 ジムで改めて年齢に合わせたメニューを組んでもらった。

 

 なお、ジムに関していうと今のジム(最初に通っていたジムは色々あって潰れた)に通って十五年ほどになる。

 よく「ジムを長く続けるコツは何ですか?」と聞かれることがある。

 私の場合、トレーナーに気が合う人が多いので続けられているが、実際はどうなのか?

「まあ、程よく手を抜くこと」と言っているが、今は少しだけ違う。

『食べたいものを食べたいときに美味しく食べる』

 私の場合、この為の匙加減なのだと思う。


 時々、ダイエットブームとして食品や運動が流行することがある。

 中には特定の食品を抜いたり、逆に過剰に摂取するものまで様々だ

 なお、私を担当するトレーナーは「ダイエットブーム」が起こるたびに冷笑する。

「今度のはいつまで続くのかねぇ」

 トレーナーの言を借りるのなら、ダイエットブームは科学的根拠はほぼなく、個人的感想であり、その感想も番組や提供スポンサーの意向を汲んだものだ。

 そして、言う。

「ダイエットに掛け算はない、あるのは日々の小数点の足し算。だから、隅田さん。ベンチプレス三十キロチェレンジしようか?」(私、現在、四十肩です)


 例えば、未来の話。

 私が死ぬ直前で食べたいものが糖尿病を理由に食べられないのが嫌なのだ。

 未練がある。

 せめて、死ぬ前はこの世に後腐れなく、すっきりと死にたい。

 そのために私はダイエットをする。

 逆に言えば、無理な減量や単純な「流行っているから」、「○○のために食べない」というのは私から見ると無意味ナンセンス

 そこに自らの哲学や意思がないからだ。



 ここからおまけ。

 ただ、この『哲学』や『意志』は文系学問の得意分野だったのだが、今は、この文系が軽んじられているんだよなぁ。

 だから、世の中が味っ気ない。(ような気がする)

 でもね、先人たちが「俺たちが死んだあと、世の中はつまらなくなる」という遺言にも反発してみたくなる。

 どこかの歌ではないが、「泣けと言われて笑った」ように生きてみたい。

 ええ、泣き虫ですけどね。

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